サイプレス

鬱病になり不安定な毎日。今は宝塚熱が再燃して、これがいい処方箋になっています。

ピンクの髪の毛

2009年03月31日 | つぶやき



日曜日、美容院に行って髪を切ってもらった。

この美容院と言うのが曲者で、病気がひどい時は、ドタキャンは
するわ、行ってもすぐに寝るわ・・・・、とにかく
2~3時間座っているのが苦痛だった。

最近は、大分ましになって、寝てしまうこともあるけれど、
前みたいに座るや否や寝る!!なんてことは無くなった。

で、歳のせいか、というかお陰かというか、白髪が目立ってきたので、
髪の毛を染めることが必須である。
ところが、ヘアカラーなるものはアレルギーの関係で使えないので、
ヘアマニキュアと呼ばれるものをしている。

もう少し年齢が上なら、グレイな髪も格好いいのだろうけれど、
中途半端なわたしの年齢と、これまた中途半端な白髪では、
みじめさが漂う。

何回か、自分で家でやってみたけれど、すぐに色落ちして、
毎月しなきゃいけなくなるのと面倒なのがいやなのと、
こんなに毎月したら、髪に良くないかな?と、
思って美容院でしてもらっている。
さすがは、プロである。
三ヶ月くらい別に行かなくても気にならない。

ヘアカラーは、髪の色全体が変ってしまうが、ヘアマニキュアは
白髪だけが染まるというもの。
なので、白髪が目立ってきたと言っても、若い頃に比べての話で、
何色で染めても余りびっくりするようなことにはならない。(笑)

で、春なので今回は「ピンク」にしませんか?と、言われて、
面白そうだったので、すぐにOKしちゃった。

染めてもらっている時、びっくりするような「まっピンク」だったので、
びっくりしたけど、実はこんなの大好きなのだ!!
仕事柄、派手にはあまりしにくいけれど、派手好みな私。
しばしの間、「ピンクレンジャー」みたいになった。

でも、ヘアカラーではないので、髪の毛全体が「まっピンク」になったわけではない。

ほんのり、ピンクがきらっと光る程度なんだけど、自己満足なのだ!!
ふふふ・・・・。(笑)

イエローマジックオーケストラ

2009年03月30日 | 音楽



お彼岸に、お墓参りに行こうと車に乗ったら、FMから聞こえてきたのは、
坂本 龍一の声。
おもわず、「教授!!」と、声が変わってしまう私。

YMOのメンバーの一人だ。
私が、彼らを知ったのは、小学校6年生の時。
NHKのドキュメンタリーで、世界で成功している日本人として
紹介されていたのだ。

坂本 九が、「SUKIYAKI」で、アメリカのヒットチャートに
入ったとか聞いていたけれど、私にとっては昔話だった。

それが、現在進行形で世界でコンサートをしている。
音楽で世界に出て行くなんて、子供だった私にはすごくたいしたことのように、
感じたのだった。

それから、中学・高校とYMOに彩られていた。
でも、やっぱり好きなのは、初期のころの「テクノポリス」や「ライディーン」や「キュー」。

テクノポリスのビデオ


散会するときの、「君に胸きゅん」は、その当時のアイドル一辺倒の
歌謡界への揶揄だと子供ながらに思ったけれど、やっぱり初期のころが
好きだなぁ~。

このグループが、好きなのは三人が三人の個性で活躍しているところ。
グループって、何故か一人か二人に比重がかかりがちだけど、
この三人は、それぞれ一人でもやっていける人たちばかり。

甲乙つけがたいけれど、坂本龍一と細野晴臣は本当にすごいなぁ~と、
いつも思っている。
特に細野晴臣はいつも緻密なチャレンジャーだ。
最近の坂本龍一は、少しポップになっていて、もう少し昔みたいに、
するめみたいな噛めば噛むほど味わいが出てくる・・・そんな音楽が
聞きたいのだけど・・・・な。

雅子さまと「新型うつ」

2009年03月29日 | うつ病




香山 リカ著

と言っても、立ち読みだ・・・。(笑)

斜め読みってやつかな?

某深夜テレビ、とある方が発言された雅子妃は「新型うつ病」
というものに対する彼女の見解だと思った。
彼女は、新型うつ病ではなく、うつ病もしくは、双極性Ⅱ型を
疑っているようだ。

これは、私も同感である。

雅子妃は、初めの1年は全く外出することが出来ないほどの
状態だったことを考えれば、非常に疲れきった状態、
又は、長い間緊張した時間を過ごしていたのだろう。
無理をしていた時間が長いほど、療養時間は長くなるのだ。

雅子妃の真面目さを私自身が感じたのは、お妃として宮内庁が
発表して初めてカメラの前に姿を現した時。
それまでは、ダークな色合いに、ピシッとしたキャリアファッション
だった彼女が、前髪を立ち上げて、お嬢様ファッションで現れたとき。
「あ~~この人は、自分の立場や立ち位置をすごくよく知っていて
すぐにそれに合わせる事ができるんだ~~」
と、感心していた。

ご成婚の後、中東ご訪問の折に、深夜まで訪問国の勉強をしているという
話を、母から聞いたときは「すごいなぁ~。笑って、手を振っているだけに
みえるのに・・・」と、私は思っただけだったが、母が
「あの子は、何事も真面目に取り組むから、可哀想や・・・」
と、言っていたのを最近思い出した。

母は、こんな状態を予感はしていなかっただろうが、何か感じるものが
あったのだろう。

最近、雅子妃のことを良く書いている本を読んだが、びっくりしたのは、
お妃教育が始まって、歴代の天皇が何をしたか・・・という
お勉強で本を渡された彼女は、約1ヵ月後の授業で、大学ノート60冊ほどに
内容をまとめて、質問や疑問を先生に投げかけたらしい。

一ヶ月で、大学ノート60冊って・・・一日2冊ペースだ。
おまけに、そればかりしていたわけでないことを考えると、
すごい真面目で勉強熱心だ。

もちろん、皇太子もこんなことを知っているから、優しく見守って欲しいと
再三述べているのだろう。

先週発売の週刊文春で林真理子氏が、雅子妃を、言ってはならないことらしいが
と、断りつつ、彼女の病気をうつ病だとし、又、今上天皇も、皇太子時代、
家庭ばかりに目が行っていると、批判された事実も踏まえて、
皇太子の取っている行動を称賛し、また、こころの病を知った
新しい皇太子妃が、新しい皇室を作られるだろうと・・・とのべていた。

一年も全く外出できないほどの病状で疑われるのは、うつ病。
ただし、それまでの頑張りや、外務省時代徹夜もいとわなかった・・・
というエピソードは、双極性も疑われる。
療養が長引いた原因の一つは、初めの1年、内科による診療だったことが
大きいかもしれない。
精神科の医師を宮内庁に呼ぶことに抵抗があったのだろうか・・・。

美智子皇后が、やはり精神的に落ちたときには、精神科医の
神谷 美恵子医師が行ったのに・・・・。

ともかく、今の主治医はうつ病の有名な医師だし、日本に認知療法を
広めた医師なので、その方面からも治療が進んでいるだろう。
とにかく、焦らないことが一番の治療だから、ゆっくりしていただきたい。
でも、ちょっと外出されると、あ~~良くなったんだな~~って、
ついつい気になってしまうのだけど、この国民の目が彼女の病状を
なかなかすっきりさせないのだろうな。


で、話題の新型うつ病は、病気の初めから、仕事や学校だけ行けないで、
後の場面は非常に元気。
おまけに、うつ病の人が、ひどいときには、極度の自己否定観念にとらわれるのに
対して、驚くほど周りが悪いと攻撃的なのが特徴らしい。
なので、医師自体も、今までのうつ病の患者と違って、
感情移入しにくい、というか、理解しにくいのだそうだ。
これは、若い人に増えている病気なので、これから、会社等で
大きな問題となりそうだ。

って、普通のうつ病ですら、めちゃ難しい世の中ですが・・・・。(笑)





ポーの一族

2009年03月28日 | 読書



数日前の新聞に、萩尾 望都の「ポーの一族」について
紹介されている記事が目に付いた。

「別冊少女コミック」に連載されていたのは、72~76年だそうな。
私が、この漫画を初めて読んだのは中学生の時。
漫画好きの同級生に勧められてだった。

短編の漫画で、長編のストーリーをつむいでいく方法で、
一番最初は、少年と少女が普通に生活しているように見えるのだけど、
少し影の部分が見える・・・そんな終り方だった。

そのうち、この子達が吸血鬼で、この姿のまま何百年も生きていかないと
いけない運命であることや、妹である少女が吸血鬼と見破られて
殺されて兄は、一人で生きていく孤独感を味わいながら、
同志になってくれそうな子供を捜している・・・。

この漫画自体が、時系列に並んでいなくて、100年単位で
時間があっちこっち移動する。
今から考えればこの漫画を受け入れたこと自体が、子供ってすごいな!!
と、思ってしまう。
おばちゃんになってからじゃ、この世界は難しかったかもしれない・・・。

でも、この漫画当時の文壇にも影響を与えて漫画=子供の読み物
ではなくて、文学である・・・という立場にまで漫画を引き上げた作品の
一つだ。

今、こんな状況になった私は、(吸血鬼であるという人には、)ばれてはいけない
悩みを抱えて生きていくことの大変さを知るようになって、
この漫画の持つ奥深さを改めてしみじみと思い返すのだ。
作者が、趣味で心理学系の本を読むのが好きだと言うせいか、
いつも彼女の漫画の主人公はどこかアウトサイダーの悲しみに満ちていて
それでいて、奥が深い。

最近も、「残酷な神が支配する」を連載。
こちらも、人間の残酷さ、もろさ、人格破壊と・・・テーマは重い。
でも、彼女のタッチと言葉の選び方で読者は救われる。
そんな彼女の漫画に出会えて幸せなのだ。

鉄人28号とガンダム・・・等身大

2009年03月27日 | つぶやき



神戸の新長田に「鉄人28号」の等身大のフィギアをつくるとか、
つくるためのプロジェクトが始まったとかで、神戸では
このポスターをチョクチョク見かけるようになった。

高さは、18メートルだそうな。
大体、6階建てだな。
しかし・・・、鉄人28号には余り私はなじみが無いので、
食指は働かないが、でも、お祭り好きだし、近いから、見に行きそうだ!!(笑)


それより、私が、心惹かれるのは、東京の等身大の「ガンダム」。

奇しくもこちらも18メートル。
なんか、戦闘用ロボ基準なのかなぁ~~。

別に、巷に言われているような、「ガンダムおたく」では、無いが、
一番最初のガンダムを見ていて、あの名台詞、
「僕をぶったね。父さんにもぶたれたことがなかったのに・・・」
というのを、リアルタイムで見ていたし、私の友人の中に
ものすごいガンダムファンがいて、会えばガンダムの話しかしない・・・
という、女性がいた。
そのおかげで?、ガンダムおたくを自称する友人のお子様には、
いい誤解をしてもらっている。(笑)
私は、ガンダムのことを知っていると思っているようだ。
知っているのは、初回分のみだし、それも記憶があいまいになっている・・・。
でも、夢を壊しちゃいけない・・・。

今回、東京で2ヶ月の限定で公開されるのを実は密かに羨ましくて
仕方が無いのだ。

4月からは、新しい気持ちで、仕事に精をだして、夜行バスで東京へ
行ってこようかな・・・?(笑)

疲れているのに、寝付けない・・・・

2009年03月26日 | うつ病



社会復帰を始めた頃は、夜の8時ごろには疲れて寝てしまい、
翌朝の4時ごろに目が覚めて、また、会社に行く頃に
急激な眠気が襲ってくるのが悩みだったが、
これは、Drを変えて、新しい睡眠導入剤を利用することで、
すぐに解決したのだけど、最近になって問題が発生。

体も頭も、仕事をするようになってきて疲れているのに、
寝られないというか、寝付けない。

少し前に11時ごろに薬を飲んでも1時ごろかひどい時は
2時にならないと眠れず、おまけに7時間は寝ないと
目が覚めないので、会社にいけない日が出てきた。

で、Drに相談すると、夜10時ごろに飲んでみてください
とのことだった。
それで、2週間過ごしてみたが、どうしても、週5日のうち
1日上手く行かない。

今日は、受診日だったので、夜10時に薬を飲んでも
ひどい時は1時ごろまで寝付けずに、朝、動けない・・・、
行かないといけないと、頭ではわかっているのに・・・・、
と、訴えてみた。

寝付けない理由は、笑うことに今の私には負担になる程の
仕事をしているから、脳が興奮して寝付けない・・・とのことだった。
まあ、エネルギーがないから、気がつかないうちに無理をしているのかも
しれない。


ということで、今日は、少しきつめの導入剤になりました。
これからの1週間どうすごせるか・・・モルモットです。


定額給付金の申請

2009年03月25日 | つぶやき


先週末に、定額給付金の申請書がやってきた。
こういったものの処理は素早い私。(笑)

さっさと、必要な書類をコピーして、はんこを押してポストに入れた。
しかし、返信用の封筒が、妙に小さくてA4の紙をどうやって入れるのか
しばし悩んでしまった。
よくある定型版の封筒ではなくて、紙を4つ折りにして丁度の大きさで、
おまけに、のり代が小さくて糊付けが難しそうだったので、
セロテープで送ったよ!!
察するに定型版だと、3つ折にしないと、案内封筒に入らないから
サッと入れられる、小さめの封筒にしたのだろう・・・しかし、
返送するだけとはいえ、使い勝手が悪いよ!!(笑)
お金を貰うのに、何をブ~たれているんだか・・・。

今、神戸のコンビニのコピー機はちょっとした行列が出来ている。

たった、10円のコピーだけど、これはすごい経済効果かもしれない!!

それに、最近これに関して思い直したことは、全世帯に配るお金を
自治体だけで出来るはずも無いから、半年ほどのことだけど、
下請けの業者や、コールセンターのお姉さんにも仕事が回るよなぁ~、
ということ。
たいした、経済効果ではないけれど、こういった、地道な無駄?も
必要かも?と、思い始めている・・・。

写真は、神戸の観光地の一つ「花時計」です。
季節や、イベントごとに図柄が変わるので、神戸にお越しの際には
必ずチェックしてみてくださいね!!

黒部の太陽・・・テレビ版

2009年03月22日 | つぶやき



タイトルを聞いたら、もう見なくては・・・・。

小学校三年の夏休みの旅行は、初めての信州だった。
その時、行ったのが黒部ダム。
このダムは、長野と富山にまたがっているが、関西電力の所有だ。


母は、戦中、戦後に相次いで父親や兄を亡くして、中学を
卒業すると同時に働き始めた。
まだ、妹や弟がいて、家族を養うことが喫緊の課題になったからだ。
その時、祖母が見つけてきた職場が「関西電力」だった。
それでも、高校に行きたい気持ちはあって、夜間で卒業したのだ。

で、昭和20年代後半に入って、相次ぐ停電が国民の生活や産業の育成を
阻んでいた状況だったので、電力をまかなうことが大きな課題となったらしい。

もちろん、母はその時の話を知っていたわけではないが、紙一枚、鉛筆一本、
無駄にしないように、この事業が失敗すれば、会社がつぶれるだけでなく、
沢山の人に迷惑をかける・・・ということで、小さな支店でも
悲壮感があったらしい。

こんな経緯があったので、黒部ダムの一般観光が始まってまもなく、
私たちは家族旅行で訪れた。
今はもう無いが、大町側の扇沢駅の前に国民宿舎があって、
夜にはそこで、このダムをつくるのにどれほど皆が苦労したかを
見せてくれる上映会があって、そこで記録映画を見た私。
記憶に残っているのは、大量の水の中で働くおじさん達の姿だ。

で、朝早くからトロリーバス・ケーブルに乗って、ダムへと向った。
トンネルを抜けて、開けた景色は絶景だった。
ダムは、大きすぎて形がわからない。

今は外階段は封鎖されていて、山の中の階段を登るようになっているが
その当時は、外階段で上に上がって行くと、すごい水量で
水が落下しているダムの姿が見えてきた。
とても綺麗なアーチ型で、本当にすごい、綺麗、と思ったのだった。

この工事には、のべ100万人の人が関わった。
こんな難工事だから亡くなられた方もいる。
母とは、何回かここへ行ったけれど、必ず手を合わせていた姿を
思い出す。

ここは、春・夏・秋いつ行っても、とてもいいところだ。

黒部・立山アルペンルート

きっと、母の思いを少しは私が感じていたからかもしれない。

なので、昨日のテレビを見ながら、
楽しみながら・泣きながら見ていたんじゃないか・・・と、想像するのである。