しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <新しい天と新しい地>

2022-12-02 | 黙示録
「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」(黙示録21:1新改訳)
ヨハネの見守るなか、ついに究極の永遠が姿を現わした。彼は驚き、われを忘れて見つめたにちがいない。最初の天地創造のとき、神と共にそれを見た人間はいなかった。しかし今度はヨハネがそれを見せられたのである。かつて主が言われたことはほんとうであった。「まことに、あなたがたに言います。ここに立っている人たちの中には、神の国が力をもって到来しているのを見るまで、決して死を味わわない人たちがいます。」(マルコ9:1同)▼彼は自分の目で見た新しい世界、永遠の昔から神がご計画された世界を見て書き記し、私たちに知らせてくれた。今や誰でも黙示録を読むことにより、すでに新天新地がそこまで来ていることを知るのである。そして御座に座っておられる方は、私たちに確約し給う。「見よ、わたしはすべてを新しくする。…書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる」(黙示録21:5同)と・・。▼ここに私たちの希望がある。もはやどんなものにも止められない賛美と歓声に満ちた希望が!

・ヨルダンのかなたに広がれるは げにわがゆずりのカナンの地なり
・そこには夜なくともしびなく 神の子羊ぞ輝きます
・そこにはやまいもなげきもなく 別れも死もなく恐れもなし
・たびじのそなえはいかに友よ いざいざ行かばや あまつ国に
(折返)心はおどるよ 心はおどるよ カナンの地思うだに わが胸おどるよ
               <新聖歌516 詞:Samuel Stennett,1727-1795(UN)>

意訳:私の目の前に広がっているのは、神が相続地として与えてくださった
新天新地だ。もうそこには夜も明かりもない。神様と子羊イエス様が光かが
やいているから。そこには病気も悲しみも、別れも死もないし、何かにおび
えることもないんだ。君もその世界に入る準備はできたかい? いっしょに
行こうよ、永遠の復活世界に。うれしいな、この世界がまもなく来るなんて
思っただけでも心がおどるよ、うれしいな。


朝の露 <火の池>

2022-11-26 | 黙示録
「それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:14,15新改訳)
ここでゲヘナがはっきり姿を現わす。最終的には、よみも死もゲヘナに投げ込まれるのである。思えば、人間にはいかに恐ろしい永遠が待ち受けていることか。そう考えると、あらゆる人々はイエス・キリストのもとに駆け寄るのが当然なのに、そうしない。罪と欲望に目が見えなくなっているからである。むろん欺瞞者(ぎまんしゃ)は悪魔である。▼主イエスは、人のからだを殺せても、たましいを殺せない者など恐れる必要はない、両者をゲヘナに投げ込む権威を持っている方(すなわち御父と御子)を恐れなさい、と仰せられた。また次のようにも言っておられる。「あなたの手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろったままで永遠の火に投げ込まれるよりよいのです。」(マタイ18:8同)▼そこで私たちは、たとえどのような犠牲を払うことになっても、また信仰のゆえにいかなる迫害を受けることになっても、永遠のゲヘナに落ちることだけは避けなければならない。この世は心の目を見えなくされているから、ゲヘナの恐怖にまったく無関心である。しかしそこに落ちれば、永遠に助かることはない。その恐怖に身震いし、どのようなことがあっても救いの生涯を全う(まっとう)すべきである。

感謝なことに、どのような人にも、地上に生きているかぎり救いの機会は与えられている。あの十字架上の犯罪者のひとりは、重罪を犯して極刑に至ったが、死ぬ間際にイエスに祈った、「イエス様。あなたが御国に入れられるときには、私を思い出してください」(ルカ23:42同)と・・。そのとき主は「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」(42)とお答えになったのであった。▼つまり、生きていて、くちびるが動き、自分で言葉を発することができる間は機会が残っている。ああ神は臨終の瞬間まで、すべての人の悔い改めを待ち受けておられる。ぎりぎりまで待っておられる。永遠のゲヘナに落ちるというのがどのようなことかをご存じだからである。▼誰も人生をもてあそんではならない。時間を鴻毛(こうもう)のように見なしてはならない。永遠に後悔しないために。



朝の露 <子羊の婚宴>

2022-11-25 | 黙示録
「御使いは私に、『子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい』と言い、また『これらは神の真実なことばである』と言った。」(黙示録19:9新改訳)
子羊の婚宴はいつ開かれるか、正確なときを知ることはできないがが、淫婦バビロンが滅ぼされてからであることはたしかだ。淫行で地を腐敗させた彼女がいる間は、子羊の婚宴を開くことはあり得ないからである。またキリストの地上再臨の前であろう。というのは「天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼(つまり地上に降臨されるキリスト)に従っていた」(本章14節)とあるからだ。▼また、救われたキリスト者たちがすべて子羊の花嫁になるとはかぎらないかもしれない(→Ⅰコリント3:10~15)。今の結婚式でも、新郎新婦のほかに招待客、花嫁の友人、親戚たちといろいろあるが、天国の宴もそのようなものかもしれない。あらゆる時代から選び抜かれた聖徒たち、ひとすじに主イエスを愛し、すべての犠牲を喜んで払った少数の信仰者たちだけが花嫁になることはあり得よう。▼パウロも「競技場で走る人たちはみな走っても、賞を受けられるのは一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですからあなたがたも賞を得られるように走りなさい」(Ⅰコリント9:24同)と述べている。私たちも新婦にならせて頂いたら、どんなに嬉しく、光栄であろう。

  • 花婿来まさば ともしびの備えはいかにや 輝くや
  • 主を迎える声ひびくとき 慌てふためかず出得るや
  • 油の備えを怠りて 買いととのえずば 入るを得じ
  • そのとき栄えの集いにて 高くハレルヤを歌わばや
<折返>その夜われらは ともしび取りて出得るや
    いざ灯を手にして 主キリスト迎えよ
    いざ灯を手にして 主キリスト迎えよ
<聖歌625 Arr.from E.R.Latta>




朝の露 <過度のぜいたくによって>

2022-11-19 | 黙示録
「すべての国々の民は、御怒りを招く彼女の淫行のぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と淫らなことを行い、地の商人たちは、彼女の過度のぜいたくによって富を得たからだ。」(黙示録18:3新改訳)
終末に出現する巨大都市バビロンは、人類が営々(えいえい)として築き上げた商業文明の象徴である。▼今日の大都市はほとんどが大きな経済上の繁栄の上に成り立っている。ただし、その繁栄は清く正しい社会と道徳の上に造られたものではなく、欺瞞(ぎまん)、不正、あらゆる形の罪悪、なかでも淫行と貪欲(どんよく)の精神を土台として造られている。諸国の王や支配者たちはその富と繁栄をこよなく愛し、正義を標ぼうしながら、裏では偽りに手を染め、戦争と略奪によって数えきれない人々のいのちを奪い、流血で大地を染めてきた。まさに黙示録のバビロンと呼ぶ大淫婦が世界経済の正体にほかならない。しかもこの淫婦は神の聖徒たちをはげしく憎み、多くの迫害を加えるため、財力をもって諸王をあやつり、動かして来た。すべての時代の殉教者たちは、この女によって殺されたのである。一例を上げれば、ローマの都においてはどれだけ多くのキリスト者たちが血祭りに上げられたことであろう。コロシアムは信仰者たちが獣に食われて死んでいく見せ場であり、何万もの市民たちはそれを見ながら酒盛りをしたのであった。淫婦バビロンはそれをもっと巨大化した都市であろう。しかしその最後は悲惨なものとなる。神は彼女の行いに正しく報いたもうからである。



朝の露 <大きなしるしが天に>

2022-10-29 | 黙示録
「また、大きなしるしが天に現れた。一人の女が太陽をまとい、月を足の下にし、頭に十二の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていて、子を産む痛みと苦しみのために、叫び声をあげていた。」(黙示録12:1,2新改訳)
この女はたぶん患難時代におけるイスラエルをあらわしている。この時代を「ヤコブの悩み」と言うように、イスラエルは世界中から受ける迫害で苦しむのであろう。かつてのヒトラー時代のように・・。しかしその中で、イエスを信じるイスラエル人たちが誕生し、殉教の後、天に上げられるのではないだろうか(5)。▼またそのとき天に戦いが起こり、敗北した悪魔が完全に天の居場所を失い、地上に落とされる。そして反キリストの出現となるのであろう(9)。それ以後の数年間(たぶん四二ヶ月)、地上は空前絶後の苦しみの期間を迎える。主イエスが弟子たちに「世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです」(マタイ24:21同)とお語りになったのはこの期間のことにちがいない。▼しかし私たち・主イエスによるほんとうの救いにあずかった者には、すばらしい希望が与えられている。それはキリストの空中再臨である。主は愛するご自身のはなよめたちを、この患難に会わせないため、あらかじめ迎えに来られるのだ。かつて、エノクは大洪水が来る前に、死を見ずに天に移された。エリヤも北王国が崩壊する前に、火の車と天使たちに迎えられ、天に移されたのであった。これらは携挙のひな型と見ることができよう。だから私たちは患難時代から逃れ、空中再臨によって携挙にあずかるよう、また、最後まで信仰生活を全うできるよう祈らなければならない。

・賜物より癒しより さらに勝る与え主 主を心に入れまつり 我に足らぬことあらじ
・己が願い己がわざ 皆み旨にうち任せ 主を用いず主のために 我は絶えず用いらる
・我がものなる主は近く 再び世に来り給う 火に油を整えて 我は絶えず待ち望まん
[折返]我がすべてのすべてなる 主をほめばや 永遠(とこしなえ)に
 <たまものよりいやしより インマヌエル讃美歌343 詞:A.B.Simpson,1843-1919>