「弟子たちは言った。『ここには五つのパンと二匹の魚しかありません。』するとイエスは『それを、ここに持って来なさい』と言われた。」(マタイ14:17、18新改訳)
イエスのまわりに群がる大群衆、その数は男だけで五千人もいたのに夕食がない。調べると食べ物は五つのパンと二匹の魚しかなかった。途方に暮れる弟子たちに、主は「それを、ここに持って来なさい」と命じられた。そしてそこから無数の人々を満腹にされたパンの奇蹟がはじまったのである。▼私たちの信仰生涯にも、ときとして、解決不可能に見える困難が立ちはだかることがある。どう考えても無理、八方ふさがりだ、そう思ってうなだれる場合がないだろうか。だがそんな中で主のお声が聞こえてくるのだ、「それを、ここに持って来なさい」と。弟子たちは、わけがわからなかったが、とにかく手元にあるわずかな物をイエスに持っていった。こんなわずかな食べ物が何の役にたつのだろうか?と思いながら・・・。こうして、あの有名な五千人の給食といわれるパンの奇蹟が起きた。▼信仰の行動とは、むだのようにみえても、ありえないと思えても、とにかくすべてをイエスに持って行くことだ。おことばにしたがって・・・。「イエスは給仕の者たちに言われた。『水がめを水でいっぱいにしなさい。』彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。『さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。』彼らは持って行った。宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。」(ヨハネ2:7~9同)