自分の感覚ではもっと前から書き始めていたように感じるのだが、実際は4年しか経っていない。
初めは「オカヤドカリ」のことを書くつもりで始めたのだが、それ以外のことも書くようになり、次第にまとまりがなくなってしまったが、1年半ほど過ぎたころ「オカヤドカリ」に関する部分を分離して新しいブログを立ち上げたのだが、これは言わば「ついで」でしかなかった。
そもそも、分離を考えた最大の要因は「新しい携帯のカメラの性能がよかった」と言うことで、そのカメラを利用して「花便り」を始めた「ついで」だったのである。
初めのうちは思いつくままに書いていたのだが、次第に書くネタが少なくなり、最近は書こうという気持ちはあるのだが、「過去の記事と重複する」と言う問題が多くなり、次第に更新が疎かになっているが、「日本を取り巻く環境の悪化」も大きな要因の一つになっている。
さて、今年も残すところあとわずかであるが、果たした新しい年はどんな年になるのであろうか。
私の予想では、正直な話「今年より悪くなる」のではないかと思っている。
「良くなって欲しい」と言う気持ちはあるのだが、現状を考えれば「無理な相談」と言った感じが強く、今から心の準備をしておいたほうがよいと思うのだが・・・・。
普段の私は「余裕があっていいですね!」と言われることが多いのだが、「年収200万円以下」の私に余裕などあるわけがないのだが、心の持ちよう一つで「精神的な余裕が生まれる」と言うこともあるのだろう。
悪い結果が出たとしても、「期待をしていた」場合と「期待などしていなかった」場合では精神的なダメージは大きく違ってしまい、それが普段の行動や表情にも表れるのだろう。
ついでに言うなら、「檜舞台から奈落の底に落ち、其処から這い上がる」と言う過去があることも大きな要因になっているかもしれないが・・・・。
父との対立から「高校1年で学校を辞める(中退)」と言うことになり、それからの10年間は「黒に近い灰色の時代」と言ってよく、私には「楽しい青春時代などなかった」と言ってよいだろう。
自殺を考えたことなど何度あっただろうか。
しかし「死にたいと思う気持ちがあるのにのに死ねない」と言う状況は、多くの人にとって「理解不能」なことだろうが、其処から這い上がれたことで「今の自分の強さがある」と思っている。
そして、何かのときに思うのは「あの時に比べれば今は・・・・」と言うことで、それがよい方向に作用しているのだろう。
更に、20歳を過ぎたころだったろうか、「幸せになりたかったら周りを見るな」と言うことをある高齢の人から教えてもらったのだが、今にして思えば「よいことを教えてもらった」と思っている。
「隣の芝生は青く見える」と言うように、周り(他人)のことはどうしても良く見えてしまい、その結果「自分が惨めになる」と言うことになり、その結果として「幸せになれない」のである。
どんなに些細なことでも「幸せに思える」ということは幸せなことなのだが、周りを見るとどうしても自分と比較してしまい、些細なことにも幸せを感じることが出来なくなり、その結果として「幸せになれない」のである。
ついでに言うなら、一般的には「丸い卵も切りよじゃ四角、物も言いよで角が立つ」と言われることが多いのだが、私は「四角い豆腐も切りよじゃ丸い、物も聞き(考え)よで角立たぬ」と思う方が幸せになれると思うのだが・・・・。
初めは「オカヤドカリ」のことを書くつもりで始めたのだが、それ以外のことも書くようになり、次第にまとまりがなくなってしまったが、1年半ほど過ぎたころ「オカヤドカリ」に関する部分を分離して新しいブログを立ち上げたのだが、これは言わば「ついで」でしかなかった。
そもそも、分離を考えた最大の要因は「新しい携帯のカメラの性能がよかった」と言うことで、そのカメラを利用して「花便り」を始めた「ついで」だったのである。
初めのうちは思いつくままに書いていたのだが、次第に書くネタが少なくなり、最近は書こうという気持ちはあるのだが、「過去の記事と重複する」と言う問題が多くなり、次第に更新が疎かになっているが、「日本を取り巻く環境の悪化」も大きな要因の一つになっている。
さて、今年も残すところあとわずかであるが、果たした新しい年はどんな年になるのであろうか。
私の予想では、正直な話「今年より悪くなる」のではないかと思っている。
「良くなって欲しい」と言う気持ちはあるのだが、現状を考えれば「無理な相談」と言った感じが強く、今から心の準備をしておいたほうがよいと思うのだが・・・・。
普段の私は「余裕があっていいですね!」と言われることが多いのだが、「年収200万円以下」の私に余裕などあるわけがないのだが、心の持ちよう一つで「精神的な余裕が生まれる」と言うこともあるのだろう。
悪い結果が出たとしても、「期待をしていた」場合と「期待などしていなかった」場合では精神的なダメージは大きく違ってしまい、それが普段の行動や表情にも表れるのだろう。
ついでに言うなら、「檜舞台から奈落の底に落ち、其処から這い上がる」と言う過去があることも大きな要因になっているかもしれないが・・・・。
父との対立から「高校1年で学校を辞める(中退)」と言うことになり、それからの10年間は「黒に近い灰色の時代」と言ってよく、私には「楽しい青春時代などなかった」と言ってよいだろう。
自殺を考えたことなど何度あっただろうか。
しかし「死にたいと思う気持ちがあるのにのに死ねない」と言う状況は、多くの人にとって「理解不能」なことだろうが、其処から這い上がれたことで「今の自分の強さがある」と思っている。
そして、何かのときに思うのは「あの時に比べれば今は・・・・」と言うことで、それがよい方向に作用しているのだろう。
更に、20歳を過ぎたころだったろうか、「幸せになりたかったら周りを見るな」と言うことをある高齢の人から教えてもらったのだが、今にして思えば「よいことを教えてもらった」と思っている。
「隣の芝生は青く見える」と言うように、周り(他人)のことはどうしても良く見えてしまい、その結果「自分が惨めになる」と言うことになり、その結果として「幸せになれない」のである。
どんなに些細なことでも「幸せに思える」ということは幸せなことなのだが、周りを見るとどうしても自分と比較してしまい、些細なことにも幸せを感じることが出来なくなり、その結果として「幸せになれない」のである。
ついでに言うなら、一般的には「丸い卵も切りよじゃ四角、物も言いよで角が立つ」と言われることが多いのだが、私は「四角い豆腐も切りよじゃ丸い、物も聞き(考え)よで角立たぬ」と思う方が幸せになれると思うのだが・・・・。