妻、千恵子選手の絵手紙仲間から里芋をいただいた。
スーパーなどで売っている一つ一つがころころとしたもの
ばかりではなく、親芋に子芋が、そして孫芋までくっついた
ものもいくつかあった。
自宅で作ったものだという。
それにしても自分で育てるとは?・・・
確かにその家は何代も続く旧家のようなので広い敷地内のどこかに
里芋を育てるぐらいの土地は十分にあるだろうと想像がつく。
私の友人たち「爺さんカルテット」の一人は定年後、貸農園を借りて
いろんなものを作ることに興味を示し、今も楽しみながら野菜を
育てることに没頭している。
以前、里芋にも挑戦したが水遣りで失敗したと言っていた。
私も里芋についてはジャガイモよりもはるか昔から食されていると
いうことや湿潤な土壌が良い・・という程度のことを僅かに知っている
だけで育て方などの知識はもちろん皆無である。
どんなものを育てるにしても収穫まではいろんな苦労があることを
考えると、この里芋もあだや疎かにはできないと思い、感謝して
いただかなければ・・・と。
そしてふと思った(気が付き、思い出した)。
私の住むマンションの隣家も町内では苗字の数では1、2、番を
競う何代も続く広い土地を持った旧家(元農家)であり、マンション
(A館)の駐車場側に隣接する土地には里芋が植えてあったことを・・・
余談だがこの元農家は周辺にも多くの土地を持ち、私達の住む
マンションも元はこの家が持つ土地であった。
また道路を挟んだ向かい側の「介護サービス付き高齢者住宅」や
その隣の「有料老人ホーム」などの土地もこの旧家がもって
いたものだという。
さらには幾つもの駐車場も・・・
マンションのB館の駐車場の向かい側の住宅街の民家でも
最近里芋の大きな茎や葉を見かけるようになったが、それは日増しに
その勢いを増し、ますます大きく伸びている・・・
この家は数年前に隣家が引っ越した後、その土地を買い(?)、
空き地となった場所をすべて家庭菜園にしたのだと聞いていた。
野菜類も年々増え、成果が上がっているようで住宅街の中の
立派な畑を周りでみる私達も楽しく感じる。
今では農家も認めるであろうと思われるような立派な野菜畑となっている。
さて、その勢いよく育っている里芋の事だが一般の住宅地の跡を
畑にしただけの場所でどのようにして水を?・・と考え、以前
畑をはじめた頃と同じ様に自宅からホースを使って水やりを
しているのかと思うと・・・・
な、な、なんと、これが・・・
いつの間にか道路側に、昔よく見かけ、或いはどこの家庭でも
よく使っていたあの鋳鉄製の「手押し型ポンプ」が鎮座ましまし、
太陽の光を鈍く反射させていた。
そのボディの色も懐かしいあのくすんだ緑色・・・
懐かしさに思わず近寄ったが鉄格子(フェンス)の向こう側でもあり、
またみだりに触ることも出来ないのでいつか家主と顔を合わせた時にでも
じっくりと見せてもらおう・・・と思っていたのだが今朝、B館の
管理事務所へ書類を持って行くときにふとみるとその畑に家の
主人らしき人がいた。
早速、向かいのマンションの住人であることを説明し、側で見せて
いただきながら話を聞くことに・・・
そして真相がわかった。
年々、立派になるこの畑をみたマンションの住人の間ではその家の
主人は隣の家が引っ越したあと、その土地を買ったという説があったが
実は住人が引っ越したと思われてたその家ももともと現存する家の
物であったという。
そして、居住している側の家には十分な広さがあるので人生の後半は
野菜作りを楽しもうと自家栽培に目覚めた主人が隣のもう一棟を壊し、
畑にしたのだとわかったのだ。
そして最近になってポンプが現れたことについては・・・
この家も今は周りの新興住宅街と同じような造りだが元々は古くから
この地に住んでおり、以前から庭の隅にあった小さな井戸を再利用
することにしたのだという。
側でしげしげと見ながらあれこれ質問する私にその家のご主人は
何かの種をまきながらマスク越しのくぐもった声で応えてくれたのである。
突如として現れたこのポンプのいきさつもわかり、納得・・・
みれば確かに木製の台に本体をとめる箇所やハンドルと本体の
接続部分、ハンドルとピストンロッドの連結部分などのボルト、
ナットがすべて新しいステンレス製のものに交換されていた。
私達近くに住む住民の間ではいつしかその畑について語られることも
多いと聞いている。
立派な野菜の評価(?)のような話題もあり、その高い評価に
気づいたというご主人は私に成功体験を語るなどご満悦・・・
昔と違い、近所づきあいも少なくなった現在、何かのイベント的なものが
無い限り近くといえども交流の機会は少なく、ましてやマンションの
住人となると近くの住宅の人の顔もわからず、すれ違いざまに会釈を
することはあっても話す機会などはほとんど無いのが現状・・・
日頃小学生の登下校時に声をかけるようにして気さくな爺さんぶりを
発揮しているつもりなのだが今日は近隣でまた人の良きふれ合いを
感じるひとときでもあった。