近所のお婆さんと話していて聞かされたのだが、「うちに来る人が皆、物価が上がって生活が苦しくてしょうがない」と言うのだそうである。
殆どが80代で、戦中戦後の厳しい生活を経験して来た人たちだと言うのに。
近所のお婆さんと私では、23も年が違うのだが、不思議な事に話が合うのだ。
そのお婆さんに言わせれば、「戦中戦後に比べれば、今のほうが遥かに楽だ」と言うが、私も同感である。
「卵が高くて買えない」と言う話をよく聞くのだが、昭和20年代の頃は、卵1個の値段は15円位していたように記憶している。
その頃の大卒の初任給は1万円以下だったはずで、コッペパンにジャムやアンコを付けて貰って15円で、ラーメンが30円くらいだったと思う。
バナナも1本30円くらいしたので、めったに食べる事も出来ず、食べられたとしても、兄弟6人で2本か3本を分け合うであった。
何しろ1円と言うお金にも立派なネウチが有り、50銭(1円の半分)でお菓子が買えたのである。
電話はもとより、電化製品なども何も無く、せいぜいラジオがあればよいほうで、それすらない家庭も沢山あったのだ。
それに比べて現在の生活は、ありとあらゆる電化製品や贅沢な食べ物に囲まれ、当時と比べれば「格段に豊かな生活」を享受している。
ガソリンの値段にしても、私が初めて車を買った35年余り前は1リトル55円位していたが、当時の大卒初任給は5万円以下だったはずだから、今の値段に直すと200円以上になるのではないだろうか?。
昭和20年・30年代の給与水準で考えると、とても今の生活など出来ないだろう。
「ノドもと過ぎれば暑さ忘れる」と言うように、過去の苦しかった生活など当の昔に忘れてしまったのだろう。
それに比べて私や近所のおばあさんは、昔の事を忘れずにいるため「昔に比べればこの程度の事はどおって事無い」と思っている。
ここで一つ忘れてならないことがある。
後期高齢者に当たる人たちは、戦中戦後の厳しい時代を経験してきているのだが、その一方で、「高度経済成長期には、その恩恵を最も受けている」と言うことである。
人間誰でもそうなのだが、「一度楽な思いをしてしまうと、少しの苦労でも辛くなる」と言うことである。
「苦あれば楽あり」と言うが、その反対の「楽あれば苦あり」と言うこともあるのだが、どちらがよいかは言わないでおく。
殆どが80代で、戦中戦後の厳しい生活を経験して来た人たちだと言うのに。
近所のお婆さんと私では、23も年が違うのだが、不思議な事に話が合うのだ。
そのお婆さんに言わせれば、「戦中戦後に比べれば、今のほうが遥かに楽だ」と言うが、私も同感である。
「卵が高くて買えない」と言う話をよく聞くのだが、昭和20年代の頃は、卵1個の値段は15円位していたように記憶している。
その頃の大卒の初任給は1万円以下だったはずで、コッペパンにジャムやアンコを付けて貰って15円で、ラーメンが30円くらいだったと思う。
バナナも1本30円くらいしたので、めったに食べる事も出来ず、食べられたとしても、兄弟6人で2本か3本を分け合うであった。
何しろ1円と言うお金にも立派なネウチが有り、50銭(1円の半分)でお菓子が買えたのである。
電話はもとより、電化製品なども何も無く、せいぜいラジオがあればよいほうで、それすらない家庭も沢山あったのだ。
それに比べて現在の生活は、ありとあらゆる電化製品や贅沢な食べ物に囲まれ、当時と比べれば「格段に豊かな生活」を享受している。
ガソリンの値段にしても、私が初めて車を買った35年余り前は1リトル55円位していたが、当時の大卒初任給は5万円以下だったはずだから、今の値段に直すと200円以上になるのではないだろうか?。
昭和20年・30年代の給与水準で考えると、とても今の生活など出来ないだろう。
「ノドもと過ぎれば暑さ忘れる」と言うように、過去の苦しかった生活など当の昔に忘れてしまったのだろう。
それに比べて私や近所のおばあさんは、昔の事を忘れずにいるため「昔に比べればこの程度の事はどおって事無い」と思っている。
ここで一つ忘れてならないことがある。
後期高齢者に当たる人たちは、戦中戦後の厳しい時代を経験してきているのだが、その一方で、「高度経済成長期には、その恩恵を最も受けている」と言うことである。
人間誰でもそうなのだが、「一度楽な思いをしてしまうと、少しの苦労でも辛くなる」と言うことである。
「苦あれば楽あり」と言うが、その反対の「楽あれば苦あり」と言うこともあるのだが、どちらがよいかは言わないでおく。