DPF-7002とは直接関係ない余談です。
DPF-7002のレベルからはずいぶんと落ちますが、
オーディオ機器の優劣を測るハードル低めの目安として、
RHINOがリマスタリングしたCDがダメと分かるか否かが挙げられます。
これまでもこのブログの端々でRHINOを貶める発言をしてきましたが、
なぜRHINOがダメかというと、音楽をパーツパーツにばらした揚げ句、
ただの音の羅列にしてしまっているからです。
一見解像度はものすごく上がったように感じますが、きちんとした機器で聴くと、
奥行きが無く、音が横一列平面に貼り付いています。
音楽をやっている方には、音をパーツごとに分解してサンプラーで再生した感じと言えば
分かってもらえるでしょうか。
PhotoShop等で画像処理をやっている方には、シャープを掛け過ぎた感じと言えば
よいでしょうか。
文学をやっている方には、行間が無い感じと言えばよいでしょうか。
粒は立つけど音が周りの音と交わらず、且つ、次の音との関係が希薄です。
演奏の表現の微妙なニュアンスが出ません。
でも、こんなに音楽ソフトとしては失格と言ってよいのに、
以外と良い評判が多いのが残念です。
オーディオって寂しいなと思います。
音楽が好きでオーディオをやろうという方は、最低限、この違いが分かる機器を手にして
欲しいと願います。
そういう方にオーディオってこの程度のものという認識を持たれることが、
音楽が好きでオーディオをやっている身としては一番残念なことです。
さて、ここまでRHINOと一括りにしてきましたが、
私が持っているのは以下の8枚だけです。
イエス「こわれもの」「こわれもの(DVD-AUDIO)」「危機」「リレイヤー」「ドラマ」
シカゴ「ファースト」「セカンド(DVD-AUDIO)」
レッド・ツェッペリン「マザーシップ」
でも全て上述に当てはまるハズレでしたので、一括りにしてもバチは当たらないだろうと思います。
もしかして既にRHINOが心を入れ替えている可能性もあるかもしれませんが、
ハズレ率100%で怖くて他のCDは買う気にならないので、これからもRHINOのものは、
ずっとこの8枚だけだと思います。
RHINOがつぶれて持っているタイトル全てが開放されるといいなと思います。
DPF-7002のレベルからはずいぶんと落ちますが、
オーディオ機器の優劣を測るハードル低めの目安として、
RHINOがリマスタリングしたCDがダメと分かるか否かが挙げられます。
これまでもこのブログの端々でRHINOを貶める発言をしてきましたが、
なぜRHINOがダメかというと、音楽をパーツパーツにばらした揚げ句、
ただの音の羅列にしてしまっているからです。
一見解像度はものすごく上がったように感じますが、きちんとした機器で聴くと、
奥行きが無く、音が横一列平面に貼り付いています。
音楽をやっている方には、音をパーツごとに分解してサンプラーで再生した感じと言えば
分かってもらえるでしょうか。
PhotoShop等で画像処理をやっている方には、シャープを掛け過ぎた感じと言えば
よいでしょうか。
文学をやっている方には、行間が無い感じと言えばよいでしょうか。
粒は立つけど音が周りの音と交わらず、且つ、次の音との関係が希薄です。
演奏の表現の微妙なニュアンスが出ません。
でも、こんなに音楽ソフトとしては失格と言ってよいのに、
以外と良い評判が多いのが残念です。
オーディオって寂しいなと思います。
音楽が好きでオーディオをやろうという方は、最低限、この違いが分かる機器を手にして
欲しいと願います。
そういう方にオーディオってこの程度のものという認識を持たれることが、
音楽が好きでオーディオをやっている身としては一番残念なことです。
さて、ここまでRHINOと一括りにしてきましたが、
私が持っているのは以下の8枚だけです。
イエス「こわれもの」「こわれもの(DVD-AUDIO)」「危機」「リレイヤー」「ドラマ」
シカゴ「ファースト」「セカンド(DVD-AUDIO)」
レッド・ツェッペリン「マザーシップ」
でも全て上述に当てはまるハズレでしたので、一括りにしてもバチは当たらないだろうと思います。
もしかして既にRHINOが心を入れ替えている可能性もあるかもしれませんが、
ハズレ率100%で怖くて他のCDは買う気にならないので、これからもRHINOのものは、
ずっとこの8枚だけだと思います。
RHINOがつぶれて持っているタイトル全てが開放されるといいなと思います。
マイクはスピーカーと同じく原始的な仕組みなので感度の限界が低く、実はとても扱いが難しい機器で、そのためマイクセッティングにも色々なノウハウが生まれました。
ソロボーカルを離れた距離から集音するのと、歌手の目の前で集音するケースを考えてみると分かり易いと思います。
マイクが音源から離れ過ぎてしまうと、細かい息遣いなどが捉えられなくなります。
これがホールだと、ホールの響きで小さな音はもっとマスキングされてしまいます。
なので、クラシックの録音にはそこそこオンマイクでのマルチマイク録音が必要なんです。
おそらく、ご指摘の70年代のグラモフォンのクラシックLPは、このマイクセッティングおよびミキシング、もしかしたらマスタリングでヘマをしているのだと思います。
拙ブログ2010年09月21日の記事に書きましたが、70年代は60年代までの職人の技が急速に失われていった時代なのではないかと思っております。
ぽっと出の未熟な技術者がぽっと出の最新機器で、わけも分らずやっちゃったのではないでしょうか。
もしくは、技術者がまともだったとしても、カラヤンが間抜けな指示をしてそれにスタッフが逆らえなかったのかもしれません。
ただ、バッハやベートーベンの重要な曲や何日か前の記事に書いたエルガーの協奏曲のような演奏の精神性を問われる音楽ではないもの(スペクタクルが売りの曲や現代音楽やカラヤンが指揮するほとんどの曲)は、こんなことは関係なく、テラークとかがやっているマイク2本だけの録音でもよいと思います。
オーディオの、「音」を聴くという面でいうとこっちの方が楽しいですし。
この切り分けができていない人がオーディオ評論家にいっぱいいて嫌です。
影響力大きいのに。
お前らはベートーベンに触るなと思います。
こちらこそえらそうなこと書いてすみません。
オンマイク自体は悪いことではないので、おそらくそれは、ノウハウを知らない人がマイクセッティングを担当したか、耳の悪いエンジニアがミキシングかマスタリングをそういう音にしていたのだと思います。
私のレコード棚にもその手のレコードがあったと思います(二度と聴いていません)。
そうかと思うと反響音を拾い過ぎて音楽をマスキングしてしまっているレコードもあったりして、なんかクラシックの録音はデタラメというか無政府状態だなと思ったことがあります。
そういうのに比べると、まだポピュラー音楽の録音の方が音楽を大事にしているなと思いました。
好きなミュージシャンの楽器の歌わせ方(声も含む)、デリケートだったり荒々しかったり沈んだりはっちゃけたりと、時々で千変万化する表現が、詳細まで全て分かると嬉しいじゃないですか。
録音された音源を鮮度を落とさずに収録したソフトであれば、レコーディングブースでミュージシャンを目の前にしているように、それが伝わってきます。
これはポピュラーやクラシックの独奏だといい線いっているソフトも沢山あるのですが、オーケストラでは極端なものでは前述のような酷いものもあり(あくまでも例えですが、ベルリンでなくてシンシナティでもいいじゃんと思ったものもあります)、なかなか難しいのかなと昔は思っておりました。
オーケストラでもそれが可能なのだということを知ったのは、あるオーディオの集まりに私が今持っているSPUを持参し、クリュイタンスがベルリンフィルと録音した第九のオリジナル盤を聴いたときです。
楽団員一人ひとりの意志が伝わり、それにより音楽自体が意志を持っているように感じられる、凄いものでした。
コンサートホールの生のオケで得られる感動を家庭で再現するのは不可能ではないと気付きました。
前提として、それが再生できる装置が必要というのはありますが(このへん現在のオーディオ界って寂しいなと思います)、これが私が定義する良い音です。
と、格好良いことを書きましたが、最近はロックやアイドルのCDばかり買って、クラシックのCDはあまり買っておりません。
N響アワーや定期公演の放送が、上述の細かいニュアンスまでもが伝わってくる程音が良くなった上に、それをタダで聴けるのが、その一因です(受信料は払っております!)。
でも一番の理由は、CDを買うときに、おっさん100人くらいのぎゅうぎゅう詰めと、可愛い女の子10人の詰め合わせのどちらを買おうかとつい不埒なことを考えてしまうせいです。