しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <祈りなさい>

2024-09-28 | エペソ書
「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」(エペソ6:18新改訳)

エペソ書を記したとき、パウロはローマの獄中で鎖につながれた日々を送っていたと思われる。それは不自由で苦しく、言葉にあらわせないつらさも伴っていた。▼彼にできることは祈りととりなしであった。来る日も来る日も、自分が巡回して回った諸教会の様子、信徒たちの顔を思い浮かべながら祈りに打ち込んでいた使徒の姿が想像できる。人生が終局に近づき、肉体も弱り、行動の自由も奪われた信仰者にとって、最後にできることは祈りである。しかもそれは、もっとも困難で忍耐のいる務めだ。神はそれをパウロに最後の働きとしてお与えになったのである。▼聖徒たちが地上でキリストのために払う祈りという労苦の大部分は目に見えず、表面に現れることはほとんどない。というのは、それらはやがて天上の大礼拝において、香の煙となって立ち上るよう定められているからである。この二千年、大祭司キリストが父なる神のそばで成しておられるとりなしも、地上の私たちの目にふれることはない。また、私たちの内におられる御霊のうめきにひとしいとりなしも、私たちには感知できない領域に存在する。なんとふしぎで妙なる事実であろう。それらがすべて神の経綸を進め、実現に至らせる絶大な霊界のエネルギーになっているのである。もし誰かが御霊に招かれ、人知れず奥まった孤独の場に連れて行かれ、そこで祈るように命じられるとしたら、それはもっとも崇高な招きである。▼この二千年、あらゆる時代に誰も知らない場に導かれ、だれも気付かない祈りの労を取った信仰者は、おそらく数えきれない数にのぼるであろう。彼らは決して表面に出ない、名もない器たち、人知れず使命を終え、消えて行った人たちにちがいない。彼らは主の御心深く存在する祷告者名簿に名前が記されている人々であり、秘密中の秘密である。香炉から立ち上った煙はしばらくは見えているが、空中に溶け、いつのまにか消えて行く。すべての煙は香となって神のいます第三の天にのぼっているのであろう。もし私たちが復活栄化して神の前に出たとするなら、天を包んでいる祈りの香という虹の雲を見るにちがいない。

朝の露 <口から出る言葉>

2024-09-27 | エペソ書
「また、わいせつなことや、愚かなおしゃべり、下品な冗談もそうです。これらは、ふさわしくありません。むしろ、口にすべきは感謝のことばです。」(エペソ5:4新改訳)

人間は言葉の動物と言われているが、すばらしい事実であると同時に、創造主の前に大きな責任を持っていることを示す。この点について使徒ヤコブは厳粛な警告を書き記した。「私たちは、舌で、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。」(ヤコブ3:9,10同)▼なんとするどい指摘であろう。今日、世界にはありとあらゆる会話や主張が飛び交(か)っているが、それらのほとんどは攻撃、中傷、嘲り、不道徳きわまりないもので、あたかも汚水のような内容だ。▼映画、小説、ネット上の情報、その他数限りない思想により、どれだけ人々の心が汚され、堕落させられていることであろう。神は世の終わりに、人が口に出した言葉のすべてをさばくと言われた。その日を思い、深く悔い改めるべきである。「まむしの子孫たち、おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えますか。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は良い倉から良い物を取り出し、悪い者は悪い倉から悪い物を取り出します。わたしはあなたがたに言います。人は、口にするあらゆる無益なことばについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません。あなたは自分のことばによって義とされ、また、自分のことばによって不義に定められるのです。」(マタイ12:34~37同)

朝の露 <古い人、新しい人>

2024-09-21 | エペソ書
「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした」(エペソ4:22~24新改訳)

古い人とは、すべての人が両親から受け継いだ生まれつきの人間性を指している。この古い人がキリストと共に十字架につけられ、死んだというのがパウロの確信であった。それなら、今キリスト者が生きているのは何によるのか?
 ▼神の聖霊が内住してくださることにより、キリスト者の内に造り出された新しい人格、すなわち新しい人とよばれるものである。救われたすべての人は、この新しく創造された人格をもって生きる自由を与えられた。これはなんとすばらしい恵みであろうか。もはや私たちは、古い人が生きていた罪の世界を生きる必要は少しもない。悪魔がどんなに耳元でささやいても心動じることなく、私は今や古い世界とは何の関係もない、「サタンよ退け」と宣言しながら生きていけばよいのである。

朝の露 <異邦人の救い>

2024-09-20 | エペソ書
「この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。」(エペソ3:5新改訳)

使徒パウロがここで述べる奥義とは、異邦人がイスラエルと共に救いにあずかり、永遠の祝福に入ることを指している。▼神は天地創造の最初に人類を造られたが、悪魔のために堕落(だらく)し、その大部分はのろわれるものとなった。人類を構成するのはほとんどが異邦人と呼ばれる存在で、それらが究極(きゅうきょく)のほろびに落ちてしまうのであれば、神のみわざは成功どころか大失敗ということになるであろう。しかし事実はそうではない。▼神のひとり子は罪に落ちた人間を救い出すため、十字架の死を味わい、その苦しみから神をひとすじに愛する美しい花嫁(はなよめ)が生みだされた。悪魔の反逆が増せば増すほど、創造の傑作品(けっさくひん)といわれるキリストの妻が輝き、やがて恵みの栄光が天地に満ちる結果となる。天地創造は失敗どころか、人知を超えた神の愛と恵みが天地に充満(じゅうまん)するためのご計画だったとは!

朝の露 <主の血により>

2024-09-14 | エペソ書
「しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。」(エペソ2:13新改訳)

ゴルゴタでキリストから流れ出た血潮は、十字架から滴(したた)り落ち、大地を赤く染めた。それが永遠から永遠にいたる人類の罪はもちろん、全宇宙と万物をゆるしきよめ、のろいから解放するものであることを、誰が悟っていただろうか。▼私たちはイスラエルから遠く離れた日本に生まれ、神の存在も知らず、先祖から伝わった偶像を拝み続け、暗黒の中に生き、そのままほろんでいくあわれな民であった。それが、今や十字架の血潮を信じることによって、神の愛子とされ、永遠の嗣業(しぎょう)を受けつぐ者とされたのである。なんという恵みであろうか。▼まもなく天上で開かれる大礼拝、ほふられた子羊は御父から巻物を受け取り、永遠の救いのご計画が幕を切って落とされる。そこで私たちは力のかぎり賛美することになろう。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」(黙示録5:13同)▼そのときが一日も早く到来しますように!

①けがれをきよむる血の泉は その深さ、広さ計りがたし
②罪の性質は全く死にて あらたなるものと造られたり
③罪の世に勝ちて、きよく歩む この身はときわに主のものなり
④主を知りまつりし、この喜び さながら御国にある心地す
    おお ほめよ、たたえよ 十字架の血潮は
    すべての罪より 我をさえ きよむ
                                                              <インマヌエル讃美歌316 詞:P.P.Knapp>