しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

聖日の朝に <それを、ここに>

2025-01-26 | みことば静想
「弟子たちは言った。『ここには五つのパンと二匹の魚しかありません。』するとイエスは『それを、ここに持って来なさい』と言われた。」(マタイ14:17、18新改訳)

イエスのまわりに群がる大群衆、その数は男だけで五千人もいたのに夕食がない。調べると食べ物は五つのパンと二匹の魚しかなかった。途方に暮れる弟子たちに、主は「それを、ここに持って来なさい」と命じられた。そしてそこから無数の人々を満腹にされたパンの奇蹟がはじまったのである。▼私たちの信仰生涯にも、ときとして、解決不可能に見える困難が立ちはだかることがある。どう考えても無理、八方ふさがりだ、そう思ってうなだれる場合がないだろうか。だがそんな中で主のお声が聞こえてくるのだ、「それを、ここに持って来なさい」と。弟子たちは、わけがわからなかったが、とにかく手元にあるわずかな物をイエスに持っていった。こんなわずかな食べ物が何の役にたつのだろうか?と思いながら・・・。こうして、あの有名な五千人の給食といわれるパンの奇蹟が起きた。▼信仰の行動とは、むだのようにみえても、ありえないと思えても、とにかくすべてをイエスに持って行くことだ。おことばにしたがって・・・。「イエスは給仕の者たちに言われた。『水がめを水でいっぱいにしなさい。』彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。『さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。』彼らは持って行った。宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。」(ヨハネ2:7~9同)

聖日の朝に <まっすぐに見えるが>

2025-01-19 | みことば静想
「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。」(箴言14:12新改訳)

かつて私の知人にAさんという方がおられた。ある晩、残業を終え、車を運転して家に向かったところ、いつもの道が工事中で通れず、迂回(うかい)しなければならなくなった。そのあたりは湖に面した農村地帯で一面に水田があり、真っ暗な中を道が縦横(じゅうおう)に走っていた。家の方向と思われる道をおよその見当をつけて車を走らせていたが、まだカーナビもスマホもない頃のこと、不安になりながらも、まっすぐな夜道を運転していた。▼ところが、その一直線の道がとつぜん終わっていて、小さな船着場(ふなつきば)になっていたではないか。アッと思った瞬間(しゅんかん)、車は水に飛び込み、ベルトを外すヒマもなく水が侵入、彼は水死してしまったのである。翌日発見され、警察の検死後、目を泣きはらすご家族といっしょに葬儀(そうぎ)に出たことが、今も忘れられない。▼人の一生もこれと似ている。自分で絶対安全(ぜったいあんぜん)と予想していても、想像できない終わりが待ち受けていたらどうするか。しかしたったひとつ、安全な方法がある。この世界にはただ一人「わたしが道である」と言われるお方が存在し、この方によりたのむ生き方をしていれば、真の救いにつながる、ということである。

聖日の朝に <ただみこころに従って>

2024-12-22 | みことば静想
「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」(エペソ1:4新改訳)

私は61年前の今日(1963年12月22日・日曜日)、教会の洗礼槽で、早朝の洗礼式にあずかった。今日はそのときと同じ日曜日で、思い出すと感無量である。▼それから早くも60年を過ぎたが、真冬の水の冷たさとともに、つい昨日のように式の光景を思い出す。私のクリスチャン生涯もご多聞分に漏れず、山あり坂ありの60年だったが、教会から一度も離れたことはなかった。といっても自分で頑張ったわけでもなく、意思が固かったからでもない。なぜか「見えない力」が私をつなぎとめて離さなかったからなのだ。ほんとうにふしぎだと思う。▼そして今、牧師家庭となり、四人の子の父親となり、11人の孫のお爺さんとなった。なにより嬉しいのは四人の子が信仰を持ち、うち3人が私たち夫婦とおなじ牧師になり、教会の働きにあずかってくれていることである。孫もすでに6人が受洗してくれた。といっても誇る気持ちなどさらさらなく、神の選びの中に置かれていることが、ただ嬉しい。なぜなら、イエス・キリストと神の国を共通の目標として歩む、その一体感がなんとも言えないのである。▼でも周囲の困難と問題を見回せば、山のようにある。その中で悪戦苦闘する毎日といったら大げさかもしれないが、かならずしも誇張ではない。第一わたしは昨年大腸がんをわずらい、腹膜播種を宣告され、末期がんと診断された。1,2カ月ごとに定期検査を受ける身だが、これもふしぎで1年たった今も日常生活を滞りなく送っている。「生きている」のではなく「神に生かされている」というのが心底実感である。81歳になり、何人もの同輩、先輩が天国に行かれ、ふすまの向こうに天国があり、そこで楽しく語らっておられるのが聞こえてくるような気分になった。▼しかし私は幸福である。持ち合わせる物は何もなく、家内と二人きりの日々だが、結構楽しく過ごしているのだから。日曜日ごとに礼拝で兄姉たちと神の前にでて、礼拝や交わりをいただくのが最高の悦楽であり、みことばとイエス様を語り合うのがこの上なくうれしい。救われる前、高齢になったらどうするのだろう?と思っていたが、花園のような場所とは予想もしなかった。共におられるキリスト・イエス、そのみことばである聖書、幼子のように無邪気に抱く信仰、人の生涯にいちばん必要なのは、この三つであると、つくづく思う。

聖日の朝に <エノクとノア>

2024-12-15 | みことば静想
「アダムから七代目のエノクも、彼らについてこう預言しました。『見よ、主は何万もの聖徒を引き連れて来られる。すべての者にさばきを行い、不敬虔に生きる者たちのすべての不敬虔な行いと、不敬虔な罪人たちが主に逆らって語ったすべての暴言について、皆を罪に定めるためである。』」(ユダ14、15)

神は罪と不道徳のため堕落した最初の人類を大洪水により滅ぼされたが、その前にエノクを生きたまま天に移るようにされた。ではいったい、エノクはどのような生涯を送っていたのであろうか。それを解くカギが冒頭のことばである。▼これを見ると、エノクがキリストの再臨を信じ、当時の人たちに警告していたことがわかる。すなわち神は突然大洪水を来たらせたのではなく、三百年の長きにわたって審判の到来を告げ、悔い改めを呼びかけていたのである。特に大洪水発生の百年前になるとノアが箱舟の建造を始め、エノクの警告をさらに現実のものとして審判の切迫を知らせたのであった。ちなみにエノクの息子メトシェラは寿命969歳、大洪水の年に死んでいる。▼エノクは空中携挙にあずかるキリストのはなよめたち、ノア一家は艱難時代を通って救われる聖徒たちの型だといわれている。今の世界を見ると、時が近づいているのを思わずにいられない。

聖日の朝に <エルサレムの老聖徒>

2024-12-08 | みことば静想
「あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いがあらわになるためです。」(ルカ2:35新改訳)

マリアとヨセフは、イエスが生まれて四〇日たったとき、エルサレム神殿に連れて行った。それはモーセ律法の規定により、いけにえをささげるためであった(レビ記12:2)。母親の胎を最初に開く男子、つまり長子は本来、神のものであり、本人の意思にかかわらず生涯を全き献身者として送らなければならない。そうしない場合、夫婦はその代わりに、全焼のいけにえと罪のためのいけにえを献げる必要があったのだ。▼さて、そのとき神殿境内にいたシメオン老人は幼子イエスを見、祝福の祈りを献げた。なぜなら、彼は長い間メシアの出現を待っていたからで、35節はマリアに向かって述べた預言である。これは祝福とはいえ、イエスの御生涯を表した内容で、おごそかな審判の内容でもあった。▼それから30数年が過ぎ、ゴルゴタのときが来た。マリアは「わが子イエス」が十字架につけられたとき、そのそばに立っていたが、大勢の人々がイエスをののしり、あざ笑う光景を見た。彼らは毎年エルサレムの祭りで、共に神を賛美し、なかよく食事をし、語り合った人々だ。その彼らが今、わが子イエスを呪い、つばを吐きかけ、くちびるを突きだし、汚れた者として非難しているではないか。たぶんマリアの心はずたずたに引き裂かれたろう。▼人間はイエス・キリストの前に出た時、本当の姿を現す。心の奥底まで、神の光によってあきらかにされる。マリアは母として、女性として、十字架かかったわが子イエスが、あのときシメオンが預言したように、「人々の反対にあうしるし」、「イスラエルの多くの人々が倒れたり立ち上がったりするために定められたしるし」であることを見た。そして心を剣で刺し貫かれたのであった。