毎日を考えながら生きていかなきゃならないというのは、両親からも祖父母からも小学校の先生からもたびたび言われてきたことで、大人になった今、そんなこと誰でも言われなくたって分かってるよ!と思うことでしょう。
けれど、考える、考え続けることって、逆の見方をすれば面倒で疲れることだし、できればそうせずにいられることが「楽」なもので、本当は何もしないで、何の変化もなく今がずっと続くこと、もしかしたらそれこそがある意味理想の人生なのかもしれないし、少なからず誰もが心の中で願っていることでもあるでしょう。
でも現実的にそれは夢物語。時間は絶えず流れ、全ての物事は変化していくから、その中に身を置く僕達はその変化にどう対処すべきか、生き抜いていくのか、常に考えながら生きることになる。
そして、考えるからこそ人間は進化したのだという。
脳の進化に伴い神経から筋肉も変化。その情報がDNAレベルで維持されて生物としての進化となるらしい。
テレビで言ってた(笑)
頭で考えて、身体を動かして行動する。
それが進化へとつながるということだった。
やはり進化の根源には「チャレンジ」という「考えて(想像して)」「行動を起こす」ということがあるわけで、進化とは個人の成長の縦軸の集合体なのだと理解できた。
何もそれは物理的なことだけでなく、文化という点においても同様のことが言える。
そしてそれを自分に当てはめる。
今の自分にとって物理はまさにフィジカルであり、文化はパラ卓球となる。
僕個人の成長が進化とはならないけれど、結果的にその一役を担うことは出来る。
卓球という文化を思えば、荻村伊智朗さんや長谷川信彦さん、河野満さん、江加良、ワルドナー、チキータの生みの親と言われるコルベルなどなど(僕個人の印象)、歴史に名を残す方々はたくさんいるし、表立って名を残していなくてもその礎となった方々も大勢いらっしゃって、さらには誰でもその一員となることが出来る。
進化の過程の一役を担えるのだ。
それは、「考え」、そして「行動する」からこそだと思う。
でも、歴史に名を残す方々はそうしたいから頑張った訳ではなく、あくまでもそれは結果的なことでしかないはず。最初からそれを狙ってというのは違うように思うし、ある意味邪なことなのかもしれない。
また話が大きくなった(笑)
とにかく、まず考えて行動すること。
それが既知のとこであれ未知のことであれ、自分自身にとって新たなことにチャレンジすることが大切なのだと思う。
障害を持つ身体だからこそ、身体能力の個人差もより大きくあり、未知の部分がさらに広がっている。でもそれは視点を変えれば「それだけ可能性がある」ということ。それだけ伸びしろがあるということなのだ。
だからこそ、チャレンジしないともったいない。
あくまでも僕の勝手な持論だけど、その障害であるが故に常識では出来ないと言われることでも、障害の常識というのは超ザックリの大きな枠組みでしかなく、実はその範囲内でも出来る事は努力次第で様々あって、さらにその範囲は努力次第で拡大していけるものだとも思っている。
障害者だからこそ、人生におけるチャンスはより広く、大きく存在しているのだと思うのだ。
だから、自分が思うことに挑戦する。
もしかしたらそれは「なんだそんなことか」とか「馬鹿げたことを」とか、人から笑われるようなことかもしれない。
それでも良いのだ。
人は人、自分は自分。それはそれ、これはこれ。
「世の中の 人はなんとも言わば言え 我がなすること 我のみぞ知る」
と、日本の偉人も言っている。
自分なりでいい。
新しいことにチャレンジする。
そして、それをクリアする。
すると、それが成功体験となり、自身にとっての財産となる。
そして次はもう少し高いハードルに挑む勇気が湧く。
そしてまたチャレンジする。
その繰り返しで人はどんどんスケールを増していく。
それが成長であり、世代を超えたその積み重ねが進化になるのだと思う。
ついでを言えば、僕は「慣れる」こともまた成長の一つと考える。
自分に都合の良い方向で考えるプラス思考故(笑)
とにかく、自分の世代で進化を止めちゃぁならない。
むしろ逆に自分がその進化を大きく伸ばすみたいな、それくらいの意気込みで頑張らなきゃならない。
歴史に名を残す人はそれをやり遂げた人。そういうことなんだろうな。
さぁ頑張るぞ!
こんな状況でも前を向いて、上を向いて、自分にとって都合の良いことを考え、都合の良い方向を向いて頑張っていこう。
明日もまた小さなチャレンジを!