東武鉄道は現在、伊勢崎線系統と東上線系統に大別されており、線路の直接的な接続はなく、辛うじて傍系会社でもない秩父鉄道にて何とか結ばれていますね。
大正時代、それを何とか解消したかったのか、西新井〜大師前〜上板橋に新線を建設して線路を繋ぐ計画がありました。
今なお幻の東武鉄道西板線として語り継がれていますが、もう一つの狙いとしては北千住〜秩父に石灰岩輸送のための貨物列車を走らせようということだったらしい。
しかしながら、関東大震災や買収土地価格の高騰などで結局、ご破算に。
その名残が今は全自動運行構想が取り沙汰されている大師線だろうね。
今は伊勢崎線と東上線の電車のやり取りは秩父鉄道・羽生〜熊谷〜寄居経由で行われており、ごく最近までは秩父鉄道用の保安装置まで搭載した8000系(2両組成)が移動組成を牽引していました。
しかしながら、この組成も既に車齢60歳か。今後は秩父鉄道の電気機関車に牽いてもらうことに。
秩父鉄道は未だに踏切誘導障害対策がなされておらず、東武鉄道のVVVF車は自走出来ないそうです。
この場合、西板線があればとさえ思えますね。
その後、東武鉄道は和光市〜西高島平の新線事業免許も一旦は取得し、都営地下鉄三田線への乗り入れを考えていましたが、結局、実現せず、高島平新線の構想も取りやめに。
同じ悩みは名鉄も。本線系と瀬戸線は完全に孤立したまま。戦前は堀川〜栄生の新線も検討されたらしいが、結局、今の栄町乗り入れに落ち着いていますね。