最近、練習中にふと思う瞬間があった。
「今のボール、足が動けば楽に打てたのに・・・」と(笑)
足が動けば・・・健常者だったら・・・なんて思ってしまったのだ。
車椅子になってから、日常生活を含めてそう思うことは意外にもごく少ない。
なぜ?
多分、必至だから(笑)
後ろを振り向く暇がないということかな(笑)
それが、練習中にそんなことをふと思った。
自分でも意外だった。
それは集中してないからだと反省。
また、男のタラレバは格好悪いことだとも思うので、その点も反省。
そして、昨日の練習中にふとそのことを思い出したのだった。
けれど、その日はそんなことは微塵も考えなかった。
いやむしろ、それを考えることに否定的な気持ちさえあった。
だけど自分を客観視して、今のボール、足が動けば・・・と考えることが出来ている自分を嬉しく思えた。
足が動かせて、体幹も利いてボディワークも取ることが出来ればこのボールはこう打てる、と自分の感覚でイメージ出来ていることに喜びを覚える。
学生時代の健常者での経験があるからこそだと思っているし、積み重ねてきた結果、その経験という僕の財産はより研ぎ澄まされていると実感している。
健常者の経験があるからこそ、健常者の言葉をより理解出来るとも思っている。
以前から健常者としてのプレイもイメージしていたし、むしろそれを心がけていたのだけれど、それはより明確なものになっているし、その情報の処理能力が最近は格段に上がっているようにも思える。
だから、全体的により良いイメージが出来ているのだと思う。
まぁそんなこと言ったって、所詮は僕ごときのレベルでしかないけど(笑)
一般の「卓球」を前提として「車椅子卓球」を考える、それが僕のそもそものコンセプトなのだけれど、その為の取り組みがまたレベルアップ出来ているのかもしれない。
何をもってレベルアップなのかは僕個人の感覚でしかないけれど。
いぜれにしても成長を実感出来ているのが嬉しい。
手ごたえを感じる、ということなのかな。
でもそれはあくまでも僕の日常の範囲内のことでしかない。裏返せばそれは井の中の蛙と同じ。
それが結果に結びつかなければただの自己満足でしかなく、その正しい評価は試合の結果でしか示せない。
だから、現状はまだ五里霧中、暗中模索の真っただ中だけど、表舞台で結果を得られるようにコツコツと直向きに取り組み続けるしかない。
幸い日本社会においては卓球の情報が数多飛び交っているから、万が一また外出自粛期間となっても学ぶことは尽きない。
国内の複数のトップ選手をはじめ多くの関係者が様々な動画を配信していれば、世界に名だたる大手卓球メーカーは4社、また僕が契約いただいているSTIGAをはじめ外国メーカーも国内では多数取り扱われており、その各社が挙って様々な情報を発信していて、さらには世界で唯一?の卓球専門誌まであるのだから、これほど恵まれた国は他にはないと思う。
それをどのように活かすかは自分次第であり、工夫ひとつで自分磨きはいかようにも出来るものと考えている。
だから、不安はない。
健常者と同じように身体を使えない、動かせないことにも、活動がまた制限される時を迎えることにも。
今年の春の自粛期間はそれこそまさに不安しかなかった。
けれどそれを一度経験しているので、2度目をどうすべきか、何が出来るのか、また前回の反省も得ているので、万が一を考えることはプラスの思考となる。
健常者の卓球を考え、学び、理解していくことで、障害を負い「普通」とは異なる身体機能で、さらには車椅子に座ってプレーする自分はそれとどう向き合うのかを試行錯誤・・・の段階は超えているな(笑)、それをどう自分へとフィードバックさせていくか、そうすることで、車椅子卓球への理解もより深まっていくものだと感じている。
社会や環境への不安、心配は尽きないけれど、それは自分一人でどうこう出来るものではないので、それに対して自分に出来る努力を怠らず、または最大限に配慮し取り組んでいくしかない。
今回のコロナ対策は選挙と同じ。
自分の持つ一票は全体からすればものすごく小さなもの。
でも、間違いなく存在するものであり、投じた一票は社会への流れを成す力になる。
逆に、自分の一票なんて小さなものだから意味ない、選挙に行っても何にも変わらないとして参加しない、投票しないという人もよく耳にするけど、そうした声もまた全体の流れの一つになるし、結果的にはその票が動かなかったことで全体の結果が変わることにもなる。
「自分は関係ない」という思いが社会へ影響を与えることにもなるんだろうな。
だから、選挙と同じ。
人生は見ている方向へ進むもの。
どんな時もそれを忘れずにいたい。
大丈夫、明けない夜はない。
大切なことは、夜明けまでの時間をどう過ごすかだ。
夜が明けた時、その違いが明らかになる。
学び、鍛え、修練に励む。
文武両道、かつ、五常の精神で誇らしくありたい。
と、言うのは簡単なんだけどなぁ(笑)
さぁ、今年も残すところあと僅か。
年末年始?
変わらずやるべきこと、出来ることに粛々と取り組む。
食べ過ぎ注意の精神で(笑)
「今のボール、足が動けば楽に打てたのに・・・」と(笑)
足が動けば・・・健常者だったら・・・なんて思ってしまったのだ。
車椅子になってから、日常生活を含めてそう思うことは意外にもごく少ない。
なぜ?
多分、必至だから(笑)
後ろを振り向く暇がないということかな(笑)
それが、練習中にそんなことをふと思った。
自分でも意外だった。
それは集中してないからだと反省。
また、男のタラレバは格好悪いことだとも思うので、その点も反省。
そして、昨日の練習中にふとそのことを思い出したのだった。
けれど、その日はそんなことは微塵も考えなかった。
いやむしろ、それを考えることに否定的な気持ちさえあった。
だけど自分を客観視して、今のボール、足が動けば・・・と考えることが出来ている自分を嬉しく思えた。
足が動かせて、体幹も利いてボディワークも取ることが出来ればこのボールはこう打てる、と自分の感覚でイメージ出来ていることに喜びを覚える。
学生時代の健常者での経験があるからこそだと思っているし、積み重ねてきた結果、その経験という僕の財産はより研ぎ澄まされていると実感している。
健常者の経験があるからこそ、健常者の言葉をより理解出来るとも思っている。
以前から健常者としてのプレイもイメージしていたし、むしろそれを心がけていたのだけれど、それはより明確なものになっているし、その情報の処理能力が最近は格段に上がっているようにも思える。
だから、全体的により良いイメージが出来ているのだと思う。
まぁそんなこと言ったって、所詮は僕ごときのレベルでしかないけど(笑)
一般の「卓球」を前提として「車椅子卓球」を考える、それが僕のそもそものコンセプトなのだけれど、その為の取り組みがまたレベルアップ出来ているのかもしれない。
何をもってレベルアップなのかは僕個人の感覚でしかないけれど。
いぜれにしても成長を実感出来ているのが嬉しい。
手ごたえを感じる、ということなのかな。
でもそれはあくまでも僕の日常の範囲内のことでしかない。裏返せばそれは井の中の蛙と同じ。
それが結果に結びつかなければただの自己満足でしかなく、その正しい評価は試合の結果でしか示せない。
だから、現状はまだ五里霧中、暗中模索の真っただ中だけど、表舞台で結果を得られるようにコツコツと直向きに取り組み続けるしかない。
幸い日本社会においては卓球の情報が数多飛び交っているから、万が一また外出自粛期間となっても学ぶことは尽きない。
国内の複数のトップ選手をはじめ多くの関係者が様々な動画を配信していれば、世界に名だたる大手卓球メーカーは4社、また僕が契約いただいているSTIGAをはじめ外国メーカーも国内では多数取り扱われており、その各社が挙って様々な情報を発信していて、さらには世界で唯一?の卓球専門誌まであるのだから、これほど恵まれた国は他にはないと思う。
それをどのように活かすかは自分次第であり、工夫ひとつで自分磨きはいかようにも出来るものと考えている。
だから、不安はない。
健常者と同じように身体を使えない、動かせないことにも、活動がまた制限される時を迎えることにも。
今年の春の自粛期間はそれこそまさに不安しかなかった。
けれどそれを一度経験しているので、2度目をどうすべきか、何が出来るのか、また前回の反省も得ているので、万が一を考えることはプラスの思考となる。
健常者の卓球を考え、学び、理解していくことで、障害を負い「普通」とは異なる身体機能で、さらには車椅子に座ってプレーする自分はそれとどう向き合うのかを試行錯誤・・・の段階は超えているな(笑)、それをどう自分へとフィードバックさせていくか、そうすることで、車椅子卓球への理解もより深まっていくものだと感じている。
社会や環境への不安、心配は尽きないけれど、それは自分一人でどうこう出来るものではないので、それに対して自分に出来る努力を怠らず、または最大限に配慮し取り組んでいくしかない。
今回のコロナ対策は選挙と同じ。
自分の持つ一票は全体からすればものすごく小さなもの。
でも、間違いなく存在するものであり、投じた一票は社会への流れを成す力になる。
逆に、自分の一票なんて小さなものだから意味ない、選挙に行っても何にも変わらないとして参加しない、投票しないという人もよく耳にするけど、そうした声もまた全体の流れの一つになるし、結果的にはその票が動かなかったことで全体の結果が変わることにもなる。
「自分は関係ない」という思いが社会へ影響を与えることにもなるんだろうな。
だから、選挙と同じ。
人生は見ている方向へ進むもの。
どんな時もそれを忘れずにいたい。
大丈夫、明けない夜はない。
大切なことは、夜明けまでの時間をどう過ごすかだ。
夜が明けた時、その違いが明らかになる。
学び、鍛え、修練に励む。
文武両道、かつ、五常の精神で誇らしくありたい。
と、言うのは簡単なんだけどなぁ(笑)
さぁ、今年も残すところあと僅か。
年末年始?
変わらずやるべきこと、出来ることに粛々と取り組む。
食べ過ぎ注意の精神で(笑)