食育マイスターのひとりごと

食育マイスターが日常のひとりごとを綴っています。

実家の話③

2023-08-18 11:34:24 | 日常
子どもが出来て初めて、親のありがたみが分かるって聞いていたけど…

私の場合は、子どもが出来て初めて

いかに手を掛けられていなかったかが分かってしまった。


まだ乳歯の頃、私は虫歯だらけだった。

覚えているのは『虫歯19本』

『味噌っ歯』だった。

子どもって虫歯が当たり前で、乳歯は麻酔して歯医者で抜くものだと

本気で思っていた。

だから、私の娘達にほとんど虫歯がなく、

なんならグラグラしているところを自分で抜いちゃったことにびっくりした。

私は当たり前のように

娘達が寝る前に歯を磨いていたけど

私は磨いてもらったことなどなかったんだなぁ…と。

そのせいなのか、歯並びがあまり良くなく…

でも、私だけだときっとそのままだったのだろうけど

母の愛する弟が一番歯並びがダメだった。

歯医者の先生に、母が『子どもの歯並びが悪いのは親のせいです!!!』と

怒られているのを見かけたことがあった。
(怒られている母の姿にスッキリしたことも覚えているから、きっと弟の歯並びが悪いことを、私が世話しないと言っていたんじゃないかと思う)

母は子どもの歯を磨くことをしてこなかったのだと思う。

でも、自分自身も部分入れ歯だったりして。

そんな母を見て、40歳過ぎたら

みんな入れ歯になるのだろうか…と思っていたけど

単に母がだらしなかっただけだったのだと思う。

弟が矯正することになり、同じ歯医者に通っていた私もついでに

してもらうことになった。
(先生が勧めるからね)

でも始めた時期が遅すぎて、治るのは80%と言われたけど。


家族写真とかもない。

そもそも家族旅行にはほとんど行ったことがない。

父と母のお店は月曜日がと第3日曜日が休みだったことも大きいが

母も多分父も外食があまり好きではなく

たま~に出かけてもおにぎり持参だったりした。

まれに外食しても、これなら家で作った方が美味しい!と母。

確かに母はお料理は上手だったけど、母は自分が作った物が

この世で一番美味しいと思っていた。

たま~に美味しくないものがあっても、認めなかった(笑)

パウンドケーキとかお菓子がものすごく粉っぽくて。

今にして思えば、ちゃんと混ぜなかったからだと思うけど。

茹でたそうめんもまずかった。茹でる水も少なく、

差し水が多かったからだと思うけど、私の話を聞くわけもなく。

私が作った物がまずいわけないじゃない!!!だった。

それに、外食は量が多くて、私達が残すのも嫌だったらしい。

うちの娘達が小さかった頃は、まずは子ども達に食べたいものを選ばせて

私は娘達から少しずつもらって食べていた。

でも母にはそんな考えはなかったのだと。


何より、母と買い物に行ったことも一緒に歩いたこともなかった。

嫌いだったし、母は思ったことを大声ですぐに口にするから

一緒にいて恥ずかしかったということもあったと思う。

私の学校の行事に、お前の行事のせいで仕事を休まなきゃいけなくなった!!

とよく怒られていたから

行事には一切来てもらわなかった。別にそれで良かった。

娘達が幼稚園に上がり

自分は母が学校に来て騒ぐのが嫌だったから

私はなるべく行事があっても遠くで見て大人しくしていよう…と思ったら…

長女が『どうしてお母さんは来てくれないの?』と泣いたことがあった。

それまで、私は

子どもって親に見てもらいたいものなんだという感情を知らなかった。

そこからがPTA役員人生の始まり。

他の親よりも多めに学校に行くと娘達が喜んでくれることに感動した。


それでも母は、愛する伴侶を失い、大変だったと思っていた。

母の愛する弟が鼻炎がひどかった時、いい病院にかからせたいと

県立病院まで私が連れて行ったことがあったんだけど

日曜日はやっていなかったはずだから

きっと母に学校を休ませられて電車で1時間以上、そこからバスに乗り

弟を連れて行ったのだと思う。小6だった。

娘達が小6の時、私はこの頃から、電車とバスを乗り継いていたんだと

ふと思い出したことがある。


『毒親』とか今は色んなキーワードがあるけど

弟や妹は母にとっての『愛玩子』

対して私は『搾取子』

家族が嫌いな自分はきっとおかしいのだと色々と調べて

一番しっくりした『キーワード』


中学生に上がる頃には、この家を出ないと

この家族に、私の人生が潰される!と本気で思っていた。

コメント (4)
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