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朝日新聞社説「菅首相に東京五輪中止の決断を首相に求める」、遅ればせながら英断/東京五輪の危うさR7-14

2021年05月27日 | 東京五輪の危うさ
Oiympictp2 少数派シリーズ/東京オリンピックの危うさVOL.89
ROUND7 国民の命を守るため東京オリンピックの中止を!編 14
朝日新聞社説「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」、遅ればせながら英断

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■ささやかながら・当たり前ながら・ジャーナリストの使命を発揮、それは評価したい
朝日新聞社が5月26日付の社説(下記)に、「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」を掲載しました。遅きに失したが、それでもやっと思い腰を上げ「英断」したことは評価したい。社説に感銘しました。偶然にも同日に当ブログ(前号・下記リンク)で、「東京五輪批判をしてこなかった新聞・TVメディア、今こそ毅然とした論陣提示を」の記事を投稿したばかりです。直前に見ていれば、投稿文は修正が必要だったでしょう(苦)。さて恐らく社幹部において、広告収入重視・東京五輪の「オフィシャルパートナー」になっている営業部門側と、純粋に真実追及を目指す報道側とで侃侃諤諤(かんかんがくがく)の討議があったと思われます。前述で「英断」と書きましたが、本来の報道姿勢なら取るべき当たり前の姿です。しかし右翼や菅右翼政権・同自民党による凄まじいメディア攻撃の中で大変でしょうが、朝日新聞のスタンスを評価したいと考えます。

調べたらここ数日に、数社の新聞社が開催中止の社説を載せていました。西日本新聞(本社・福岡市)5月25日付社説「理解得られぬなら中止を」、沖縄タイムズ25日付「強行すれば首相退陣だ」、信濃毎日23日付「政府は中止を決断せよ」。教授や見識者も、大手新聞が世論の声をくみ取らず報道しないのは、「ジャーナリズムの不作為」「既成事実への屈服」と批判しています。数社でも社説で「五輪中止」の訴えが出てきたことは、ささやかながらジャーナリストの使命を発揮したと感じます。不安や危険が解消されないコロナ禍における五輪開催を中止する旨の記事を、毎日新聞、東京新聞も主張すべきではないでしょうか。こちらの2紙のほうが、普段、厳しい論調でしたので。読売・日経・産経などの右寄りの新聞であっても、政権支援よりまずは「読者」の命を守る記事を書くことが先決ではないでしょうか。

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朝日新聞社説 「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」
新型コロナウイルスの感染拡大は止まらず、東京都などに出されている緊急事態宣言の再延長は避けられない情勢だ。この夏にその東京で五輪・パラリンピックを開くことが理にかなうとはとても思えない。人々の当然の疑問や懸念に向き合おうとせず、突き進む政府、都、五輪関係者らに対する不信と反発は広がるばかりだ。冷静に、客観的に周囲の状況を見極め、今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める。

生命・健康が最優先
驚くべき発言があった。国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ副会長が先週、宣言下でも五輪は開けるとの認識を記者会見で述べた。だが、ただ競技が無事成立すればよいという話ではない。国民の感覚とのずれは明らかで、明確な根拠を示さないまま「イエス」と言い切るその様子は、IOCの独善的な体質を改めて印象づける形となった。選手をはじめ、五輪を目標に努力し、様々な準備をしてきた多くの人を考えれば、中止はむろん避けたい。だが何より大切なのは、市民の生命であり、日々のくらしを支え、成り立たせる基盤を維持することだ。五輪によってそれが脅かされるような事態を招いてはならない。

まず恐れるのは、言うまでもない、健康への脅威だ。この先、感染の拡大が落ち着く保証はなく、むしろ変異株の出現で警戒の度は強まっている。一般へのワクチン接種が始まったものの対象は高齢者に限られ、集団免疫の状態をつくり出せるとしてもかなり先だ。そこに選手と関係者で9万を超す人が入国する。無観客にしたとしても、ボランティアを含めると十数万規模の人間が集まり、活動し、終わればそれぞれの国や地元に戻る。世界からウイルスが入りこみ、また各地に散っていく可能性は拭えない。IOCや組織委員会は「検査と隔離」で対応するといい、この方式で多くの国際大会が開かれてきた実績を強調する。しかし五輪は規模がまるで違う。

「賭け」は許されない
選手や競技役員らの行動は、おおむねコントロールできるかもしれない。だが、それ以外の人たちについては自制に頼らざるを得ない部分が多い。順守すべき行動ルールも詳細まで決まっておらず、このままではぶっつけ本番で大会を迎えることになる。当初から不安視されてきた酷暑対策との両立も容易な話ではない。組織委は医療従事者を確保するめどがつきつつあると言う。では、いざという場合の病床はどうか。医療の逼迫(ひっぱく)に悩む東京近隣の各知事は、五輪関係者だからといって優遇することはできないと表明している。

県民を守る首長として当然の判断だ。誰もが安全・安心を確信できる状況にはほど遠い。残念ながらそれが現実ではないか。もちろんうまくいく可能性がないわけではない。しかしリスクへの備えを幾重にも張り巡らせ、それが機能して初めて成り立つのが五輪だ。十全ではないとわかっているのに踏み切って問題が起きたら、誰が責任をとるのか、とれるのか。「賭け」は許されないと知るべきだ。

こうした認識は多くの市民が共有するところだ。今月の小紙の世論調査で、この夏の開催を支持する答えは14%にとどまった。背景には、五輪を開催する意義そのものへの疑念が深まっていることもうかがえる。五輪は単に世界一を決める場ではない。肥大化やゆきすぎた商業主義など数々の問題を指摘されながらも支持をつなぎとめてきたのは、掲げる理想への共感があったからだ。五輪憲章は機会の平等と友情、連帯、フェアプレー、相互理解を求め、人間の尊厳を保つことに重きを置く社会の確立をうたう。

憲章の理念はどこへ
ところが現状はどうか。コロナ禍で、競技によっては予選に出られなかった選手がいる。ワクチン普及が進む国とそうでない国とで厳然たる格差が生じ、それは練習やプレーにも当然影響する。選手村での行動は管理され、事前合宿地などに手を挙げた自治体が期待した、各国選手と住民との交流も難しい。憲章が空文化しているのは明らかではないか。人々が活動を制限され困難を強いられるなか、それでも五輪を開く意義はどこにあるのか。社説は、政府、都、組織委に説明するよう重ねて訴えたが、腑(ふ)に落ちる答えはなかった。

それどころか誘致時に唱えた復興五輪・コンパクト五輪のめっきがはがれ、「コロナに打ち勝った証し」も消えた今、五輪は政権を維持し、選挙に臨むための道具になりつつある。国民の声がどうあろうが、首相は開催する意向だと伝えられる。そもそも五輪とは何か。社会に分断を残し、万人に祝福されない祭典を強行したとき、何を得て、何を失うのか。首相はよくよく考えねばならない。小池百合子都知事や橋本聖子会長ら組織委の幹部も同様である。

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Sankoub
次号/東京五輪中止のオンライン署名次々と「チェンジ・ドット・オーグ」最多更新41万筆
前号/東京五輪批判をしてこなかった新聞・TVメディア、今こそ毅然とした論陣提示を

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