長女が7カ月の時に、双子の妊娠が発覚。
双子って聞いて、結構ショックだったんだけど…
でも、お腹に宿ったからには元気に生まれてきて欲しい。
車で片道1時間かかったんだけど
すごく評判の良い産婦人科に通うことにしました。
母には普通に育児の相談も出来ない。
双子なんて周りにいないから、情報もない。
色々と心配だから、病院だけは安心できるところを。
担当の先生に言われたのは
どこで産むか、早めに決めた方が良い。
出来れば安定期に入ってすぐに。
お腹はすごく大きくなる。
もし実家に帰るつもりなら、6カ月くらいの時の方が良い。
(当時、福岡に住んでいました)
でも、出産の時期は冬。実家の青森は雪深い。
実家には車もない。
双子は未熟児で生まれてくる可能性が高いから
大きい病院に運ばれる可能性が高い。
当時、実家の近くに大きい病院はなく
もし運ばれたとしたら、真冬にその病院に通えるのか…
しかも長女を連れて。
長女の時に、産後に休ませてもらえなかったのに
これからは長女を伴い、母に頼まれた家事をこなさないといけない。
それも、6カ月で帰ったとして、半年近くも!?
これは、地獄だ。
なので、実家には帰らない選択をしました。
もちろん、母は手伝うつもりはない。それは想定内。
長女が生まれた時に、珍しくお祝いとして1万円、もらったかな?
記憶にはないけど、双子の妊娠を報告したら
またすぐお祝いを出さないといけない!!とケチつけられたことを覚えているから、少しはもらったのかな?
実家に帰るとしたら早いうちに…って
確かに7カ月の時にはお腹の大きさがすでに、長女の時の臨月の時を超えていた。
母には福岡に居た方がいい病院があるから!で、母もあっさりOKだったんだけど…
私の実家は超田舎。
母の周りの人達、特にご近所さん達が
手伝いにいかないなんて、私が可哀そうすぎる!と言い始めた。
母は私に激怒!双子なんかを妊娠して、そっちで産むなんて
体裁が悪すぎる!!!
時は既に8カ月。もう移動は無理。
本当は入院しないといけなかった。でも長女がいたから頑張っていた。
そこに連日、あんたのせいでご近所から悪者扱いをされる!!!
どうするの~!!!と電話。
本当に毎日電話。
どうせ、産後の世話なんかしたくないんだから、自分で考えてよ!なんだけど。
何だか、またいつもの私のせい。
そこで、産後、母にお惣菜を送ってもらうことで手を打った。
きっと私は料理している暇もないだろうからって。
母はようやく、納得。
同じころ、夫の母からもどうするの?と連日、電話。
育児に関わってこなかった人って、行動一緒だな!と妙に納得。
義母は料理が出来ないから、とにかく大丈夫なので~!で。
そのストレス(だと私は思っている)で予定日よりも早く破水。
夜中に夫が長女と私を連れて病院に連れて行き
帰宅している最中に陣痛が始まり
自然分娩で双子を産んだけど、未熟児だったから
双子はそこから国立病院に運ばれました。
またしても孤独な出産だった。
出血は2リットル。出産中よりも後産が辛くて、痛くて眠れなかった。
退院しても長女の世話もあり、私はいわゆる『産後の肥立ち』が悪かった。
今考えても、そりゃそうなるよね…
双子は5週間入院して、3㎏を超えた頃に退院。
頼んでいたお惣菜を送ってもらったんだけど
母からは、とにかく連日の電話攻撃。
ご近所に聞かれていたから、言い訳が欲しかったんだと思う。
荷物を送ったのに、すぐに御礼がないだの、なんだのかんだの…
大変か?と聞かれるから、大変だと答えると、それはお前がちゃんとしてないからだの…
頼むから、手伝いをするつもりがないなら、ほっといてくれ。
実家から福岡まで宅急便は2日かかる。
着いた頃には、もちろんお惣菜は冷たくて美味しくない。
夫が帰宅して、届いたお惣菜をそのまま食べていて、何だか美味しくない…と。
いやいや、電子レンジくらい、自分で使おうよ?
義理母はうちの実家がお惣菜を送ると聞き、自分も!と
イカの塩辛を1キロ樽で送ってきた。
産後の体、誰が食べるんじゃ!!!
(夫に処分させました)
追い打ちをかけたのが、夫の仕事先の上司の奥さん。
私が家にいると聞き、毎日昼間、遊びに来た。
腹が立つからお茶も出さなかったのに
家に上がってきて、しゃべるしゃべる。毎日同じ話。
ちなみに当時の私よりも10歳上。
そんな空気の読めない人だったから、同世代の奥さんたちからは嫌われていた。
頼むから、誰にも頼らず一人で頑張っているんだから
ほっといてくれ~!!!!!
み~んな、消えてしまえ!!!!!と
その頃、本気で呪っていました。
お惣菜を送ってもらうのは
その後のやりとりが面倒だったため
2回で打ち切らせてもらいました。