日本には古来素晴らしい自然と文化があり、日本人は他国人にはない、繊細で審美的な感受性を備えています。それに加えて、もののあわれなどの美しい情緒、武士道精神からくる慈愛、誠実、惻隠の情、名誉、卑怯を憎むなどの「形」を持っています。
秋の虫の音を聞いて、ものの哀れを感じられるのは、日本人だけです。欧米人はただ「うるさい」と言うでしょう。
物事に対してどう感じるかは、その人の、いままでに経験し歩んできたことの積み重ね、素養のようなものが大きく左右します。出発点をどう決めるかで、その人の行動が左右されます。
最近の日本は欧米化が進み、日本古来の、ものの哀れを感じる美しい情緒、慈愛、誠実、惻隠の情、卑怯を憎む形、こういったものが薄れてきています。
これらを取り戻して、日本に素晴らしい「国家としての品格」を取り戻しましょう。
(「国家の品格」(藤原正彦著)より)
秋の虫の音を聞いて、ものの哀れを感じられるのは、日本人だけです。欧米人はただ「うるさい」と言うでしょう。
物事に対してどう感じるかは、その人の、いままでに経験し歩んできたことの積み重ね、素養のようなものが大きく左右します。出発点をどう決めるかで、その人の行動が左右されます。
最近の日本は欧米化が進み、日本古来の、ものの哀れを感じる美しい情緒、慈愛、誠実、惻隠の情、卑怯を憎む形、こういったものが薄れてきています。
これらを取り戻して、日本に素晴らしい「国家としての品格」を取り戻しましょう。
(「国家の品格」(藤原正彦著)より)
私の母98歳、家内の母88歳。今日は家内の母が入院している大多喜病院へ行ってきました。
家内が大きなカーネーションの植木鉢を持ってゆくので、何でそんなに大きなのを持ってゆくのか、と聞いたら、「だって来年の母の日に、持ってゆけるかどうか分からないから・・・」というのでした。
家内の母は、5~6年前に脳梗塞をわずらい、病院、老人保健施設、老人ホーム、そしてまた病院と転々と動かされています。
いまや自分で食事が摂れず、胃に穴を開けて、甘酒のような色をした液体を点滴で流し込んでいます。昨年あたりから相当弱ってきて、今日はほとんど口を利いてくれず、私や家内が「私が誰だか分かりますか?」と聞いても、ニヤニヤとするだけでとうとう一言も口を利いてくれませんでした。
98歳のほうは、ミキサー食ながら、自分で自分の口から食事をとれて、何やらわけの分からないことを大声でしゃべっています。でも、私のことは何とか分かるようです。
家内が大きなカーネーションの植木鉢を持ってゆくので、何でそんなに大きなのを持ってゆくのか、と聞いたら、「だって来年の母の日に、持ってゆけるかどうか分からないから・・・」というのでした。
家内の母は、5~6年前に脳梗塞をわずらい、病院、老人保健施設、老人ホーム、そしてまた病院と転々と動かされています。
いまや自分で食事が摂れず、胃に穴を開けて、甘酒のような色をした液体を点滴で流し込んでいます。昨年あたりから相当弱ってきて、今日はほとんど口を利いてくれず、私や家内が「私が誰だか分かりますか?」と聞いても、ニヤニヤとするだけでとうとう一言も口を利いてくれませんでした。
98歳のほうは、ミキサー食ながら、自分で自分の口から食事をとれて、何やらわけの分からないことを大声でしゃべっています。でも、私のことは何とか分かるようです。
堅い話でごめんなさい。今日の新聞記事からの抜粋です。
米国のブッシュ政権が、4年毎の国防計画をこのほど発表しました。前回と同じく先制戦略の堅持を掲げていますが注目すべきことは、先制攻撃は神聖なる国連憲章の基本原則に反するにもかかわらず、前回ほど論争がなかったということです。
今回、風向きが変わった理由には、世界各国もまた、新たに現れた脅威に関する経験を積んだことがあげられます。
だが、先制戦略には固有のジレンマがあります。この戦略は、事前に証明出来ない想定を元にしているからです。
かっての英国の政治家チャーチルは、ナチス政権の危険性に警告しましたが、それを基に先制攻撃していたら、10年後に数千万の死者を出さずにすんだかも知れません。
最大の課題は、脅威をどう定義し、どのような手段でそれに抵抗するかです。
各国が勝手に先制攻撃の権利を主張しあえば国際秩序は大混乱に陥り、大量破壊兵器の拡散を促進する結果になりましょう。
必要なのは、普遍的で広く容認された原則と、その遂行にふさわしい仕組みでありましょう。
米国の先制戦略はその点について多くを論じていませんが、先制攻撃が適用されるのは、甚大な損害をもたらす能力と、今にも攻撃しようとする意思を持つ敵に対してであり、このような切迫した状況下では、軍事力を行使する権利が認められるでしょう。その最も明白な対象は、主権国家内の領土内から作戦を行うテロ組織でありましょう。
いまだ切迫していないがいつの日にか圧倒的な存在となりかねない脅威の出現を事前に阻止する「予防的な軍事力行使」とは一線を画さなければなりませんし、大いに議論を要するところです。(以下省略)
以上は、H・キッシンジャー 元米国務長官の揮毫から抜粋したものです。
写真は我が家の「タイム」(ハーブの一種)です。(タイムをとってよく考えましょう)
米国のブッシュ政権が、4年毎の国防計画をこのほど発表しました。前回と同じく先制戦略の堅持を掲げていますが注目すべきことは、先制攻撃は神聖なる国連憲章の基本原則に反するにもかかわらず、前回ほど論争がなかったということです。
今回、風向きが変わった理由には、世界各国もまた、新たに現れた脅威に関する経験を積んだことがあげられます。
だが、先制戦略には固有のジレンマがあります。この戦略は、事前に証明出来ない想定を元にしているからです。
かっての英国の政治家チャーチルは、ナチス政権の危険性に警告しましたが、それを基に先制攻撃していたら、10年後に数千万の死者を出さずにすんだかも知れません。
最大の課題は、脅威をどう定義し、どのような手段でそれに抵抗するかです。
各国が勝手に先制攻撃の権利を主張しあえば国際秩序は大混乱に陥り、大量破壊兵器の拡散を促進する結果になりましょう。
必要なのは、普遍的で広く容認された原則と、その遂行にふさわしい仕組みでありましょう。
米国の先制戦略はその点について多くを論じていませんが、先制攻撃が適用されるのは、甚大な損害をもたらす能力と、今にも攻撃しようとする意思を持つ敵に対してであり、このような切迫した状況下では、軍事力を行使する権利が認められるでしょう。その最も明白な対象は、主権国家内の領土内から作戦を行うテロ組織でありましょう。
いまだ切迫していないがいつの日にか圧倒的な存在となりかねない脅威の出現を事前に阻止する「予防的な軍事力行使」とは一線を画さなければなりませんし、大いに議論を要するところです。(以下省略)
以上は、H・キッシンジャー 元米国務長官の揮毫から抜粋したものです。
写真は我が家の「タイム」(ハーブの一種)です。(タイムをとってよく考えましょう)