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しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <ツァレファテのやもめ>

2025-04-08 | Ⅰ列王記
「その女はエリヤに言った。『今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。』」(Ⅰ列王記17:24新改訳)

イスラエルが偶像一色に染まり、まことの信仰者が一人もいなくなったように見えた時、エリヤは外国(シドン)のツァレファテという町に住むひとりのやもめに遣わされた。なぜなら彼女は唯一の神を信じる信仰を抱き、神もそれをごらんになっておられたからである。こうして驚くべき奇蹟が外国人である一やもめの家に起こった。▼後に主イエスは言っておられる。「エリヤの時代に、イスラエルに多くのやもめがいました。三年六か月の間、天が閉じられ、大飢饉(だいききん)が全地に起こったとき、そのやもめたちのだれのところにもエリヤは遣わされず、シドンのツァレファテにいた、一人のやもめの女だけに遣わされました」(ルカ4:25、26同)と。▼今日も神は世界を見渡し、思いがけない所に思いがけない信仰者を見出しておられるのではなかろうか。私たちは謙遜な態度で、真実の信仰を与えて下さいと祈る必要があろう。


朝の露 <ヤロブアムの道>

2025-04-07 | Ⅰ列王記
「彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。」(Ⅰ列王記16:26新改訳)

北イスラエルは南ユダ王国よりも堕落(だらく)の程度がひどく、みじめなありさまになった。これは初代ヤロブアム王が金の子牛をはじめ、多くの偶像礼拝を積極的に取り入れ、信仰的に国民をはなはだしい罪に陥(おとしい)れたからである。▼ユダ王国はエルサレム神殿と祭司制度、モーセ律法が残っており、敬虔な王が時には現れ、宗教改革をしたので、北よりは神のあわれみを受け、歴史も百数十年間長続きしたのだったが、それでも大勢(たいせい)をくつがえせず、バビロンのため滅ぼされてしまった。北王国はBC721年、南王国はBC586年滅亡したのだが、神との契約を破り、むなしい偶像礼拝にふけることがいかに悲惨(ひさん)な歴史をもたらすかを、両王国の歴史は示している。▼イエス・キリストの再臨によって世界から偶像が根絶(こんぜつ)されるまで、人類史の悲劇がやむことはない。再臨を待望する理由はそこにある。「主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。」(ゼカリヤ14:9同)

朝の露 <アサの生涯>

2025-04-03 | Ⅰ列王記
「アサのその他のすべての事柄、すべての功績、彼が行ったすべてのことや彼が建てた町々のこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。ただ、彼は年をとってから、両足とも病気になった。」(Ⅰ列王記15:23新改訳)

アサ王の生涯は信仰的生き方と不信仰的生き方が混じっており、完全ではなかった。▼功績としては、ユダ国内から偶像を取り除き、宗教改革を実行したこと、母マアカがアシェラ像を拝み続けたので、皇太后(こうたいごう)の位から退けたこと、クシュ人が大軍で攻めて来た時、神を仰ぎ、信仰によって退けたことがあげられる。▼ただ本章にあるように、北イスラエルが侵攻してくると、ダマスコ王に金銀を送り、人間的な援助を依頼して神により頼まなかったという失敗を犯した。その上、不信仰を指摘した預言者ハナニを怒って牢に入れ、罪のない人々を迫害したこともあった(Ⅱ歴代誌16章)。たぶん晩年には高慢になり、周囲の助言なども聞かなくなったのであろう。最後は両足の病気になり、死んでいった。ただ人々は王の治世を全体としては評価し、盛大な葬儀で別れを惜しんだ。▼アサの治世は41年で、ダビデやソロモン王より長い。ソロモンもそうだったが、一人の王が最初から最後まで、神へのあつい信仰をつらぬくのは容易でないことがわかる。私たちもおなじで、信仰の道程を最後まで走りぬくためには、主をたゆみなく仰ぎ続ける敬虔さが必要である。あの5人の乙女たち(マタイ25章)のように、初めは熱心でも、最後には油がなくなってあわてふためき、とうとう御国の門を入れなくなってしまった、そんなことにならないように、目をさまして歩もう。

朝の露 <ヤロブアム家の末路>

2025-04-02 | Ⅰ列王記
「ところがあなたは、これまでのだれよりも悪いことをした。行って自分のためにほかの神々や鋳物の像を造り、わたしの怒りを引き起こし、わたしをあなたのうしろに捨て去った。」(Ⅰ列王記14:9新改訳)

神はダビデ王国から十部族を引き抜いてヤロブアムにお与えになった(8)。しかしそのことに感謝せず、これまでの誰よりも悪いこと、つまり偶像教を創設し、国を罪悪に導き、亡国の基礎を作ったヤロブアムに、神はきびしい審判を宣言されたのである。▼もし彼が預言者アヒヤに聞き、その教えどおりに神を恐れつつ歩んだなら、おどろくべき祝福が彼の家と北イスラエルにのぞんだにちがいない。だがヤロブアムは信仰的に盲目だった。息子アビヤが重病になったとき、恩師アヒヤに伺いを立てようと思ったのは良かったが、その贈り物がわずかな駄菓子(だがし)とは(3)、なんという預言者を軽んじた扱いか。その行為は、彼の神に対する不敬虔のはなはだしさを示している。▼彼を王に任命した信仰の師・アヒヤを眼中に置かなかったヤロブアムの不敬虔と高慢、それが命取りになった。主を心からおそれることがすべて、と述懐(じゅっかい)したソロモンを思い出すではないか。▼御聖霊はエペソ教会へのメッセージを通して、今も私たちに語っておられる。それはヤロブアムの道を歩むな、ということである。「けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。」(黙示録2:4,5同)

朝の露 <ヤロブアムの家の罪>

2025-04-01 | Ⅰ列王記
「このことは、ヤロブアムの家の罪となり、ついには大地の面から根絶やしにされることとなった。」(Ⅰ列王記13:34新改訳)

ヤロブアムは神に選ばれ、預言者アヒヤに指名されて北イスラエル王になった人物である。ところが彼はそのことを信仰もって受け入れず、人を恐れた。つまり、このままなら、国民はエルサレム詣(もう)でをするようになり、人心が自分から離れ、国は崩壊(ほうかい)してしまうにちがいない。▼こうして不安にかられた彼は、民をエルサレムに行かせないため、国内の二か所、ベテルとダンに立派な偶像の宮をこしらえ、金の子牛をまつって「これが本当の神である」と宣言したのであった。自分を王と立てた主を信ぜず、忌(い)むべき偶像礼拝の制度を創設した彼は大きな罪を犯し、それに乗ったイスラエルはヤロブアムの偶像制度から抜けきれず、数百年後にアッシリアのためほろぼされてしまった。▼人を恐れることは罪におちいるワナとなる。どこまでも主を信じ、まっすぐに信仰をつらぬけば祝福を受けたはずのヤロブアム一族は悲惨な運命をたどった。「こうして、バアシャはユダの王アサの第三年にナダブを殺し、彼に代わって王となった。彼は王となったとき、ヤロブアムの全家を討ち、ヤロブアムに属する息ある者を一人も残さず、根絶やしにした。主がそのしもべ、シロ人アヒヤを通して言われたことばのとおりであった。これはヤロブアムが犯した罪のゆえ、またイスラエルに犯させた罪のゆえであり、彼が引き起こしたイスラエルの神、主の怒りによるものであった。」(Ⅰ列王記15:28~30同)