少数派シリーズ/防災・大震災
松尾貴史氏コラム◇岸田首相の他人事意識が能登半島地震被災者の救助や支援を遅らせた
毎日新聞の日曜版、「松尾貴史のちょっと違和感」というコラムからの記事をご紹介します。
松尾貴史氏はコラムの中で、痛烈な批判をしています。ぜひお読み下さい。
*投稿タイトルは、新聞の原題・原文に基づいて投稿者が行ったものです。
↓ ↓ ▽松尾貴史氏のコラム
■岸田首相の年頭の動向「冷酷な人格」に戦慄!何とも無力感にさいなまれる
岸田文雄首相は1月4日の年頭記者会見で、能登半島地震の被災地に立地する原子力発電所に関する質問にまともに答える気配すら見せず、記者の声を無視して記者会見場を立ち去った。震災への対応に向かったのかと思いきや、BSフジの生放送に出演した。そこでは、自民党総裁選なども話題になったという、ちょっとしたサイコサスペンスのような光景があった。がれきに埋もれ、救助を待ち、寒さとひもじさにあえいでいる人たちがいる中で。5日には経済団体や連合、時事通信社の新年会を「はしご」したのだという。もともと冷酷な人格ではないかという印象を持ってはいたが、ここまでくると戦慄(せんりつ)を覚えてしまう。石川県の馳浩知事による「緊急事態宣言」も、出されたのは地震が発生してから5日もたってのことである。なぜこれほど時間がかかったのか。生死を分ける目安とも言われる被災からの「72時間」どころの話ではない。「内外に大ごとだと思われぬよう」という意図があったとしか私には思えない。救援活動への指示や取り組みも、被害を過小評価したいという意図を感じてしまう。
岸田首相が4日の記者会見で、諸外国からの支援を「現時点で一律に受け入れていない」と説明したことも、被災地の状況や受け入れ態勢の事情があったにせよ、被害を矮小(わいしょう)化させたい意図を感じ取った。馳知事は元日に東京にいて、地震発生後に首相官邸に入り、自衛隊のヘリコプターに便乗させてもらって石川県庁に入ったのはその日の午後11時過ぎだという。彼がいつになれば被災地を訪れるのかと思っていたら、何と14日にようやくである。馳(は)せない知事ではないか。これまで被災地に行かなかった理由を問われた記者会見では「1月1日から24時間、知事室に滞在しております」などと語った。元日の深夜に滑り込みで県庁に到着したのに、そう語れるのはなかなかの神経だが、岸田首相も同じ日まで被災地に入ることはなかった。ダメージを受けトラブルが起き、避難経路であるべき道路も破壊されているのに、震度7の揺れを観測した志賀原発のある志賀町には岸田首相は近寄りもせず「地元の理解を得ながら再稼働を進める方針は全く変わらない」と言い切る。能登半島の珠洲市や輪島市では、支援物資や救助隊が来ず、孤立状態が続いているところもあるという。国内の有志がボランティアとして向かおうとするも「迷惑ボランティアのせいで大渋滞が起きる」というデマがばらまかれる。
岸田首相は、現地で救助活動をするわけでもないのに、コスプレよろしく防災作業着に身を包む。それで胸に赤い造花をつけて年頭のあいさつをしていたのは、滑稽(こっけい)ですらあった。彼が視察に赴いた珠洲市の中学校の校舎3階に避難している60代の女性は「(岸田首相は)わずかな時間、1階をのぞいただけでヘリコプターで帰っていった。どんな思いで来たのかも分からない」「(自民党派閥の)裏金問題もある中でのパフォーマンスではないか」と語っていた。現地での取材も、代表だけに限られるもので、政府にとって都合の悪い質問が飛ばない形で行われたようにしか見えなかった。そんな中、能登半島でドローンなど無人航空機の飛行は禁止令が出されている。ドローンによる捜索や物資の輸送は行われているが、規制なくドローンが飛んでいると救助活動などの妨げになることに加え、政府にとって都合の悪いものが撮影され、流出するのを恐れてのことではなかろうか。何とも無力感にさいなまれる新年だった。
■投稿者の感想/下記リンク
次号/能登半島地震でも政府は過去の大震災を教訓とせず初動の遅れや混乱を招いた
松尾貴史氏コラム◇岸田首相の他人事意識が能登半島地震被災者の救助や支援を遅らせた
毎日新聞の日曜版、「松尾貴史のちょっと違和感」というコラムからの記事をご紹介します。
松尾貴史氏はコラムの中で、痛烈な批判をしています。ぜひお読み下さい。
*投稿タイトルは、新聞の原題・原文に基づいて投稿者が行ったものです。
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■岸田首相の年頭の動向「冷酷な人格」に戦慄!何とも無力感にさいなまれる
岸田文雄首相は1月4日の年頭記者会見で、能登半島地震の被災地に立地する原子力発電所に関する質問にまともに答える気配すら見せず、記者の声を無視して記者会見場を立ち去った。震災への対応に向かったのかと思いきや、BSフジの生放送に出演した。そこでは、自民党総裁選なども話題になったという、ちょっとしたサイコサスペンスのような光景があった。がれきに埋もれ、救助を待ち、寒さとひもじさにあえいでいる人たちがいる中で。5日には経済団体や連合、時事通信社の新年会を「はしご」したのだという。もともと冷酷な人格ではないかという印象を持ってはいたが、ここまでくると戦慄(せんりつ)を覚えてしまう。石川県の馳浩知事による「緊急事態宣言」も、出されたのは地震が発生してから5日もたってのことである。なぜこれほど時間がかかったのか。生死を分ける目安とも言われる被災からの「72時間」どころの話ではない。「内外に大ごとだと思われぬよう」という意図があったとしか私には思えない。救援活動への指示や取り組みも、被害を過小評価したいという意図を感じてしまう。
岸田首相が4日の記者会見で、諸外国からの支援を「現時点で一律に受け入れていない」と説明したことも、被災地の状況や受け入れ態勢の事情があったにせよ、被害を矮小(わいしょう)化させたい意図を感じ取った。馳知事は元日に東京にいて、地震発生後に首相官邸に入り、自衛隊のヘリコプターに便乗させてもらって石川県庁に入ったのはその日の午後11時過ぎだという。彼がいつになれば被災地を訪れるのかと思っていたら、何と14日にようやくである。馳(は)せない知事ではないか。これまで被災地に行かなかった理由を問われた記者会見では「1月1日から24時間、知事室に滞在しております」などと語った。元日の深夜に滑り込みで県庁に到着したのに、そう語れるのはなかなかの神経だが、岸田首相も同じ日まで被災地に入ることはなかった。ダメージを受けトラブルが起き、避難経路であるべき道路も破壊されているのに、震度7の揺れを観測した志賀原発のある志賀町には岸田首相は近寄りもせず「地元の理解を得ながら再稼働を進める方針は全く変わらない」と言い切る。能登半島の珠洲市や輪島市では、支援物資や救助隊が来ず、孤立状態が続いているところもあるという。国内の有志がボランティアとして向かおうとするも「迷惑ボランティアのせいで大渋滞が起きる」というデマがばらまかれる。
岸田首相は、現地で救助活動をするわけでもないのに、コスプレよろしく防災作業着に身を包む。それで胸に赤い造花をつけて年頭のあいさつをしていたのは、滑稽(こっけい)ですらあった。彼が視察に赴いた珠洲市の中学校の校舎3階に避難している60代の女性は「(岸田首相は)わずかな時間、1階をのぞいただけでヘリコプターで帰っていった。どんな思いで来たのかも分からない」「(自民党派閥の)裏金問題もある中でのパフォーマンスではないか」と語っていた。現地での取材も、代表だけに限られるもので、政府にとって都合の悪い質問が飛ばない形で行われたようにしか見えなかった。そんな中、能登半島でドローンなど無人航空機の飛行は禁止令が出されている。ドローンによる捜索や物資の輸送は行われているが、規制なくドローンが飛んでいると救助活動などの妨げになることに加え、政府にとって都合の悪いものが撮影され、流出するのを恐れてのことではなかろうか。何とも無力感にさいなまれる新年だった。
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次号/能登半島地震でも政府は過去の大震災を教訓とせず初動の遅れや混乱を招いた