「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒されます。」(マルコ16:17,18新改訳)
福音を伝える者にともなうしるしについて語られた箇所だが、大切なのは、奇蹟を行う力とその意思は主イエスご自身が持っておられ、私たちにはない、ということである。すべてのキリスト者がいつでも、好きなようにこのしるしを行い得たなら、神よりも人があがめられて、世界は偶像礼拝でいっぱいになる。▼たとえばリステラの町で、足の不自由な人が一瞬のうちに癒やされたとき、群衆はパウロとバルナバを神様と思い込み、いけにえの牛を献げようとした(→使徒14章)。ふたりは群衆の中に飛び込み、やっとの思いでそれをやめさせた、と記されている。▼宣教でもっとも大切なのはイエスをキリストと信じ、罪深い生き方から解放されることであり、それが最大のしるしなのだ。だから私たちはこの中心からそれないよう注意しつつ宣教しなければならない。「そのとき、律法学者、パリサイ人のうちの何人かがイエスに『先生、あなたからしるしを見せていただきたい』と言った。しかし、イエスは答えられた。『悪い、姦淫の時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし預言者ヨナのしるしは別です。ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。』」(マタイ12:38~40同)