今日、午前中に長野の友人からずっしりと重い荷物が届いた。
宅配便の配達の人も台車で運んだその箱を渡すときに千恵子選手では
持てないと悟ったのかニコニコ顔で『重いですよ~っ!』と言いながら
『どこに置きましょうか?・・』と聞いていた。
千恵子選手はすかさず『お父さ~ん、ちょっと来てぇ~』と大声で
私を呼んだのだ。
大きくしっかりとした段ボール箱を開いてみると・・・
送られてきたものはサツマイモと多少傷があるものも混ざった大小
さまざまなリンゴ・・・そして説明メモと通信文
サツマイモは自宅の庭で作ったという
友人曰く(通信文)・・・
リンゴは近隣からしょっちゅういただくが家族(老夫婦)では
食べきれないので、あちこちへ送り、我が家へも送ったとのこと。
いつものことだが我が家でも二人では多すぎるくらいの量であり、
それは子供たちにも食べてほしいからだという。
その夫婦は私たちとほぼ同年代でやはり夫婦ともに物を大切に・・・
特に食料品は無駄にせず感謝していただく・・・という気持ちから
大小さまざま、そして種類も、少し傷のあるものも送ることにしたのは
『shimaさんの家なら多少傷がついたリンゴも喜んで食べてくれるだろう』
『shimaさんの家なら多少傷がついたリンゴも喜んで食べてくれるだろう』
と、思い、失礼を承知で・・というより分かり合える仲だから譲って
くれた人の収穫の気持ちも汲み、敢えて選ばず送ってくれたようだ。
その気持ちが嬉しい。
サツマイモもまだ畑の土が少しついている状態のままであることで
余計に新鮮味を感じた。
綺麗に洗い、皮の色がはっきりとわかるものもそれなりにいいと思うが
綺麗に洗い、皮の色がはっきりとわかるものもそれなりにいいと思うが
やはり、掘りたてのものには一段と甘さや美味しさのイメージが湧く。
テラスに折りたたんで保管してある段ボールの中からリンゴを入れる
ものを二つ選び、サツマイモは段ボール箱の中に新聞紙を敷いて
保存することにした。
サツマイモを触ると既に乾いた土の塊がぽろっ、ぽろっと下へ・・・
そして動かすたびに細かい土がさらさらと落ちていった。
親指と人差し指や中指を軽くこすると目に見えないような細かい土の
粒子の感覚が指先に伝わってくる。
ああ、この感触は・・・そうだ、いつか味わったこの感覚・・・
思い出すのに時間はかからなかった。
それは遥か昔・・67年前の小学6年生だった時・・・
みんなで観察を兼ねて学校の裏庭で育てたサツマイモの収穫後、
幾日か経ったときにそれをみんなで食べるために手分けして
準備し、洗う前に周りの土を手で落としたあの時・・・
指先の感覚はまさにあの時と同じだったことを思い出した。
感動が蘇りこれもある意味では一つの「What a feeling」なのかも
しれないと思った。
そしてもう一つの思い出も・・・
収穫した芋は先生の指導の下に給食用の大きな鍋で茹でて
学校の2階の畳敷きの「裁縫室」で裁縫台を並べて食べたこと・・・
男子生徒が「裁縫室」へ入ることはなかったのでそれも珍しく
きちんと整理してある綺麗な表紙の「へら台」や「くけ台」などを
いじりだす男子生徒もいた。
各家庭でもへら台やくけ台は見ていたかもしれないが、母親の
大切なものをみだりに触ることはなかったと思うのでこの時とばかりに
触ったのだと考えられる。
へら台やくけ台と言えば・・・
今年の6月13日に投稿した記事にもそのへら台やくけ台が意外なことで
紹介されている。
以下はその記事から一部抜粋したもの・・・
母の道具である「へら台」は時々、私と弟の遊び道具でもあった。
生徒さん達のための幾つもの「へら台」を開いて屏風のように立て、
つづら折りのようにして作った通路を行ったり来たり・・・
『神聖なる道具を遊びに使うとは不謹慎な・・・』などと叱らなかった
母のことを考え、私達も倒して傷つけたり汚したりしないよう
子供ながらに充分注意しながら遊んだ日からもう既に70年以上も
経っているのにまだ数日しか経っていないような気がする。
こうして今日は友人からの秋の収穫物と元気の報せを兼ねた
ずっしりと重く、嬉しい贈り物に感謝しながら長野の澄み渡る青空と
少し冷たく、すっきりとした空気を頭に描きながらお礼の手紙を
書き、遅い昼食後に投函しようと思っている。
2日前には
先日も千恵子選手の友人から