2024年1月7日、丹波亀山城に登ってきました。
今年初の城攻めをどこにしようかと悩んでいたのですが、比較的近隣でお城っぽい(笑)ところを選んで、丹波亀山城にしました。
100名城ではありませんが、とある特徴が興味深いところなんですよ。
こんなトコどす。
京都駅に着いたのが、12時過ぎというていたらく。京都駅の地の果てのJR嵯峨野線ホームに向かう途中、特急丹後の海がいました。
青くてカッコいいですね。
私は各駅停車に乗ります。嵐山を通るので混んでるかなと思ったら、ほどほどの込み具合でしたよ。
およそ30分で亀岡駅。
京都サンガ(旧京都パープルサンガ)のホームタウンですので、紫色っぽく駅名表示板が描かれています。
明智光秀っぽくもありますね。
南に向かって歩いて5分で、明智光秀さんの像です。その後ろが亀山城址です。
隣には亀山城の鯱がいました。コンニチワです_〆(・ω・*)
今は南郷公園となっていますが、像の後ろはお堀なのです。
ひっそりと城址の石碑が。これがあると嬉しいのです(笑)
しかしお城への入口がありません、忍者よろしくお堀は渡れないし……おっと、お城の東側から回り込めば良いみたいです。
では進みましょう。
南郷公園の東端。釣りをしている親子連れがいました。
低い石垣があり、そこを進むと、
宗教団体大本の入口です。ここに入りますよ。Wikiはこちら。
丹波亀山城は大本の本部にある訳なのでした。
なかなかに広い通路を進むと、地図がありました。
写真にも記載している通り、城址エリアには拝観券が必要です。
隣のみろく会館受付に行きましょう。
受付の方に見学の申し出をして拝観券を購入、同時に案内図をいただき、御城印も購入しました。
非常に丁寧な受付をしていただきました。
受付には丹波亀山城の資料がありました。
光秀時代の天守はなく、天下普請による記述が多かったですね。
藤堂高虎が今治城から持ってきたとか、日本初の層塔型天守なんだとか。
1872年明治5年の写真で在りし日の亀山城。
大本の教祖出口さんが大正時代に購入(!)して城址を整備して本部として利用している訳なのです。
天下普請により西国大名が石垣を運んできたそうです。
美しい積みですね。
上の写真の橋を渡って大本の万祥殿に御面会。失礼無いようにちょっとご挨拶。
左脇の道から入ると、門がありました。当時の本丸入口なんですって。
石垣が見えてきました!
右に折れると、
明智光秀お手植えの大銀杏だそうですよ!!保存のためここまでしか見れません。
でもここだけの話、江戸時代中期には折れてしまったとか、もう何が何やらとっ散らかってます(´・ω・`)
見事な石垣です。下の三分の一が穴太積みだそうですが、素人の私には区別がつきません( ;∀;)
更に奥に進むとこんなところに来ました。
大本の神域であり、ここまでが限界です。戦前の大弾圧事件で、警察によって壊されてしまったらしいのですよ。
お城内はここまでです。戻りますよ。
進んできた石垣をまた見ながら戻ります。組み直したらしいのですが、大変だったでしょうね。
おや、右手に何かあります、来る時は分からなかったのですが。
お馴染み、井戸です。受付の方がまだ水が出るのですよと教えて下さいました。
あ、安土城よりも大きい……ホンマやろか?
ん、穴太積みは下から13段目までだそうですよ。では確認!!
うーむ、線らしきものがある様な、いや、無い様な(笑)
攻城団さんの記事に、花明山植物園に足を伸ばすべき、とあったので行ってみました。
この時期ですから花はほとんどありませんが、たくさんの植物がありました。
そこから見えた石垣がこちら。
高いですねえ、石垣。
探検を終えて戻る途中、万祥殿の下の橋を通ります。
みろく会館に戻って3階で約10分のビデオを見せていただきました。桜や緑の時期がもっと良さそうですね。
ビデオにはこんな絵図もありました。立派な天守だったようです、凄いなあ。
しかし亀岡駅に亀山城(笑)
更に言うと伊勢にも伊勢亀山城というお城があるのです、ややこしい(笑)
もっと酷い話があって、1632年寛永9年、江戸幕府は丹波亀山城の天守を壊すように堀尾忠晴(堀尾忠氏の息子)に命じるのですが、忠晴さんは【間違えて】【亀山違いで】伊勢亀山城の天守を解体しちゃったんですって。
お咎めがあったかどうかは知りませんが、堀尾忠晴は翌年に34才の若さで亡くなり、跡継ぎのなかった堀尾家は断絶しちゃいました( ;∀;)
おっと脱線しました、駅に向かってまずは京都駅を目指します。
でわ。