通っていた小学校に、楽焼の先生をしているという用務員のおじさんがいた。
そのおじさんの特技?を授業に生かすべく、私や弟達は1年生から
楽焼の作品を1年に一作品つくることになっていた。
1年生は、均等に丸く粘土をのばして手形を作って終り。
ただ1年生の手でこれを造るのは難しかった。
で毎年、少しずつ進化して手びねりで小さな花瓶みたいなものを
作るくらいまでを6年間かけて、図工の時間にやっていた。
粘土を乾かして、色をつけたらおじさんが学校に作った
釜でひたすら焼いてくれるのだ。
小さな小学校で1学年100人足らずの学校だったので出来たのかもしれない。
確か、夏休み前か後くらいには出来ていたように思う。
毎年、このイベントが大好きで楽しみにしていた私。
病気になってから、無性に土いじりがしたくなって、篠山の「立杭焼」の里に
車を走らせて、小さなコップを作ったけれど、とても重くて
つかえたもんじゃない。(笑)
この間、怪獣たちが自分達で粘土をこねてみたい・・・と言ったとき、
実は密かに「しめしめ」と思った私。
怪獣の付き添いで行って、自分の粘土をこねよう!!
そのおじさんの特技?を授業に生かすべく、私や弟達は1年生から
楽焼の作品を1年に一作品つくることになっていた。
1年生は、均等に丸く粘土をのばして手形を作って終り。
ただ1年生の手でこれを造るのは難しかった。
で毎年、少しずつ進化して手びねりで小さな花瓶みたいなものを
作るくらいまでを6年間かけて、図工の時間にやっていた。
粘土を乾かして、色をつけたらおじさんが学校に作った
釜でひたすら焼いてくれるのだ。
小さな小学校で1学年100人足らずの学校だったので出来たのかもしれない。
確か、夏休み前か後くらいには出来ていたように思う。
毎年、このイベントが大好きで楽しみにしていた私。
病気になってから、無性に土いじりがしたくなって、篠山の「立杭焼」の里に
車を走らせて、小さなコップを作ったけれど、とても重くて
つかえたもんじゃない。(笑)
この間、怪獣たちが自分達で粘土をこねてみたい・・・と言ったとき、
実は密かに「しめしめ」と思った私。
怪獣の付き添いで行って、自分の粘土をこねよう!!