少数派シリーズ/東京オリンピックの危うさVOL.7
ROUND1 東京オリンピックまやかしの開催編7
2度目の東京オリンピックより初めて開催を心待ちする都市を優先すべきだった
自宅に保存されている1964年当時の新聞からスクラップブックから。当時は閉会式
も選手は国別に行進することになっていた。注目は、写真左の国名プラカードを持つ
防衛大生。ハプニングでも、防衛大生は全員、決められた通り整然と行進した。
ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。記事は2014年7月、旧ブログに投稿したものです。アスリートファーストの尊重は微塵もなく、政治家・経済界・五輪関係者などは己の思惑・利益・保身のために、東京オリンピックの悪用が目に余ります。年月が経過しても、ブログにてその検証や事実を残しておく必要があると考えます。
アテネ・ロンドン・パリは複数回オリンピックを開催していますが、投稿者として2020年はイスタンブール(トルコ)を推していました。まあ東京に決まっても、“♪うらまないのがルール”です?イスラム圏初はともかく、何といっても「25歳以下の若者が50%を越えているトルコ」での開催こそが、将来を担う青少年のためになるからです。開催意義が、一番生かされる国と考えます。若い国民がいる国こそ、オリンピックをプレゼントしたいものです。近隣諸国の政情不安もあることから、トルコを開催都市に選びにくかったようです。近い将来、ぜひ開催を勝ち取って欲しいと考えます。
追記2019.4/現在のトルコは、かなり政情悪化してしまいました。もしイスタンブールに決まっていたら、かなり平和な取り組みが進んでいたと察します。それこそオリンピックは、平和のシンボルなのですから。いつか、イスタンブールで開かれることを望んでいます。
ところでトルコが親日なのは、トルコ軍艦・エルトゥールル号難破事故がきっかけです。1890(M23)、同艦が台風に巻込まれ和歌山県沖で座礁・遭難し、500人を越える犠牲者が出ました。当時、串本町の住民が総出で救助・介抱したのです。さらに生存者69名を、日本海軍がイスタンブールまで送り届けたことです。トルコ国民は驚愕・感謝しその状況が、つい最近まで長い間、教科書に載っていたそうです。もう1つが、トルコの仇敵・ロシアを、日本が日本海海戦でバルチック艦隊を撃破したことです。そうしたことから100年以上経っても、かなり親日家が多いのです。
ここからは、余談です。前回の東京大会は、ご存じのように1964年10月10日に開会式が行われました。この日に決定した理由が“晴れの特異日”であり、11月3日と同様になぜか10日は過去に雨が降る日が極端に少なかったからです。「世界中の青空を持ってきたような…」TV中継のアナウンスのように、見事な“五輪晴れ”でした。大会後は体育の日になりましたが、その体育の日も10月の第2月曜に移り主旨が変質してしまいました。
さらに話は飛び、「閉会式」は開会式と打って変わり、国の選手団の壁を取り除き和気あいあいで行進します。あれは前回の東京オリンピックの失敗が、始まりでした(写真と補足文参照)。当時は閉会式も国ごとに行儀よく行進していたのですが、選手達が式が始まる前から競技場外で盛り上がり、そのまま会場になだれ込んでしまったのです。それが今や、“平和の象徴”シーンとなり定着しました。これも、前回東京大会の置き土産です。
ROUND1 東京オリンピックまやかしの開催編7
2度目の東京オリンピックより初めて開催を心待ちする都市を優先すべきだった
自宅に保存されている1964年当時の新聞からスクラップブックから。当時は閉会式
も選手は国別に行進することになっていた。注目は、写真左の国名プラカードを持つ
防衛大生。ハプニングでも、防衛大生は全員、決められた通り整然と行進した。
ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。記事は2014年7月、旧ブログに投稿したものです。アスリートファーストの尊重は微塵もなく、政治家・経済界・五輪関係者などは己の思惑・利益・保身のために、東京オリンピックの悪用が目に余ります。年月が経過しても、ブログにてその検証や事実を残しておく必要があると考えます。
アテネ・ロンドン・パリは複数回オリンピックを開催していますが、投稿者として2020年はイスタンブール(トルコ)を推していました。まあ東京に決まっても、“♪うらまないのがルール”です?イスラム圏初はともかく、何といっても「25歳以下の若者が50%を越えているトルコ」での開催こそが、将来を担う青少年のためになるからです。開催意義が、一番生かされる国と考えます。若い国民がいる国こそ、オリンピックをプレゼントしたいものです。近隣諸国の政情不安もあることから、トルコを開催都市に選びにくかったようです。近い将来、ぜひ開催を勝ち取って欲しいと考えます。
追記2019.4/現在のトルコは、かなり政情悪化してしまいました。もしイスタンブールに決まっていたら、かなり平和な取り組みが進んでいたと察します。それこそオリンピックは、平和のシンボルなのですから。いつか、イスタンブールで開かれることを望んでいます。
ところでトルコが親日なのは、トルコ軍艦・エルトゥールル号難破事故がきっかけです。1890(M23)、同艦が台風に巻込まれ和歌山県沖で座礁・遭難し、500人を越える犠牲者が出ました。当時、串本町の住民が総出で救助・介抱したのです。さらに生存者69名を、日本海軍がイスタンブールまで送り届けたことです。トルコ国民は驚愕・感謝しその状況が、つい最近まで長い間、教科書に載っていたそうです。もう1つが、トルコの仇敵・ロシアを、日本が日本海海戦でバルチック艦隊を撃破したことです。そうしたことから100年以上経っても、かなり親日家が多いのです。
ここからは、余談です。前回の東京大会は、ご存じのように1964年10月10日に開会式が行われました。この日に決定した理由が“晴れの特異日”であり、11月3日と同様になぜか10日は過去に雨が降る日が極端に少なかったからです。「世界中の青空を持ってきたような…」TV中継のアナウンスのように、見事な“五輪晴れ”でした。大会後は体育の日になりましたが、その体育の日も10月の第2月曜に移り主旨が変質してしまいました。
さらに話は飛び、「閉会式」は開会式と打って変わり、国の選手団の壁を取り除き和気あいあいで行進します。あれは前回の東京オリンピックの失敗が、始まりでした(写真と補足文参照)。当時は閉会式も国ごとに行儀よく行進していたのですが、選手達が式が始まる前から競技場外で盛り上がり、そのまま会場になだれ込んでしまったのです。それが今や、“平和の象徴”シーンとなり定着しました。これも、前回東京大会の置き土産です。