私、ときどき何気なく思い付いたことにトライしてみることが多いのですが、今は食事の準備に関するトライをしています。
タイトル通り「日本式の食事をやめて」みています。
母との相性が悪い
以前から、私の母は偏食が酷いという話に、何度も触れてきましたが、私も割と早めに限界が来る性質なので、本気で母のための食事の用意が億劫で仕方がありません。
しかも、母は食事の内容もさることながら、自分の持病への影響も考えず塩分の高いおかずや、糖分が高いおやつを、制限なく食べてしまいます。
体調が心配ですし、実際一度ほったらかしておいてみたところ、数週間で救急搬送される事態になったこともあったので、ずっと塩分や糖分を意識した食事作りをして、お菓子やおやつの購入も控えていたのですが、ちょっとした口論から私の方が爆発し、数日前から母の食事の用意を放棄しています。
幸い?と言えるかはわかりませんが、最近になってやっと積極的に近所までの外出をするようになったので、母には自分の食事は自分で購入してくるように言い、私は自分の分だけ食事の用意をすることにしました。
そもそも、母の偏食のひどさから、日々の食事の用意は、私が食べたいモノと母が食べたいモノを用意する場合が多かったので、二度手間にはなっていたのですが、それもかなりのストレスにはなっていました。
ストレスを溜めないための手抜き
日ごろから、手抜き料理推進派なのですが(笑)実は、母のこともこの手抜きに繋がっています。
要するに、同じ食事を用意することができないので、いちいち作っていられないのですよね。
無職で時間があるからと言って、別々の食事を用意するなんて、正直毎日やっていたらウンザリしますよ(苦笑)
そこに、母の言ったことがカチンときて、母の食事の用意を放棄するということになったのですが、かといって自分のために用意する食事も、そこまで手の込んだ料理を食べたいわけもなく、できる限り簡単に用意できるスタイルに変更して、自分の時間を増やすことにしました。
「日本式」のやめ方
日本食を作らないわけではなく、あくまでも「日本式」にすることをやめることにしました。
その最初の取り組みが、1品ごとに器に盛り付けるのをやめることでした。
もちろん、いままでもワンプレートで済むように用意はしていたのですが、母が気に入らないおかずを残してしまうため、同じプレートに盛り付けると、後から残ったおかずをアレンジすることができなくなってしまうのですよね。
それもあって、母の分は1品ごとに器を変えたりすることもあったのですが、今は自分の分だけしか準備しなくなったので、完全にワンプレートや丼風の盛り付けをするようにしています。
また「温かい料理」も、3食のうち1回だけにすることにしました。
厳密に言うと、温かい料理を作ることは、1食分だけに限定することにしました。
例えば、昼は煮物、夜は炒め物、というように、火を通す料理を2食続けず、昼に煮物を作ったら、夜は火を通さなくても食べられるモノを用意する、という感じです。
また、作っておいた料理が余っている場合も、アレンジを加えたり温めなおしたりせずに、そのまま食べられるモノは冷たいまま食べることにしました。
冷蔵庫にも、冷たいまま食べるような食品を常備しておき、冷凍食品も自然解凍で食べられるような商品を買い置きしておくことにしました。
ちなみに、本日の私が食べた食事は、
朝:生ハム、パン、野菜サラダ
昼:ごはん(ふりかけ有)、お湯で溶いて作るみそ汁、玉子焼き、冷凍エビカツ(自然解凍)、野菜サラダの残り
夜:買ってきた総菜、パン
でした。
一番手がかかっているのが、昼食でしたが、火を使って作ったのはごはんとたまご焼きのみです。
みそ汁は、出汁とみそをお湯で溶いて、具なしスープのようにしていただきました。
参考にしたのはドイツ式?
とあるネット上の記事(たぶんブログだったと記憶しています)で、日本は食事作りに手を掛け過ぎているという内容があり(要するに炊事を請け負っている家族の負担が大きいということが概要でした)、一例としてドイツの食事を挙げられていました。
ドイツと言っても、範囲がさまざまで地域によって食生活も変わるとは思うのですが、記事を書いた人によると、ドイツ人は朝はパンとハムとチーズ、昼はパンとスープと肉や魚、夜はパンとソーセージとピクルス、という感じで(あくまでも1例です)温かい料理は基本的に1日1回(だいたいランチ?)しか食べない家庭が多い、ということらしいです。
まあ、かといって料理をしないかというとそうでもなくて、例えばピクルスなどは自家製の場合もあり、サラダは火を通さないだけで野菜を切ったり味付けをしたりはするので、日本人が認識している「調理する」ということに関して、回数が少ないだけなのかもしれません。
ヨーロッパは、保存食の文化という印象が個人的にあるので、そういったことも関係して、毎日の食事ではいちいち手を掛けないのかもしれませんね。
そういえば、マッシュポテトは日本だと温かい料理のイメージがありますが、確かヨーロッパでは作り置きしておいて、冷たいまま食べていた気がします。
昔、旅行したスペインのホテルでは、朝のブッフェで温かい料理はほぼ見かけることがなく、スープと飲み物だけが温かかった記憶があるので、一般家庭でも似たような食習慣なのかな、と思いました。
そして、よく考えてみたら、そういう食事の方が用意が断然楽になると思い、自分でも試してみようかな、と思ったことが今回のトライとなりました。
日本食でも実現可能
要するに、火を使う料理をしないことを意識するだけでいいので、日本食をやめる必要はありません。
やめるのは「日本式」だけです。
1品ごとに器に盛り付けること、毎回なにかしら火を通す料理を作ること、一汁三菜を意識すること。
これらをすべてやめて、すぐに食卓に並べられ、なおかつ温めなくても美味しくいただける常備菜を冷蔵庫や常温保存で準備しておくだけで、食事の準備はかなり楽になるはずですし、実際この数日間は食事の準備がめちゃくちゃ楽です(笑)
日本食にこだわるつもりは、私の場合ないのですが、もし日本食も定期的に取り入れる場合は、漬物や佃煮などのごはんのお供を常備して、かまぼこやちくわのような練り製品も、大体そのまま食べられるモノが多いですし、また、日本食の代表といえば、冷奴や納豆です。
豆腐と納豆は、特に意識しなくても食事の準備を楽にしてくれる食品である上に、満腹感も十分満たしてくれますよね(笑)
ふと思い出しましたが、修行期間中の僧侶は、たしか1日2回の食事(朝晩?)で、内容はごはんとみそ汁と漬物だけ(宗教による違いはあるかと思いますが)だったような気がします。
ごはんも、ホカホカの炊き立てではなく、食事係が1日1度炊いて、夜は冷ごはんだった気がします(これもお寺によって違うかもしれません)
修行は粗食が原則ですから、手抜きの料理を出しているわけではありませんが、一般家庭で日本食を楽に準備をしようと思ったら、ごはんとみそ汁と漬物に、何か調理しなくても済む品をいくつか用意すれば、結構満足できる日本食が食べられるような気がしますね。
というか、そもそも、これドイツ式に近い気がしませんか?
私だけですか?(笑)
昔の暮らし方が影響している?
日本は、キッチン設備が充実する前は、かまど、七輪、囲炉裏などで温かい料理を作っていました。
七輪や囲炉裏は、同時に暖を取るための道具や設備でもありましたから、常に火を絶やさない季節は、常に温かい料理が用意できる環境でした。
たしかに、火を起こす作業や、具材の準備などは大変だったかもしれませんが、食事を温めることだけは、寝るとき以外はいつでもできたので、現代でもその時の食習慣が根付いているのかもしれないですね。
現代は、電子レンジという便利な家電品がありますから、そういう意味では食事をすぐに温められる素晴らしい環境ですが、何故か日本人はコンロで温める食事が立派な食事だと思い込んでいる感じがします。
そういえば、女友達が結婚したばかりの頃、共働きだったのですが、友達の職場は近くに昼食を買える店や食事する店がなかったので、毎日弁当を持って行っていたそうで、ある日パートナーも弁当を作ってほしいとお願いしてきたそうです。
友達は、自分の分を作るときと同じ感覚で、冷凍食品を駆使して朝から電子レンジフル回転だったそうなのですが(笑)
パートナーにはじめて弁当を作ってあげた日の夜、帰宅したパートナーから
「レンジでチンしたおかずを入れるのは、やめて」
と言われカチンときて、だったら自分で作りなさい、私はそんな時間がありません(通勤時間が長かったらしいです)と、パートナーの弁当作りをたった1回でボイコットしたそうです(苦笑)
その後、パートナーは自分で弁当を作るようになったそうですが、さらにその後はどうなったのかまでは、わかりません。
しかし、なぜレンジで温めたおかずを、このパートナーは嫌ったのでしょうか?
私には、正直理解できません(苦笑)
レンジで温めても、立派な食事になっていて美味しければ、それで十分ではないでしょうか?
添加物の心配?味のレベル?
手作りしたからと言って、それらがクリアになる保証はありませんからね(使う調味料に添加物が入っていたらアウトだし、味も個人差がある)
日本人は、そろそろ気が付いた方がいいです。
毎回手作りしたり火を通したモノを用意しなくても、美味しい食事はできるってことに(笑)
そして私は、しばらく我流の「ドイツ式もどき」の食事を徹底したいと思います(笑)
ふと気が付くと、内容が長くなってしまったので、とりあえず今回はこの辺で終わります。
でも、独身の私でさえ、食事の準備は本当に面倒だと思うのですから、家族の中で家事全般を担当している人は、炊事の時短は永遠のテーマですよね。
食事の準備を簡単にしても、それは当たり前のことであって責められる筋合いはない、と認識される日本に、早くなってほしいです。
COVID-19の収束と同じくらい、早くそうなってほしいです(笑)
タイトル通り「日本式の食事をやめて」みています。
母との相性が悪い
以前から、私の母は偏食が酷いという話に、何度も触れてきましたが、私も割と早めに限界が来る性質なので、本気で母のための食事の用意が億劫で仕方がありません。
しかも、母は食事の内容もさることながら、自分の持病への影響も考えず塩分の高いおかずや、糖分が高いおやつを、制限なく食べてしまいます。
体調が心配ですし、実際一度ほったらかしておいてみたところ、数週間で救急搬送される事態になったこともあったので、ずっと塩分や糖分を意識した食事作りをして、お菓子やおやつの購入も控えていたのですが、ちょっとした口論から私の方が爆発し、数日前から母の食事の用意を放棄しています。
幸い?と言えるかはわかりませんが、最近になってやっと積極的に近所までの外出をするようになったので、母には自分の食事は自分で購入してくるように言い、私は自分の分だけ食事の用意をすることにしました。
そもそも、母の偏食のひどさから、日々の食事の用意は、私が食べたいモノと母が食べたいモノを用意する場合が多かったので、二度手間にはなっていたのですが、それもかなりのストレスにはなっていました。
ストレスを溜めないための手抜き
日ごろから、手抜き料理推進派なのですが(笑)実は、母のこともこの手抜きに繋がっています。
要するに、同じ食事を用意することができないので、いちいち作っていられないのですよね。
無職で時間があるからと言って、別々の食事を用意するなんて、正直毎日やっていたらウンザリしますよ(苦笑)
そこに、母の言ったことがカチンときて、母の食事の用意を放棄するということになったのですが、かといって自分のために用意する食事も、そこまで手の込んだ料理を食べたいわけもなく、できる限り簡単に用意できるスタイルに変更して、自分の時間を増やすことにしました。
「日本式」のやめ方
日本食を作らないわけではなく、あくまでも「日本式」にすることをやめることにしました。
その最初の取り組みが、1品ごとに器に盛り付けるのをやめることでした。
もちろん、いままでもワンプレートで済むように用意はしていたのですが、母が気に入らないおかずを残してしまうため、同じプレートに盛り付けると、後から残ったおかずをアレンジすることができなくなってしまうのですよね。
それもあって、母の分は1品ごとに器を変えたりすることもあったのですが、今は自分の分だけしか準備しなくなったので、完全にワンプレートや丼風の盛り付けをするようにしています。
また「温かい料理」も、3食のうち1回だけにすることにしました。
厳密に言うと、温かい料理を作ることは、1食分だけに限定することにしました。
例えば、昼は煮物、夜は炒め物、というように、火を通す料理を2食続けず、昼に煮物を作ったら、夜は火を通さなくても食べられるモノを用意する、という感じです。
また、作っておいた料理が余っている場合も、アレンジを加えたり温めなおしたりせずに、そのまま食べられるモノは冷たいまま食べることにしました。
冷蔵庫にも、冷たいまま食べるような食品を常備しておき、冷凍食品も自然解凍で食べられるような商品を買い置きしておくことにしました。
ちなみに、本日の私が食べた食事は、
朝:生ハム、パン、野菜サラダ
昼:ごはん(ふりかけ有)、お湯で溶いて作るみそ汁、玉子焼き、冷凍エビカツ(自然解凍)、野菜サラダの残り
夜:買ってきた総菜、パン
でした。
一番手がかかっているのが、昼食でしたが、火を使って作ったのはごはんとたまご焼きのみです。
みそ汁は、出汁とみそをお湯で溶いて、具なしスープのようにしていただきました。
参考にしたのはドイツ式?
とあるネット上の記事(たぶんブログだったと記憶しています)で、日本は食事作りに手を掛け過ぎているという内容があり(要するに炊事を請け負っている家族の負担が大きいということが概要でした)、一例としてドイツの食事を挙げられていました。
ドイツと言っても、範囲がさまざまで地域によって食生活も変わるとは思うのですが、記事を書いた人によると、ドイツ人は朝はパンとハムとチーズ、昼はパンとスープと肉や魚、夜はパンとソーセージとピクルス、という感じで(あくまでも1例です)温かい料理は基本的に1日1回(だいたいランチ?)しか食べない家庭が多い、ということらしいです。
まあ、かといって料理をしないかというとそうでもなくて、例えばピクルスなどは自家製の場合もあり、サラダは火を通さないだけで野菜を切ったり味付けをしたりはするので、日本人が認識している「調理する」ということに関して、回数が少ないだけなのかもしれません。
ヨーロッパは、保存食の文化という印象が個人的にあるので、そういったことも関係して、毎日の食事ではいちいち手を掛けないのかもしれませんね。
そういえば、マッシュポテトは日本だと温かい料理のイメージがありますが、確かヨーロッパでは作り置きしておいて、冷たいまま食べていた気がします。
昔、旅行したスペインのホテルでは、朝のブッフェで温かい料理はほぼ見かけることがなく、スープと飲み物だけが温かかった記憶があるので、一般家庭でも似たような食習慣なのかな、と思いました。
そして、よく考えてみたら、そういう食事の方が用意が断然楽になると思い、自分でも試してみようかな、と思ったことが今回のトライとなりました。
日本食でも実現可能
要するに、火を使う料理をしないことを意識するだけでいいので、日本食をやめる必要はありません。
やめるのは「日本式」だけです。
1品ごとに器に盛り付けること、毎回なにかしら火を通す料理を作ること、一汁三菜を意識すること。
これらをすべてやめて、すぐに食卓に並べられ、なおかつ温めなくても美味しくいただける常備菜を冷蔵庫や常温保存で準備しておくだけで、食事の準備はかなり楽になるはずですし、実際この数日間は食事の準備がめちゃくちゃ楽です(笑)
日本食にこだわるつもりは、私の場合ないのですが、もし日本食も定期的に取り入れる場合は、漬物や佃煮などのごはんのお供を常備して、かまぼこやちくわのような練り製品も、大体そのまま食べられるモノが多いですし、また、日本食の代表といえば、冷奴や納豆です。
豆腐と納豆は、特に意識しなくても食事の準備を楽にしてくれる食品である上に、満腹感も十分満たしてくれますよね(笑)
ふと思い出しましたが、修行期間中の僧侶は、たしか1日2回の食事(朝晩?)で、内容はごはんとみそ汁と漬物だけ(宗教による違いはあるかと思いますが)だったような気がします。
ごはんも、ホカホカの炊き立てではなく、食事係が1日1度炊いて、夜は冷ごはんだった気がします(これもお寺によって違うかもしれません)
修行は粗食が原則ですから、手抜きの料理を出しているわけではありませんが、一般家庭で日本食を楽に準備をしようと思ったら、ごはんとみそ汁と漬物に、何か調理しなくても済む品をいくつか用意すれば、結構満足できる日本食が食べられるような気がしますね。
というか、そもそも、これドイツ式に近い気がしませんか?
私だけですか?(笑)
昔の暮らし方が影響している?
日本は、キッチン設備が充実する前は、かまど、七輪、囲炉裏などで温かい料理を作っていました。
七輪や囲炉裏は、同時に暖を取るための道具や設備でもありましたから、常に火を絶やさない季節は、常に温かい料理が用意できる環境でした。
たしかに、火を起こす作業や、具材の準備などは大変だったかもしれませんが、食事を温めることだけは、寝るとき以外はいつでもできたので、現代でもその時の食習慣が根付いているのかもしれないですね。
現代は、電子レンジという便利な家電品がありますから、そういう意味では食事をすぐに温められる素晴らしい環境ですが、何故か日本人はコンロで温める食事が立派な食事だと思い込んでいる感じがします。
そういえば、女友達が結婚したばかりの頃、共働きだったのですが、友達の職場は近くに昼食を買える店や食事する店がなかったので、毎日弁当を持って行っていたそうで、ある日パートナーも弁当を作ってほしいとお願いしてきたそうです。
友達は、自分の分を作るときと同じ感覚で、冷凍食品を駆使して朝から電子レンジフル回転だったそうなのですが(笑)
パートナーにはじめて弁当を作ってあげた日の夜、帰宅したパートナーから
「レンジでチンしたおかずを入れるのは、やめて」
と言われカチンときて、だったら自分で作りなさい、私はそんな時間がありません(通勤時間が長かったらしいです)と、パートナーの弁当作りをたった1回でボイコットしたそうです(苦笑)
その後、パートナーは自分で弁当を作るようになったそうですが、さらにその後はどうなったのかまでは、わかりません。
しかし、なぜレンジで温めたおかずを、このパートナーは嫌ったのでしょうか?
私には、正直理解できません(苦笑)
レンジで温めても、立派な食事になっていて美味しければ、それで十分ではないでしょうか?
添加物の心配?味のレベル?
手作りしたからと言って、それらがクリアになる保証はありませんからね(使う調味料に添加物が入っていたらアウトだし、味も個人差がある)
日本人は、そろそろ気が付いた方がいいです。
毎回手作りしたり火を通したモノを用意しなくても、美味しい食事はできるってことに(笑)
そして私は、しばらく我流の「ドイツ式もどき」の食事を徹底したいと思います(笑)
ふと気が付くと、内容が長くなってしまったので、とりあえず今回はこの辺で終わります。
でも、独身の私でさえ、食事の準備は本当に面倒だと思うのですから、家族の中で家事全般を担当している人は、炊事の時短は永遠のテーマですよね。
食事の準備を簡単にしても、それは当たり前のことであって責められる筋合いはない、と認識される日本に、早くなってほしいです。
COVID-19の収束と同じくらい、早くそうなってほしいです(笑)