『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

残念ながらいつもの時間に目が覚めてしまった。

2021-10-24 11:12:38 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨夜、紅葉の写真を見ていたことが脳裏にあり、記憶のどこかで
それが働きかけたのか「いい夢」を見ている途中で目が覚めた・・・残念!。

目が覚めたのはちょうどいつもどおり起きる時間が来ていたからかもしれない。
以前、仕事(最後の仕事は運送業)をしていた頃は仕事の内容により
起きる時間も就寝時間も不規則だったが3年半ぐらい前に仕事を完全に
辞めてからもしばらくは同じ状況が続き、最近は(今頃になって)就寝、
起床時間もほぼ同じように安定し、ある程度は規則正しい(?)生活と
なっている。

高齢者は睡眠時間が短い、そして短くても十分だなどとよく言われるが
はたしてその真偽は?・・・
私は家族や友人からはよく「忍者」と言われる。
それは眠りについた後も「コトリッ」や「カサカサ」という音にも
「スゥースゥー」という人の寝息にも反応し、すぐに目を覚ますから
なのだが・・・

過日、何となく「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」について少し、
わかったつもりだったが、私の場合はこのようにいつ、いかなる時でも
小さな音で目が覚めるのである。

さて、冒頭の紅葉に結び付く「いい夢」、そして残念だったのは・・・
夢の中で、二本の白線の入った学生帽(中学生)の私が母と一緒に
童謡・唱歌の「紅葉(もみじ)」を唄っていた。
白い割烹着を着た母は首を緩やかに揺らしながらにこやかに私の方を向き、
忘れもしない、あの声で歌っていた。

秋の夕日に照る山もみじ
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は
山のふもとの裾模樣(すそもよう)

溪(たに)の流に散り浮くもみじ
波にゆられて はなれて寄って
赤や黄色の色さまざまに
水の上にも織る錦(にしき)

歌詞の意味が解りかけてきたころの中学生の私と、私の一番好きな
姿である割烹着姿の母・・・夢の中の母の声がまだ耳に残っている。

母が語る楓や蔦の赤と松の緑、そして赤く染まった山と麓の緑色の
織りなす光景、さらにこの詩をよくみると山の紅葉と川の紅葉の様子・・・

木の枝から離れ、散り落ちていく紅葉が川面に浮き、幾重にも重なりあって
揺れている様子や、水の流れの中で離れたりくっつき合うようにしながら
波と共に踊るように川下へ下っていく様子・・・

山全体が織りなす錦と水の上で巧みに織られるような様々な織物を
イメージさせられるような姿・・・
本当に美しい光景風景を心に焼き付けてくれるようだ。

母がその光景を説明してくれた時のことがすべて映像としてはっきりと
残っている。
今もこの曲を聴いたり歌ったりするとその映像が再び、みたび、目の前に・・・

目が覚めたのは「波にゆられて はなれて寄って」のところだった。
私たちが子供の頃は割烹着姿の母親は珍しくなかったが今は
お母さんたちの生活パターンも大きく違うので映画や飲食店など
特別の場所へでも行かないとみかけないのではないだろうか・・・

そしてふと思った。
ブログ友「けんすけさん」「ポエットMさん」のことを・・・

ブログ友「けんすけさん」はよくお母さんのことを記事にされている。
やはり、小さいながらも母親の背中で感思ったこと、成長する段階や
大人になってからも母親の愛情をたくさん感じたことなど・・・
厳しくもその何倍も優しく、愛情を注いでくださったお母さんのこと・・
「けんすけさん」の記事には胸が熱くなる。

私の母も厳しくやさしかった。
生きていれば110歳の母があの時の割烹着姿のままでまた再び
夢の中で私と歌うかもしれない。
それはもう少し寒くなったころ・・・・
「冬の夜」や「冬景色」・・・そして春になればまた春の歌を・・・。

そしてこの歌の光景や醸し出す雰囲気を「ポエットMさん」ならきっと
私たちの心を揺さぶるようなそしてそれを感じた私たちの心が響き合う
ような短歌を作られるだろうと・・・

そして、highdyさんなら理系とは思えない文章で・・、yamaさんや
kenさんなら情感の籠った写真や文章で・・、すずさんやさくらさん
だったら読者の心を揺さぶるような解説やさらに想像が無限に膨らみ、
果てしなく広がっていくような文章で・・・とみなさんそれぞれ
言葉だけにとらわれず、独自な感想で描かれるかもしれないと・・・














コメント (12)
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