『当地域は、古くから京都の風俗習慣が色濃く伝わり、また、豊かな田園地帯での生活守護を祈る神仏信仰心も厚かった。その中で、社寺猿楽の系統の丹波猿楽や、豊作を願う心が自然神崇拝の思想となり、鎮魂のための神事芸能として生まれた田楽も、農民大衆の間に広まっていった。
その後、篠山築城にともない城下町を中心に文学や芸術文化の興隆が盛んとなった。時代の脚光を浴びて、能が江戸幕府の式楽となると、歴代城主が家門・譜代大名であった丹波篠山では、武家をはじめ領民たちの間に、能楽の習得は必修の教養の一つとされた。年間を通じて、城中や春日神社の能楽殿のほか、各所で演能が行われ、現在も、その流れはつづいているのである。
能楽資料館では、藩政時代はもちろん、能の発生期からの能面、装束、楽器などが歴史的・美術工芸的に大変貴重な数々の名品が展示され、春日神社の能楽殿や各地の演能にも使用されています。』(「改訂ふるさとの探訪」より)
その後、篠山築城にともない城下町を中心に文学や芸術文化の興隆が盛んとなった。時代の脚光を浴びて、能が江戸幕府の式楽となると、歴代城主が家門・譜代大名であった丹波篠山では、武家をはじめ領民たちの間に、能楽の習得は必修の教養の一つとされた。年間を通じて、城中や春日神社の能楽殿のほか、各所で演能が行われ、現在も、その流れはつづいているのである。
能楽資料館では、藩政時代はもちろん、能の発生期からの能面、装束、楽器などが歴史的・美術工芸的に大変貴重な数々の名品が展示され、春日神社の能楽殿や各地の演能にも使用されています。』(「改訂ふるさとの探訪」より)