へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

安部総理大臣辞任

2007年09月13日 04時11分48秒 | Weblog
なんともまあ、可哀相な事である。
選りによって、一番悪い時に総理大臣になったものだ。
要するに「貧乏くじ」を引いたのだ。
小泉総理の後を引き受けた当時は予想出来なかったのであろう。
当時、私はまだブログは始めていなかった。
始めていたら、このことを書いていたであろう。
小泉総理による改革改造路線、これには数々の問題を抱えていた。
しかし、その後始末は誰がするの?。
何事も、始めるのはそれ程難しい事では無い。
しかし、上手く行けばよいが、上手く行かなかったときの後始末は大変である。
小泉総理の「腰巾着」であった、竹中議員が任期途中で議員を辞めたのがその現れである。
この事は、政治の世界だけの話ではない。
政界に限らず、一般の会社や組織でも同じ事が起きる。
阿部さんの後は誰が引き受けるのであろう?。
現状では、誰がやっても同じ様な事になるのでは?。
ここは思い切って、民主党の小沢さんにやらせてみるのも面白いのでは?。
安部総理辞任に関するインタビューを聞いていると、相手が言ったことを批判したり、揚げ足を取るだけ。
批判するだけなら誰にでも出来る。
批判するのではなく、建設的なことが言えないものだろうか?。
批判からは何も新しい事は生まれない。
これは、我々有権者にも言えることである。
政治の腐敗と、国民の腐敗とは無関係ではないはず。
どちらが先に腐敗したかは、難しい問題である。
「私は違う」「俺は違う」と言う人もいると思うが、これはどちらにも言える事。
本当に「自分は違う」と言い切れるだろうか?。
自分が思うような事をしてくれない(私利私欲)からと言って、支持者(政党)を変えたり、無関心で投票しない事も同じである。
目先の私利私欲にとらわれない、長期的視野に基ずいた考えを持って欲しい物である。
以前書いた事があるのだが、今の日本は、人間にたとえれば、壮年期から老年期にになるあたりだと思う。
体力気力とも衰えは隠せず、成人病などにも気を付けなくてはならない。
目先の利益だけを考えていると、思わぬ落とし穴が待っているかもしれない。
体力の衰えた今の日本、あれもこれもと過剰な希望をすると、無理がたたって・・・・・、と言う事も。
新しい総理大臣に誰がなるのか?。
「茨の道を歩む」なんて事にならなければ良いのだが。
コメント
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