しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <シロの娘たち>

2024-11-26 | 士師記
「見ていなさい。もしシロの娘たちが輪になって踊りに出て来たら、あなたがたはぶどう畑から出て、シロの娘たちの中から、それぞれ自分のために妻を捕らえ、ベニヤミンの地に行きなさい。」(士師記21:21新改訳)

イスラエルはベニヤミン族が生き残る道として、略奪婚(りゃくだつこん)をゆるした。乱暴(らんぼう)きわまりない行為だが、当時の世界ではあちこちで行われていた風習だったと思われる。ただし、ここは部族が消える瀬戸際(せとぎわ)なので、非常手段としてゆるしたもので、イスラエルに平常の習慣として取り入れたものではない。律法では人を誘拐(ゆうかい)することは死をもって禁じられている。▼アブラハムなど族長時代でも、一般社会では、人の妻をうばうことが行われていたとあるから、神を知らない世界とは恐ろしいものだ。しかし、とにかくベニヤミン族は全滅をまぬがれ、十二部族の一員として存続していくことができた。のちにこのベニヤミンからイスラエル初代の王、サウルが起き、なお後代には大使徒パウロが輩出(はいしゅつ)した。歴史とはふしぎなものである。▼かつて族長ヤコブは臨終(りんじゅう)のとき、「ベニヤミンは、かみ裂く狼。朝には獲物(えもの)を食らい、夕には略奪(りゃくだつ)したものを分ける」(創世記49:27同)と、その将来(しょうらい)を預言した。性格のはげしさを指摘(してき)したものとして興味深い。

朝の露 <ベニヤミン族>

2024-11-25 | 士師記
「また当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた―イスラエルの子らは言った。『私はまた出て行って、私の同胞ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。』主は言われた。『攻め上れ。明日、わたしは彼らをあなたがたの手に渡す。』」(士師記20:28新改訳)

本来あってはならないイスラエルの内戦が、とうとう起こってしまった。しかも、かつてない大規模なもので、一つの部族(ベニヤミン)が消滅するかもしれないという事態にまで至ったのである。▼神はどうしてこのような状況になることを、おゆるしになったのであろう。たぶんそれはただ一つ、シナイ山で結んだ聖なる契約・律法を守って生きるということを破り、無視すれば、たとえ神の民であっても混乱と堕落のうちに消滅するしかない、という事実を実物教育のかたちで教えるためだったと思われる。▼とはいえ、神のあわれみにより、間一髪(かんいっぱつ)ベニヤミンは生き残り、サムエルの時代に入って行く。かくてベニヤミン族はユダ族とともに、バビロン捕囚まで存続することになったのである。こうした歴史を見ると、イスラエル全部族が存在できたのは彼らが優れているとか、選ばれた特別の民だとかいうことによるのではなく、ただ、一方的な神の憐れみだということを私たちは知るのである。たしかにエレミヤの哀歌にうたわれたとおりだ。「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。あなたの真実は偉大です。」(哀歌22~24同)▼私たちキリスト者も、自分に栄光を帰するのではなく、どこまでもキリストの愛と神のいつくしみをほめたたえて過ごすべきは当然なのである。「それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。」(マタイ3:8,9同)

朝の露 <士師時代の内戦>

2024-11-21 | 士師記
「それを見た者はみな、『イスラエルの子らがエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考え、相談し、意見を述べよ。』」(士師記19:30新改訳)

士師記の時代も終りに近づくと、イスラエルの道徳的腐敗はいっそうひどくなった。これはカナン原住民に感化された結果と思われる。▼それにしても起きた事件は残酷そのものだ。発端(ほったん)となったレビ人は、側女がベニヤミン人に犯されて死んでしまうと、死体を十二に切り分け、各部族に送りつけ、その犯罪を告発した。冷酷(れいこく)な行為というしかない。▼かつてソドムに住んでいたロトも、似た事件が起きたとき(創世記一九章)、押しかけた悪人たちに自分の娘を差し出そうとした。ホモ行為を防ぐために自分の娘を差し出し、好きなようにせよ、とは常軌(じょうき)を逸(いっ)した言葉で、まともな神経ではない。神に背を向けた世は、放っておくとここまで落ちるという証明であろう。たぶん現代社会も裏面ではおなじことになっているのではなかろうか。▼淫行の罪を待ち受けるのは、永遠の火という審判である。それを忘れてはならない。「しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示録21:8同)

朝の露 <ダン部族のライシュ攻略>

2024-11-20 | 士師記
「だれも救い出す者はいなかった。その町はシドンから遠く離れていて、そのうえ、だれとも交渉が無かったからである。その町はベテ・レホブの近くの平地にあった。彼らは町を建てて、そこに住んだ。」(士師記18:28新改訳)

ダン部族は遠隔地(えんかくち)におとなしく住んでいたライシュの人々を不意に襲い、ほろぼして、そこに自分たちの新しい町を建てた。これはヨシュアが神の命に従い、カナン征服戦をしたものとはちがい、自分勝手で残酷(ざんこく)な戦いであった。その上、ダン部族はそこに偶像をまつり、自分たちで選んだ祭司を任命、新しい偶像礼拝を始めたのである。士師記の記者は本章冒頭(ぼうとう)で「そのころ、イスラエルには王がいなかった」(1同)と記したが、これがすべてを説明している。私たちは、イスラエル民族といえば全員がモーセの十戒を暗唱し、守っている民と思いがちだが、士師記の時代、ヨシュアの死後になると律法は忘れ去られ、神像をこしらえ、拝んで何の罪意識も感じなくなっていたのだろう。▼「幻がなければ、民は好き勝手にふるまう」(箴言29:18同)とあるように、律法を絶えず読み、学び、王と祭司の教えに従うのでなければ、たとえイスラエルといえども道を踏み外し、堕落(だらく)の道を歩むようになる。ましてキリスト者は聖書と聖霊をあがめ、たゆむことなく教会生活を続けるべきである。「私たちは神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にあることを、私たちは知っています。また、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことも、知っています。私たちは真実な方のうちに、その御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。子どもたち、偶像から自分を守りなさい。」(Ⅰヨハネ5:19~21同)

朝の露 <ミカの宗教>

2024-11-19 | 士師記
「エフライムの山地の出で、その名をミカという人がいた。」(士師記17:1新改訳)

ミカは信仰心のあつい人物だったが、当時は律法を教える人もなかったため、各自が無知のまま礼拝をしていた。彼は自分勝手に神の宮をこしらえ、テラフィムという偶像を安置(あんち)し、息子の一人を任命して家の祭司にしていた。とんでもない律法違反だがそれを指導する者もいなかったと考えられる。▼ところが、たまたま旅をしていたレビ人の若者が立ち寄り、交渉の結果、ミカの家の専属(せんぞく)祭司となった。ミカが喜んだのは言うまでもない。こうして次章になると、ダン部族がミカの家を見つけ、この若者とテラフィムを持ち去り、パレスチナ北部の町(後にこの町はダンとよばれた)に偶像の宮を建てるに至った。以後数百年にわたり、ダンの町は南部の町ベテルとともに、偶像礼拝の中心地になったのである。▼最初はミカただひとりから始まった偶像礼拝が、発展して北イスラエルの公認宗教となった。まちがった信仰心が、いかに大きな影響をもたらすかを、この歴史は教えている。キリスト者は自分ひとりで生涯にわたり、正しい信仰の道を歩めると思ってはならない。まっすぐな道を行くために、教会生活を守り、聖書を読み、兄弟姉妹どうしの交わりを大切にし、互いに仕え合うことにはげむべきである。そうしてこそいつのまにか、それつつある自分に気づくのである。けんきょにならなければならない。また、自分が決して強い者ではなく、弱い一匹の羊に過ぎないことを心から認めることが、真に強くあることに通じるのである。