「主よ。あなたはとこしえに御座に着かれ、あなたの王座は代々に続きます。なぜ、いつまでも私たちをお忘れになるのですか。私たちを長い間、捨てておかれるのですか。」(哀歌5:19,20新改訳)
廃墟(はいきょ)になったエルサレムをながめながら、エレミヤは天をあおいで祈る。いつまで私たちを捨てておかれるのですか、と。しかし実は21世紀の今、もう主の足音は聞こえている。主はすでに十字架に完全なあがないを成し終えて復活昇天し、定められたときに世界の王として地上に再臨したもう。そのとき廃墟エルサレムはキリストの現臨によって活ける都となり、栄光は全地を照らすであろう。▼ユダの人々は今も嘆きの壁に向かって、都の回復とメシアの来臨を祈り続けている。だが真のエルサレム回復は彼らの心より始まらなければならない。すなわち、これまでの全歴史をふりかえって神に心からの悔い改めをすることだ。それは主の御足(みあし)がオリーブ山に立つとき起こるであろう。その日はエレミヤによる涙の哀歌が、永遠の喜び、歓喜に変わるときである。キリスト教会も、今やおそしとその日を待っている。▼「わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。御霊と花嫁が言う。『来てください。』これを聞く者も『来てください』と言いなさい。」(黙示録22:16,17同)