しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の歌 <安息に入った喜び>

2024-11-14 | 聖書エッセイ
①人の知らぬ喜びを 我は味わいぬ 
        川の此方(こなた)カナンの地は ああげに天のごとし
②いま御霊に満たされて 我はまどいなく 
        常に歌い喜べり ああげに天のごとし 
③はるか遠き御国より 奇しき歌声の 
        妙(たえ)にひびき来たるなり ああげに天のごとし 
④やがて主イエスみ使いを ひきいて来まさば
        そのみ前にわれもあらん ああそこは御国ぞ
<折> ああげに天のごとし  ああげに天のごとし 
        入りしカナンは われにとり ああげに天のごとし 

                                <インマヌエル讃美歌328 人の知らぬ喜びを 詞:J・E・French,1903>
         *世界中の全キリスト者が、この喜びに入りますように!


聖日の朝に <十字架>

2024-06-09 | 聖書エッセイ
「イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。」(ヘブル2:9新改訳)

私は過去三回手術を受けたが、いずれも全身麻酔によるものだった。そのため、眠りからさめると終わっており、からだを切る苦しみと痛みを経験することはなかった。▼しかし主イエスの十字架上の苦しみは、麻酔など一切なく、そのままの激痛が六時間続いたのである。「死を味わう」とは私たちの想像できない世界ではないだろうか。主の場合、苦しみは肉体だけでなく、神から捨てられ、のろわれるという霊魂上の苦しみもともなっていた。すなわち、人間が神から完全に捨てられ、死の苦痛を「一滴残らず飲み味わう」という状態に置かれたのが御子イエスであられた。最後に「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになるのですか」と叫ばれたが、死に完全占領された主イエスの、筆舌につくしがたい恐怖と苦しみが現れた叫びといえよう。▼父なる神は御子に死を味わわせることにより、信じる私たちをそこから解放してくださった。これが永遠のほろびから救い出されたということにほかならない。じつにほふられた子羊こそはすべての誉れ、栄光、賛美を受けるにふさわしいお方である。この死により、古い世界は終り、新しい復活の世界が始まった。どれほど賛美してもなお足りないイエス君が新世界の王である。ほめたたえよ、ほめたたえよ、主を‼