今朝、目が覚めたのが5時ごろ・・・
私のベッドはヘッドボードがないので寝た状態のまま息を大きく
吸いながら両腕を思いっきり伸ばした後に懸垂でもするように拳を
しっかり握って今度は息を吐きながら肩から胸の方まで両腕を下げて
大きく口を開けると気持ちの良い大欠伸がでた。
両手の掌で自分の顎から頬を下から上に撫で上げると掌にざらざらと
した短いひげの感触が・・
さらにそのまま上方へ手を押し上げるとこめかみあたりから急に
抵抗がなくなり、つるん・・として顔と頭の境目もわからない
領域(?)へ・・・
スキンヘッドだからだと百も承知なのだが毎日剃るひげは掌に
その感触を与え、スキンヘッドは微かに頭髪の名残を手に感じさせる
程度なのだ。
スキンヘッドを嫌だと思ったことはないし寧ろ自分の特徴として
夏も冬も帽子を被らない私なのである。
入浴時も「石鹸」「シャンプー」などの選別も要らないので便利でも
あるし、雨の日は細かい粒の雨が一滴あたってもいち早く感知する
センサーでもあり、爽やかな風も直接肌で(?)感じるところがいいのだ。
そんなことを思いながら目を頭の上の方に向けると・・・
私の自室の北側の出窓のカーテンの裾の隙間から漏れる朝の光が
そこに設置したスチール製の組み立て式の本棚のやはり下の方から
這うように漏れてくるのがわかる。
私のベッドは我が家では通称「空中ベッド」と呼ばれており、ベッドは
工作好きの私が出窓と同じぐらいの高さに設置し、下は諸々の収納
スペースにしてあるのだ。
本棚においてあるかなり昔に買った多機能なデジタル時計は5時7分を
表示し、枕元に置いてあるだけで目覚ましとしては使っていないもう
一つのデジタル時計は5時9分だった。
いつもの起床時間の6時までにはまだ1時間ぐらいあるので一瞬、
本を読もうかと思ったが、つい怠け心に引きずられいつの間にか
またもや夢の世界へ・・・
私はいつの間にか「ツバナ(チガヤ)」が生い茂る草むらの中に居て、
8年前、71歳で死んだ弟と話していた。
若いころはやんちゃで暴れん坊だった弟は学生時代からの愛読書であった
「中原中也詩集」をしっかりと持っていた。
子供の頃は汚染などの問題もなく、道端や叢の「ツバナ」も心配なく
食べられる状況だったが、近年は食べられそうな若い「ツバナ」を
見かけても口に入れようとは思わない。
何故、弟と「チガヤ」が茂る草原で会ったのだろう・・・
昨日、上尾市へ行った帰りに私と千恵子選手は大好きな「アオサギ」を
見て帰ろう・・ということで伊奈町経由で帰宅したのだがその時に
新幹線下の道路の脇に大きく伸びたチガヤが拡がっていたのを見たから
かもしれない。
そして夢をたくさん見る私へのプレゼントだったのかもしれない。


最初は早く目が覚めた感慨がつづき、
爽やかな気持ちで読んでいました。
いつもの起床時間よりちょっと早いと、
ちょっと得した気持ちになりますね😊
あくびやひげの書きぶりは
書き手の肉体性が表れて、いかにも気持ちよく
目が覚めた様子が伝わるのが不思議なところです。
これはshimaさんの特性というものですね。
そしてそこから夢の話に移ると、
健康的な男性の感慨から、幽玄さと書き手の人生の航路をのぞかせる描写となって、・・
・・すみません、ご家族の生き死にまで
分かったようなコメントは書いてはいけませんね。
ただshimaさんの書きぶりは力強さと思索が
交差して、とても味があると思いました。
当方の最新話にさっそくの感想を、
本当にありがとうございました。🙏
感激しました。
shimaさんのように考え深く感性豊かな人に
読みこんでいただけて、本当に嬉しいです。
明日はまだ日曜ですね。
素敵な朝をお迎えください😊
いつも過分な評価をいただいて恥ずかしいのですが、一語一語読み取り、汲み取っていただいて、さらに私らしさのようなものにも目を向けていただいて
まかろんさんこそ「見巧者」だと感じています。
ありがとうございました。
関東でも「ツバナ」って言うんですね。
子供の頃、学校帰りに食べながら帰りました。
食べようとして引き出した穂がきれいだと「姫」で食用に適し、大きくなり過ぎたものは「爺」で食用不可でした。
夢で懐かしい人と会えるのは嬉しいですよね。
弟さんの愛読書は中原中也詩集だったんですね。私は20代の頃、いろいろな詩人の作品を読みました。中也の詩集も持っていて、何度も読んでいました。
昔、ベリーショートにしていたことがあります。シャンプーが楽だったことを思い出しました。シャンプー後に頭を左右にブルンブルンしてタオルでさっと拭くだけ。ドライヤー要らずでした(笑)。
highdyさんたちもそうでしたか・・・
同じ思いを感じていただき嬉しく思います。
穂が大きくなる前の食べられるものは仄かに甘く、やわらかく、独特の香りもして子供たちにとっては桑の実や茱萸(ぐみ)野イチゴなどと同じように自然からもらうおやつの様なものでしたね。
チガヤは少し大きくても柔らかいものがあると「ラッキー」「やったー」という友達の笑顔も思いだします。
夢で会った弟はアップした画像のような中にいました。
いつも夢をたくさん見る私は夢の中でたくさんの人に会います。
自分の性格も多少影響しているのか、いやな思い出に繋がる人たちは出てきませんね。
ユウさんも中原中也の詩を・・・
大自然や人についてのユウさんの豊かな感性はたくさんの詩人の影響もあったのではないでしょうか。
私の短髪どころかスキンヘッドとシャンプーの関係をユウさんの若き頃の思い出に結び付けていただけるとは嬉しいですね。
ベリーショートの女性には賢くて快活なイメージがありますね。
男性はもちろん後輩の女性たちからも憧れの存在だったのではないでしょうか。
きっと、そうだったと思います。
我が家のモップばあちゃん(千恵子)もかなり前から頭髪を染めるのをやめて、白髪のショートで頑張っていますよ。
チガヤって食べられるのですか?
私は白い穂を飛ばす厄介な雑草としか思わなかったです。
生い茂るチガヤの中に中原中也の詩集を持って
立っていた今は亡き弟さん、共に言葉は交わさずとも兄弟の間には無言の言葉が交わされたのではないかと
想像しています。
美しい追憶のワンシーンにホロリ・・・でした。
そうなんです、食べられるのですよ。
highdyさんへの返信にも書きましたがほのかに甘く、何とも言えない食感と微かな香り・・・
本当に若いチガヤの柔らかい部分を引きだした時の香りと口に入れたときのあの思い出・・・
かっては穂の枯れた部分を火打石の火つけなどとして使ったり、漢方としても利用されていたようですが現在は共存して利用するよりも駆除の対象となっているようですね。
はい、弟のことは仰るとおりです。
「中原中也」という文字がはっきりと見える夢でした。
8年前、71歳で亡くなった弟さんと、夢であっても話が出来たことは、良かったですね。
それだけ、今でもお互いの想いが強く新鮮なんだと思っています。しかも「中原中也詩集」を
しっかりと持っていたとは、映画のワンシーンのようですね。
小林秀雄は、かつて中原中也の詩には「手にも余るほどの悲しみ」が密着していたと記していました。
溺愛していた我が子・文也を亡くした後、その密着度はさらに増していったのではないかと思っています。
そんな悲しみが滲む詩は、私たちの現実生活の中でともすれば抑え込んでいる、
根源的な哀しみを表に引っ張り出してくれるのではないかとも感じます。
魂を揺さぶるとも表現できますが・・・と、勝手に
思っています。
なお、私のブログへ、いつも励ましと温かな心の籠ったコメントを頂きありがとうございます。
5人兄弟(姉が一人)の中で私と弟は2歳違うだけでしたので常に一緒でした。
私が20年勤務した全ての面で恵まれた会社を辞めたのも弟と一緒に仕事をする爲でした。
時代に逆行するような業種の小さな会社でしたので
6年弱で閉鎖し、お互いに違う業種に進んだのですが以後も兄弟仲は良く、お互いに自慢できる兄妹だったと思います。
弟は中原中也詩集を常に持って歩いていましたね。
小林秀雄が中原中也の詩についてそういう風に期していたとはさすがに感性の鋭い批評家ですね。
ポエットMさんの
>そんな悲しみが滲む詩は・・・この最後までの部分は仰るとおりだと思います。
ありがとうございました。