『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

花たちは律儀

2021-10-12 10:34:05 | 喜怒哀楽をポジティブに
我が家の近くに過去の記事でも何度も登場した花いっぱいの家がある。
広い庭の中と入り口の門扉周辺が花で埋め尽くされたような花いっぱいの
Aさんの家・・・・
私が契約している駐車場の斜め前で、そこを通る時にはお互いに
笑顔で挨拶を交わし、立ち止ってしばらく話すこともしばしば・・・

私たちよりは少し若いご夫婦だが共に花好きで、常に花の話題に
事欠かない楽しいご夫婦なので私たち夫婦もその笑顔に惹かれ、
ついつい足を止めてしまうのである。
普段は寡黙とも思えるご主人は花の育て方、手入れの仕方などについて
話すときはまるで別人のようであり、追従(いや、追随かも?)する
奥さんの知識や技術(?)もご主人に匹敵するものだと思う。

そのご主人が亡くなってからまもなく3年ぐらいになるだろうか・・・
今は小柄な奥さんがご主人の分も頑張るのだ・・と言わんばかりに
毎日毎日入念な手入れをされるそのお陰で私たちは一年中、多くの
花々を楽しくみせていただけるし、側を通るだけで季節ごとの香りの
恩恵にもあずかっている。

その奥さんと妻千恵子選手は町の「老人会」で顔を合わせ、話した際に
お互いに腎臓機能の低下という病状で「腎臓食」などの話題についても
語り合ったということから「同病相憐れむ」の言葉どおりすぐに
意気投合したという経緯もあるのだが・・・

昨日は久しぶりに顔を合わせ、10月とは思えぬ真夏を思わせるような
太陽の下でお互い、額やマスクの周り強い日射しを受けながら花に感謝・・・
というような言葉を交わした。
久しぶりに・・・というのは・・・
実は私の車は9月にマンション内の駐車場が1か所空いたことによって
行われた抽選で運良く当選し、9月からはマンションの駐車場に停めて
いるのでAさんの家の近くの駐車場を利用しなくなったからなのだが・・・・

ただ、当選した駐車位置は私の住むA館ではなく、隣接するB館なので
僅かでも歩くことになるが今までと比べると「雲泥の差」というところ
だろうか。
マンションの駐車場は機械式で地下の駐車場はA館、B館共に何十か所も
空いているのだが地下に駐車できるのは車高155cmまでと高さ制限もあり、
最近の車の多くの車種はそれを超える高さのため地上は一か所空くと
希望者が殺到し、すぐに抽選となるのだ。(私の場合も車高が高いので
地下は不可)

そして機械式のため地下への出し入れを嫌う人が多く、地上9000円、
地下は6000円・・と地下のほうが料金は安いのだが多くの人は便利さを
求め、地上の場所を選ぶため競争率が激しくなるのだ。

そんなわけでマンションの駐車場に移ってからはAさん宅の方へ
行く機会も少なく、意識的に行かない限り今までのように毎日花たちに
会うことができないのだ。
今まで借りていた駐車場は今月(10月)いっぱいは契約期間なので
いつでも停められるのだが・・距離にしても50メートル程しか違わない
マンションに停めてしまうのである。

さあ、話をもとに戻して・・・
久しぶりにAさんと挨拶を交わした時に、いつも夏の終わりごろから
今頃にになると何年も前から聞こうと思っていながら聞く機会を失って
いたがつい先日名前のわかったあの花を見つけたのだ。
その花の名前がわかったのは梨木果歩さんの著書「家守奇譚」に出てくる
「ツリガネニンジン」を調べた時・・・

ネットの検索でたくさんの「ツリガネニンジン」の写真を見て、
これぞまさにAさん家のあの花だ!と思ったのだ、
そして久しぶりにその花をAさんの庭先で見て、Aさんの姿を探したが
近くには見えなかった。
花の名前がわかるまでにいくつも重なった偶然のようなものを
思うとなんとなく嬉しさを感じるとともに胸に大きな感動が湧き上がった。

Aさんの家の庭と門扉の周辺にはこの時季になっても夏の名残りの姿を
静かに見せている花やいち早く秋を知らせ、今もリーダーシップを発揮
するがごとく周りの花たちと共に明るさを提供している花、そして
これから楽しませてくれるような蕾たちもたくさん揃い、それぞれが
自分たちの出番を待っているようだ。・・・

カレンダーも温度計も湿度計も持たない花たちが毎年同じ頃になると
誰に言われることもなく、お馴染みの姿を見せてくれ、同じ花を咲かせ、
私たちの心に安らぎを与えてくれるその姿は人間が失いがちな「律儀さ」
を感じさせ、自らを振り返るきっかけにもなっている。

これらの花たちにとってAさん宅はまさに「楽園」なのではないかと
思われる。
咲き競う、或いは咲き誇るような花たちも自分たちが競演する姿を
見る私たちに対し、驕り高ぶる様子も恩に着せるようなそぶりもなく、
ただ毎年それぞれが気候などの環境にも負けず精一杯生きている姿は
今回のように大きな感動を呼ぶことにも繋がっている。

政治家たちの姿にも謙虚さや律義さを無理なくごく自然に感じられる
ようになってほしいものである。




コメント (4)
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