1993年8月、私はアウシュビッツを訪れました。
「アンネ・フランクを訪ねる旅」でした。
「私たちは忘れない。もし、忘れさせようとする人々がいたら、
私たちはいっそう強く思い出すだろう。
忘れてしまったら、私たちに未来はないのだから・・・」
この言葉は博物館の碑に書かれているものです。
戦後76年たち、アウシュビッツについて
知っている人はどのくらいいるのでしょう?
「アウシュビッツ」「大量虐殺」『ホロコースト』
という言葉だけは知っているが、
内容を知らない人も多いのではないでしょうか?
元五輪開会式ディレクターの小林賢太郎氏が芸人時代に
「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という言葉を使い、
ホロコーストを笑いのネタにしたことが問題になりました。
これは小林氏だけの問題ではなく、
日本の平和教育の問題でもあると思います。
戦争を体験した方は90歳を越える方が多くなって、
話を聞くことが難しくなっています。
家族や教師から戦争の話を聞く機会も
減っているのではないでしょうか?
テレビでもお笑いやバラエティばかりで
平和や戦争を扱った番組はほとんどないといっても
いいでしょう。
だからこそ、学校で史実に基づいて丁寧に次の世代の人たちに
教えなければならないのに、
教科書から戦争・原爆記述は減少しています。
さらに、日本の戦争を美化・正当化 するような
教科書も出てきています。
28年前の写真でセピア色になっている上、
硝子越しに写したものが多く、見にくいですが、
本などからではなく、
ここでは、あえて私の写した写真を
見ていただきたいと思います。
(少し明るさなど修正しています。)
書き添えた文章はほぼ当時のままです。
トップの写真はアウシュビッツの正門です。
「働けば自由になれる」と書かれています。
アウシュビッツ近くを走る鉄道
このように貨車で運ばれた。(模型)
収容所の有刺鉄線(高圧電流が通っていた。)
左側は収容所の台所
以下はアウシュビッツ内の展示品
チクロンB(毒ガス)
刈り取られた髪の毛と髪の毛で織った布
髪の毛はドイツの会社でマットレスと布地になった。
靴の山
ブラシの山
鞄の山
義手、義足の山
眼鏡の山
子どもたちの遺品
遺された日用品
収容された人々が写された三枚一組の写真
収容者が着せられた衣服