へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

情報化社会

2007年02月05日 20時12分38秒 | Weblog
インターネットの発達で、世界中の様々な情報が瞬時に届く、便利な世の中になった。
本当にそうなのだろうか?。
私は、必ずしもそうだとは思わない。
便利になった部分と、不便になった部分とが、混在してしまっているのだ。
新しい情報を得ようとして検索した場合に、そこそこの情報は直に得られるのだが、少し掘り下げた情報を得ようとすると、非常に難しくなってしまう。
検索してトップに出てくるのは、人気ブログばかり。
この人気ブログが曲者なのです。
人気ブログ、何故人気があるのだろうか?。
私のブログなどはとても人気ブログにはならないだろう。
理由はハッキリしている。
人気ブログは、演出や脚色、そして流行を取り入れる等のテクニックを駆使している。
中身ではなく、見てくれで勝負なのです。
私のように、問題を掘り下げて考えるのは少数です。
少数を相手にしていては、人気ブログにはなれません。
この様なブログに邪魔をされて、必要な情報が得られない事が大半です。
本来重要されなければならない情報が、大量のどうでもよい(一部の真面目な人には、ゴメンナサイ)情報の中に埋没してしまったのです。
大量の情報、これをどのように処理すればよいのか?。
多くの人は処理能力を持っていない。
あるある大辞典の問題も、多数の処理能力のない人を対象に作られているのです。
与えられた情報をそのまま鵜呑みにする。
これではますます世界から、置いてきぼり、になるのでは?。
困ったものです。
学校教育の見直し、などと言うレベルではないはず。
我々も含めた、総合的な問題として取り組むべきです。
自分の子供の躾けも出来ず、学校に頼る親。
権利には義務が付き物だという事も知らず、自分の権利だけを主張する人。
目先の利益にしか関心のない人。
書き出したらキリがありません。
どうしたらよいのか?。
一人一人の自覚がなければ、政治に期待しても無駄です。
「魚心あれば水心」、政府がどの様な良い策を考え(られるとも思えないのだが?)たとしても、国民が受け入れてくれなければどうし様もありません。
政府は常に、有権者の顔色、を伺っています。
有権者のご機嫌を損ねたら、次の選挙は戦えません。
次の選挙の事を考えていては、ろくな事が出来ないのは当然では?。
いい加減その事に気が付いてほしいものです。
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NHKと民放

2007年02月05日 04時07分20秒 | Weblog
あるある大辞典、のデータ捏造、あれだけなのだろうか?。
そんな事はないはず。
あるある大事典以外の番組にも沢山あるはず。
今回の問題以外でも、放送局が直接制作するのではなく、孫受、ひ孫受と言うような会社が制作しているようでは、まともな物は出来ないのでは?。
民放の場合は、常に視聴率を意識しなければならない。
視聴率が低ければ、スポンサーが付かなくなってしまう。
スポンサーが付かなければ、放送局は経営が成り立たない。
それでは、どうすれば視聴率を上げることが出来るのだろう?。
答えは一つ、視聴者が喜んで見るような内容にすればいいのだ。
喜んで見る。
これがなかなか難しい。
たとえ学術的に貴重な映像でも、そのまま放送したのでは見てもらえないことのほうが多いのでは?。
以前話題になった、レッサーパンダ「風太」の立ち姿にしても、本当は、特別に珍しい物ではないのだが(NHKの番組で詳しく放送されている)、人気が出るように、話のもって行き方でどうにでもなるのです。
昨夜も、シロナガスクジラの貴重な映像が放送されていたが、これをそのまま民放で放送するとしたら、スポンサーは付くのだろうか?。
NHKの不祥事だけが問題視されているが、民放は大丈夫なのだろうか?。
NHKのニュース等で、アナウンサーが間違えたり、字幕が間違っていたりすると、たちまち抗議の電話が殺到するそうだが、民放ではほとんど無いと聞く。
この違いは何であろう?。
見る人の心の持ち方の違いだと思う。
私の場合、民放の番組を見るときは、完全に娯楽番組として見ます。
内容の信憑性は始めから問題にしていません。
自然や科学物は、視聴者が興味を引くような部分を強調(広い意味の捏造です)しているので、面白くありません。
それにしても、なんであのような下らない番組が作られるのだろう?。
喜んで見る人がいるから。
需要と供給の原理と同じだろう。
需要の有る所に供給がある、需要がなければ供給もないのです。
番組を制作した会社だけに責任があるわけではありません。
喜んで見ている、視聴者にも責任があるのでは?。
あの時、およそダイエットなど必要がないと思える、細身の女性が、カゴいっぱいに納豆を買うのを見ましたが、あれ以上痩せてどうするんだろう?、と思います。
やれ、○○がいい、××がいいなどと言って、一時的なブームで終わるものがどれだけあったことか。
ブームで終わるだけならいいのだが、健康を損ねたりしたら何の意味もなくなる。
私の義理の姉が健康食品に凝って、その結果体調を崩し、半年近く入院する騒ぎを起こした事があります。
安易に信じるととんでもない事になる事もあるのです。
見る側がもっと賢くならなければ、よい番組出来ないのでは?。
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