今号は、東京から尾道に移住してパフォーマンス活動を続けているいちょうさんの日記をお届けします。2度目のリレー日記ご登場です。
全国一千万のパントマイムファンのみなさま、こんにちは♪
「いちょう」と申します。
このリレー日記は「アーティストの素顔と最近の活動」がテーマということなのですが、最近とんと活動らしいことをしていない私が適任なのかどうか・・・。
まぁ自己紹介と近況報告がてら書かせていただきます。
私は6年前、長く暮らした東京から実家にほど近い広島は尾道に拠点を移しました。
「尾道」というと、どういうイメージが浮かびますでしょう?
私と同年代だと大林宣彦監督の映画「尾道三部作」の舞台としてでしょうか?
(私は「さびしんぼう」の富田靖子にやられたクチです)
駅南口を出ると目前に広がる海、対岸の向島との間で川のような尾道水道と、すぐ背後に立ち上がる尾道三山。
古風な建物が斜面地に連なっています。
時代に取り残された懐かしさを感じる街。まじ「三丁目の夕日」。猫と坂道とお寺の街。
四国の今治へ続く「しまなみ海道」の起点として、サイクリストの聖地とも言われたりしてますね。
早くから海運業で開け商業地として繁栄した尾道も、現在はレトロを売りにした観光地の面が強いようです。
そんな尾道ですが、1年以上続くコロナ禍のせいで沢山あったお祭りやイベントもほとんど中止、観光客も激減。
私も少しずつですが親しくする人もでき、イベントでちょこっとパフォーマンスさせてもらったりしてたんですが、最近は控えています。
駅前から長く伸びる商店街の入り口に店を構え、尾道サブカルチャーの中心的存在「ハライソ珈琲」のマスターに話を聞いたところ、
「元に戻っただけ。ここ何年かの尾道ブームの方が特別だった」とのこと。
最近は畑を借りて野菜作りを始められたそうで、なかなかしぶとい!
ぱっと見は地方の寂れた観光地ですが、類は友を呼び、風変わりな人、興味深い活動をしてる人が多く集まってる街です。
それもこの土地の風土、古くから人々の往来が盛んで、見知らぬ人に対してもウェルカムな土地柄ゆえでしょうか。
そんな尾道がこれからの日本の中でどうなっていくのか。
都市化ではない別の幸せを体感できる街として存続して欲しいものです。
そんな中での私の2021年夏。
移住する前は田舎で海も近いし夏は涼しいんじゃないかと踏んでいたんですが、引越時に親戚のおじさんに訊いたら「何言いよるん?!ベタ凪よう」
その時は意味が分からなかったんですが、尾道の夏を舐めてました。半端なく暑いです。
今年も連日猛暑日でした。
太陽が出ている間は出歩けません。命の危険すら感じます。
コロナ禍で移動も自粛してましたから、ほぼ尾道から出ていませんね。
小さな楽しみを繋ぎながら生きていました。
・小さな庭での野菜づくり
トマト、きゅうり、なす、ピーマン、そして室内でルッコラとカイワレの水耕栽培。
きゅうり、なす、ピーマンは数個しか出来なかったけど、トマトは買わずにすみました。
・旧型ジョルノ(AF-24)の修理と走り出し
35,000円で購入した50ccバイク。やっと直して、おっかなびっくり少しずつ乗っています。
目標は43km離れた実家まで原チャリで帰ること。道は遠い。
・シネマ尾道での映画鑑賞
かつては映画の街とうたわれながら一時は映画館が0となった尾道で、有志の手により復活したミニシアター「シネマ尾道」。
渋いセレクトでいつ行っても観客が数人しかいなくて、存続が心配になっちゃうけど応援してます!
最近観て面白かったのは「JUNK HEAD」「戦場のメリークリスマス 4K修復版」「アメリカン・ユートピア」
・あと、梅酒を漬けたり、昼酒飲んだり、ハンモック買って寝室に吊って昼寝したり。
そんな地味な毎日を送りながら「パントマイム」と「ライブ」のことを考えています。
ライブというものが、配信公演で置き換えることができるのか?
この新型コロナの感染が収束した先に、人々は「ライブ」に戻ってくるのか?必要とするのか?
渇望している人々も何割かはいるだろうけど、すぐには戻ってこない気もします。
こんな田舎だとなおさら。
それでもやりましょう。だって人と人が対面でコミュニケイトするのは原初的な行為だから。
そこから芸能や演劇は立ちあがったはずだから。
ここ尾道から、できることから少しずつ、地味に活動を続けたいと考えています。
自粛は飽きたぜ!
まぁ、のんびり行こうぜ。
いちょう