「しっかりした妻をだれが見つけられるだろう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。」(箴言31:10新改訳)
イエス・キリストが十字架で死の苦しみを受け、血を流されたのはしっかりした妻を得るためであった。アダムが深く眠ったとき、神がその脇腹から骨を取り、エバをお造りになったことは、その予型だったということができる。すなわち、崇高な神のひとり子の愛は聖霊によってあらゆる時代と民に宣べ伝えられ、証しされ、それによってキリストをひとすじに愛し慕う一群の人々が生まれた。これがキリストのはなよめと言われる人たち、新しいエルサレムの実体である。▼彼女たちの心深く存在する純粋で無垢(むく)な愛を知っているのは、夫キリストだけである。そして主はその愛に心が奪われるほど感動しておられることが、雅歌に歌われている。「あなたは私の心を奪った。私の妹、花嫁よ。あなたは私の心を奪った。ただ一度のまなざしと、首飾りのただ一つの宝石で。」(雅歌4:9同)▼すなわち御聖霊は私たち罪人を神の愛を満たすことにより、信じられないほど「しっかりした妻」として完成されるのである。「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」(黙示録19:6~8同)▼「御使いは私に、『子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい』と言い、また『これらは神の真実なことばである』と言った。」(黙示録19:9同)