「イスラエルの子らの相続地は、部族から部族に移してはならない。イスラエルの子らは、それぞれその父祖の部族の相続地を堅く守らなければならないからである。」(民数記36:7新改訳)
イスラエルでは部族に割り当てられた相続地をいかなる理由があっても他の部族に移譲(いじょう)してはならなかった。この定めが固く守られていたからこそ、ナオミたちが十年間モアブの地に行って帰って来たときも、その土地の所有権が存続していたわけである(ルツ記)。▼私たちキリスト者が救いにあずかり、聖霊を宿したのは、来るべき永遠の復活世界を相続することが保証された事実を意味している。「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です」(エペソ1:14同)とパウロがエペソ教会に書き送っているように。アブラハムもモーセも、新約の弟子たちもこの世に属するいっさいの財産を捨て、御国を目指す一介の旅人になった理由は、この永遠の相続地(すなわち天のエルサレムとキリストご自身)を得るためであった。そこにはすでに信仰者たちの名が刻まれ、到着を待っているのである。「しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20同)▼「主は私への割り当て分、また杯。あなたは私の受ける分を堅く保たれます。割り当ての地は定まりました。私の好む所に。実にすばらしい、私へのゆずりの地です。私はほめたたえます。助言を下さる主を。実に、夜ごとに内なる思いが私を教えます。私はいつも主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることがありません。」(詩篇16:5~8同)