大井川にかかる塩郷の最長の吊橋を往復で渡り切りました。高所恐怖症なのによく渡れたな、というか、映画「遠すぎた橋」の妄想に浸りつつ一気に渡ってしまった、という感じでした。アルンヘム橋の妄想でバッチリ渡れたとなれば、レマゲン鉄橋の妄想でも渡れそうだな・・・。 (アホかお前は)
塩郷駅の向かい側に戻ってまいりました。原作コミック第11巻141ページ3コマ目のアングルの景色です。
塩郷駅のホームに戻りました。原作コミック第11巻142ページ3コマ目のアングルです。ホームの白いベンチに、各務原なでしこ、志摩リン、土岐綾乃の三人が腰かけておしゃべりしていたのでした。
塩郷駅で降りたのが13時14分、塩郷の吊橋を往復して再び塩郷駅に戻ったのが14時10分でした。吊橋の往復に一時間近くをかけていたわけです。怖くて恐る恐る進んでいたのと、何度か立ち止まってワイヤー握りしめて震えていたのと、一度向こうまで渡った後、向こうで15分ほど休憩していたのとで、かなり時間を要しました。
次の列車は15時8分発なので、まだ一時間ほど待ち時間がありました。ベンチに腰かけて大井川を眺めつつ、持参のおやつのナッツ類を食べ、お茶を飲んだりしていましたが、20分も経つと何もすることがなくなり、ホームの中央にあるブロック造りの小屋に近づいてみました。待合室かな、と思って確かめることにしたのでした。
内部はやっぱり待合室でした。時刻表や時計がありましたが・・・。
寄せ書きノートや本棚まであるのには驚きました。列車の待ち時間に寄せ書きを書いたり、好きな本を読んだりして楽しんで下さい、ということでしょう。本は地元の図書館で廃棄となったものを再利用しているようでした。
時刻表です。御覧のように金谷行きの列車の時刻は、日中はほぼ2時間に1本です。私がここ塩郷駅に降りたのが13時14分で、その次の列車が15時8分であるので、その間の2時間近くのタイムを塩郷吊橋の往復にあてたわけです。
朝と夕方以外の時間帯においては2時間に1本ですから、大井川鉄道全体の聖地巡礼において塩郷の吊橋を渡るタイミングを設定するのはなかなか難しい、ということが分かるでしょう。
15時8分の金谷行き列車が来ました。旧南海電鉄のズームカーです。行きの旧近鉄特急とすれ違いましたから、次に折り返してくることは分かっていました。
ズームカーに乗ったのは、10年ぐらい前に、高野山へ行った時に乗って以来ですかね・・・。もともとは特急列車なので、これもかつて南海本線では最高時速100キロぐらいで走っていた筈です。
15時57分、金谷駅に着きました。
金谷駅のホームにて、乗ってきたズームカーを記念に撮りました。これで近鉄と南海の旧車輌に乗ったわけですが、大井川鉄道の普通列車にはあともう1編成、旧東急電鉄の7200系が運行されています。ですが、今回の巡礼中にはなぜか一度もその姿を見る事がないままでした。工場にて点検整備中だったのでしょうか・・・。
隣のJR金谷駅に移動しました。
16時14分発の浜松行き普通列車で掛川まで行き、16時36分発の新幹線こだま号に乗って帰途につきました。京都に帰着したのは18時15分でした。
以上で、ゆるキャン△聖地巡礼の大井川鉄道、寸又峡温泉エリアの全行程を終了しました。今回は各務原なでしこの鉄道バス利用の徒歩コースを全てたどりましたので、次回は志摩リンと土岐綾乃のバイクでの吊橋巡りコースを回ることになるな、と思いました。
だから、大井川鉄道エリアヘの聖地巡礼は、今回で終わりではなく、今回が第一歩なのでした。アプト式列車のほうも奥大井湖上駅までしか行きませんでしたから、終点の井川まで乗って井川エリアの観光もいつかは楽しみたいです。近いうちに、また行くことになるだろう、コロナ禍下の厳しい情勢にもめげず、なるべく間を置かずに、再訪しよう、と決めました。
以上で、二日間の聖地巡礼、大井川鉄道・寸又峡編のレポートを終わります。 (了)