中々直接ご臨終シーンを流さない昨今、そこまで騒がれることのほどは・・・・・・あるか。
家茂、というよりは紀州派と、慶喜を取り巻く一橋派の確執が強過ぎて、両者直接対面が中々叶わなかったのは当時の限界でしょうか。
浅く調べただけではありますが、当時の公儀にある人材(渋沢、小栗忠順、勝麟太郎・・・・・・)が活用できていれば多分倒幕はなかったかもしれないと思います。同時に、人材活用が叶わなかったことそのものが徳川家の限界だったのだろうとも思います。
腐っても当時の政権を支えた官僚集団=旗本御家人、人材は十分にいるものです。
逆に薩長土肥他西南雄藩も、真に優れた人材はそこまで多数というわけでもありません(維新三傑と大久保利通は代わりがいないと思いますが、他は誰かしら代わりがいるのではないでしょうか)
個人的には、同じ武州の百姓が出自ということで渋沢栄一と土方歳三が意気投合するシーンがツボでした。