しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <永遠の審判>

2023-04-27 | ダニエル
「ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に。」(ダニエル12:2新改訳)

ダニエル書の最後におごそかな宣言が記される。すなわち最後の審判である。これは黙示録の最後で使徒ヨハネが見せられたまぼろしとおなじだ。「また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。…また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。…海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。…いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」(黙20:11~15同)▼新約の光によれば、キリストがお出でになる空中再臨のとき、まずはなよめたち、つまりキリストにある信仰者たちの復活と栄化、携挙がある(Ⅰテサロニケ4:16,17)。それに続き、地上再臨の際にも復活が起きるであろう。そして千年王国の最後に永遠の審判があり、大地に眠るありとあらゆる死人たちが復活して神の宝座の前に出、さばきを受けることになる。どちらにせよ、人間として生を受け、地上に存在した者は一人残らず神の審判を受け、永遠の救いか永遠の滅びか、どちらかに定められるのである。▼今、ダニエルのからだは、ペルシアの大地で眠っている。しかし生涯をかけて記したダニエル書にあるとおり、キリストがおいでになり、復活の世界が始まると目をさまし、神から永遠の相続地を与えられる。その日、彼の喜びはひとしおであろう。なぜなら、無数の信仰者たちを支え守るダニエル書を記すわざにあずかったのだから。「あなたは(ダニエルのこと)終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」(ダニエル12:13同)

朝の露 <すべての神よりも自分を高く>

2023-04-26 | ダニエル
「この王は思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高く上げて大いなるものとし、神々の神に向かって驚くべきことを語る。彼は栄えるが、ついには神の憤りで滅ぼし尽くされる。定められていることがなされるからである。」(ダニエル11:36新改訳)

この王はギリシア時代の人物だが、預言的にはやがて出現する反キリストを指しており、そこにダニエル預言の重要性がある。▼反キリストは人間の中で最大の高ぶりを抱き、我こそは神々の神であり、過去、現在、未来において王の王、主の主として並ぶ者は存在しないと宣言する。すなわち、父なる神と御子キリストよりも上に自分を置こうとする。ダニエルはこのような人物が終末に現われると預言した、それがダニエル書である。▼キリスト者たちはこの預言により、終末に向かって備えをすることができる。すなわち悪魔の計画と秘密を見破ることが可能になったわけで、悪天使たちが本書の出現を全力で阻止(そし)しようとしたのはそのためであった。ともあれ、時期は確実に近づいているのだから、しっかり目をさましていたい。▼ローマ帝国でAD81年~AD96年、皇帝になったドミティアヌスという人物がいる。この人はイエス・キリストを信じる人々とその教祖(すなわちナザレのイエス)に対し、真向から反抗した支配者として知られることになった。つまり、彼は自分を「主なる神」と公に呼ばせたのである。こうして彼は悲劇的結末を自分で招くことになった。彼の妻が差し向けた刺客(しかく)により殺されたのである(キリストとローマ皇帝たち:Eシュタウファー著。教文館)。▼自分を神と同じ高さに置き、神にだけ与えられる称号(しょうごう)を横取りした者は、不慮(ふりょ)の死をもってさばかれる、それが歴史の常であるようにみえる。その最後の現れが黙示録で獣とよばれる者であろう。だから私たちの生涯はまことの神をおそれ、イエス・キリストの前に謙遜そのものの生き方をしなければならない、滅びから救われたく願うのなら・・・。


朝の露 <終わりの日に起こること>

2023-04-25 | ダニエル
「私は、終わりの日にあなたの民に起こることを分からせるために来た。その幻は来たるべき日を待たなくてはならないが。」(ダニエル10:14新改訳)

人のような姿をした方(16)とは、たぶん天使のひとり、ガブリエルであろう。彼は終わりの日、つまり人類史の終末に起きることをダニエルに告げに来た。だが、これが明らかにされると不利になることを知っている悪魔は、ダニエルのところに神の使信が届かないよう、配下の天使・ペルシアの国の君を使ってガブリエルの行くてに立ちふさがらせたのである。▼おそらくペルシアの国の君とは、偶像礼拝をする人々を背後から支配し、国全体に大きな影響を与えている悪天使であろう。パウロが記したのは、このことに違いない。「私たちの格闘(かくとう)は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇(くらやみ)の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12同)▼そこへ最高位の天使ミカエルが来て助けてくれたため、ガブリエルはダニエルに預言のことばを持って来ることができた。12、13節の背景にはこのような霊界の秘密がある。▼いっぽう、ダニエルは天使の顕現(けんげん)に接しただけで仮死状態(かしじょうたい)になった(ダニエル10:8,9同)。天の世界が地上とちがっていかに聖なるものであるかわかる。とにかく、今現在も天においては激しい戦いが続いているのではなかろうか。だが私たちがこの戦いに参加することは、祈ることにより可能である。そして大祭司イエスも、キリスト者の熱心な祈りがささげられることを望んでおられるにちがいない。「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」(エペソ6:18同)


朝の露 <哀願(あいがん)の祈り>

2023-04-24 | ダニエル
「主よ。あなたのすべての義のわざにしたがって、どうか御怒りと憤りを、あなたの都エルサレムから、あなたの聖なる山から去らせてください。私たちの罪と私たちの先祖たちの咎(とが)のゆえに、エルサレムとあなたの民が、私たちの周囲のすべての者にとってそしりの的(まと)になっているからです。」(ダニエル9:16新改訳)

ダニエルはバビロンにあって、70年前に書かれたエレミヤ書を手に入れることができた。そして神がエルサレム崩壊から70年後に、民族回復のわざを始められることを知った。それが今であると知ったダニエルは、頭から灰をかぶり、粗末な衣服に着替え、断食して祈りだした、それが本章である。▼エルサレムの回復を祈るダニエルの哀願祈祷は、読者の心にひしひしとせまってくる。この章には「私たちの罪が原因です」という表現が十回以上出て来る。ダニエル個人のせいではないのに、彼は私たちの罪がエルサレム崩壊の悲劇をもたらす原因となったのですと涙ながらに祈っている。なんと砕かれた愛の心か。▼これはまさに「とりなしの祈り」がどうあるべきかの模範(もはん)を教えている。私たちの主もまた、十字架でこのとおりの祈りをされた。ダニエルは一つの民族の罪を心に負(お)って祈ったが、主イエスは全世界にもたらされた神の怒りとのろいを一身に背負って苦しみ、執り成されたお方だ。おお私たちはこの祈りのゆえにあがない出され、神の子どもとされたのである。

朝の露 <一本の小さな角>

2023-04-20 | ダニエル
「そのうちの一本の角から、もう一本の小さな角が生え出て、南と、東と、麗しい国に向かって、非常に大きくなっていった。」(ダニエル8:9新改訳)

もう一本の小さな角とは、かつてギリシア帝国に現れたアンティオカス・エピファネスと呼ばれた王だといわれる。彼はエルサレムを侵略し、その神殿に豚をささげて神を冒涜(ぼうとく)したともいわれる。▼しかし私たちにとって重要なのは、この王が予表する反キリストで、患難時代に復興(ふっこう)したローマ帝国の支配者になり、全世界を足下に置く者である。主イエスは彼を「荒らす忌まわしいもの」と呼ばれ(マタイ24:15)、パウロも「不法の者すなわち滅びの子」(Ⅱテサロニケ2:3)と呼んでいる。▼ローマ文明は今や恐ろしい勢いで発達し、科学技術はあらゆる分野でだれも想像しなかった領域(りょういき)に達しつつある。やがてこれらが反キリストの世界支配をもたらす手段となるのは疑う余地がない。▼この幻を見せられたダニエルは、どんなことにも動じない信仰の人だったが、何日も病気になって寝込んだ(ダニエル8:27)。幻の恐ろしさがわかる。だが幸いなことに、私たちには黙示録が啓示され、反キリストの最後を明確に知ることができる。「しかし、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。」(黙示録19:20同)