へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

発想の転換

2007年02月17日 21時08分28秒 | Weblog
多くの人は「発想の転換」が出来ないようです。
「発想の転換」とは、悪く言えば、「へそ曲がりな考え方をする」と言う事です。
つまり、私の得意分野です。
そして、以前にも書きましたが、「風が吹くと桶屋が儲かる」につながるのです。
今日の新聞に、日本だけが超低金利だと言う事に対する、不満の投書がありました。
私もわずかな年金(厚生年金が60%、国民年金が40%)暮らしなので、気持ちとしては良く分かります。
しかし、私は悪い部分だけを見る事はしません。
今の状態で、金利をあげたらどうなるのでしょう?。
金利を期待している人には、一時的にプラスになりますが、長つずきはしないでしょう。
これは、人件費にも同じ事が言えます。
少し難しい話になりますが、物理学の、「作用、反作用の原理」と同じで、何かをすると、必ず反対の事が起きるのです。
経済とは「お金が動く」事によって成り立ちます。
バブル以降、日本の経済はデフレになりました。
デフレによって、様々な悪影響が出ていますが、必ずしも悪影響ばかりではありません。
低金利、低賃金によって、製品の価格が下がりました。
1万円のものが9千円になれば、千円残ります。
「千円の利息が付いた」、と思えばいいのです。
価格が下がれば、国際競争力も付きます。
日本はもともと、輸出で発展してきた国です。
輸出ができなければ、日本の経済は成り立ちません。
かつて韓国は、低賃金を武器に経済成長しましたが、今はどうでしょう?。
中国にその座を奪われてしまいました。
その中国も、人件費や物価の上昇になやまされ始めています。
先を争って中国への進出を争った日本企業も、中国からの撤退を考え始めています。
かなり難しい話ですが、仮の話、今の賃金体系をこのまま維持した場合、いつの日か、日本の製品は、「世界一安い」と言われるようになるのでは?。
低金利、低賃金だから日本は成り立っているのです。
物事には、全てウラとオモテがあります。
オモテばかり、あるいは、ウラばかり見ていてはダメです。
オモテにはウラがあり、ウラにはオモテがあるのです。
両方をシッカリ見つめる事です。
始めに書きましたが、私の受け取っている年金は、それ程多くはありません。
転職は10回以上、国民年金が40%ですから、当然の事です。
しかし、周囲の人は、「かなりもらっている」と思われています。
この違いは何処から来るのでしょう?。
多くの人は、物事を悪い方に考えます、つまりマイナス思考です。
しかし、私は全て、プラス思考です。
これは、気持ちの余裕につながります。
気持ちに余裕の「ある、なし」は、その人の表情、態度、雰囲気等に現れてきます。
この差ではないかと思います。
マイナス思考は、精神衛生上からもよくありません。
同じ一生なら、笑って楽しく暮らしたいとは思いませんか?。
笑って暮らしても、しかめっ面して暮らしても、泣いて暮らしても、一生には変わりありません。
「笑う門には福来る」、私は本当にそうだと思います。
何度も落ち込んだ時期がありましたが、前向きだったので、抜け出すキッカケが掴めたのです。
自殺は、16の時(父との対立で、ある有名高校を辞めた時)に考えた事はありますが、社会に出てからは全くありません。
私の経験から言うと、悪い方に考えると、不思議に悪い結果が出るのです。
発想を転換して、楽しく行きましょう。
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自己責任のつずき

2007年02月17日 00時06分07秒 | Weblog
情報化社会と言われているが、私に言わせれば、情報化ではなく、情報過、社会ではないだろうか?。
次から次えと、様々な情報が流されている。
いったいどれが正しいのだろうか?。
有り余る情報の中から、正しい情報を拾い出す能力を持っている人が少なくなっている。
かつては「目明き(物事を正しく判断出来る人)千人、メクラ(出来ない人)千人」と言われていたのだが。
今では「目明き百人、メクラ千人だから、目明きを相手にしていては、商売にならぬ}」と言う人もいると聞く。
鳥は、生まれて始めて見る、動く物を親と認識する習性があるが、人間も始めに聞いた情報を、正しいと信じる傾向がある。
もしそれが、出鱈目だったとしたらどうなるのだろう?。
正しい理解力のない人たちは、メディアの流す情報によって、マインドコントロールされているように感じてならない。
今、企業は生き残りをかけて必死である。
利益を上げるためには、何でもアリ、と言うところもある。
「騙された」と言って騒ぐ人もいるが、全てがそうだろうか?。
騙される方にも責任があるのでは?。
かく言う私も、何度騙された事か。
しかし、けして騒いだことはない。
合計すれば、かなりの金額になるのだが、授業料として諦めた。
社会勉強である。
学校でするだけが勉強ではない。
社会に出てからの勉強の方が大変である。
成績の良し悪しは、全て自分に返ってくるからだ。
他人の失敗を笑っていると、いつの日か、自分が泣く事になる。
他人の失敗を糧にすれば、泣かずにすむのです。
「失敗は成功の母」と言います。
失敗を恐れて何もしないと、後で取り返しの付かない失敗につながる可能性もあります。
失敗を次の成功につなげればいいのです。
しかし、それが出来ない人が多いですねーーー。
捏造で問題になった番組を、まだ信じている人がいるのです。
マインドコントロールされてしまったのでしょうか?。
私は、かつてある民放の番組制作に係った事があるので、民放の番組は、始めから信じていません。
単なる娯楽番組、として見ています。
或る程度以上の知識があれば、ウソや、やらせ、の多くは見抜けるはずです。
視聴者がもっと賢くならなくてはダメです。
「目明き百人」などと言われているようでは困ったもんです。
問題が起きてからでは、いくら相手を責めても元には戻りません。
嫌な思いをするだけです。
問題が起きなければ、嫌な思いもしなくて済むのです。
法も他人も、簡単には守ってくれません。
自己責任(自助努力)だけでは、どうしようもないのも確かですが、法や他人を当てにしていては、もっと悲惨です。
「知らなかった」と言う人がよくいますが、或る国では「不知は罪なり」と言って、「知らなかった」とは言いにくい国もあるそうです。
「知らなかった」「記憶にありません」等という事が通用するようでは、困りますよね。
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