へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

37兆円で102兆円の生活

2009年12月12日 03時45分07秒 | Weblog
麻生内閣時代の予算が102兆円だったのに対して、税収の方は当初の見込みを大きく下回り、「僅か37兆円弱」しか見込まれないのであるが、37兆円の収入で102兆円の支出をどうやってまかなうのか疑問に感じないのだろうか。
桁があまりにも大きすぎるために実感がわかないかもしれないので、一般家庭にも当てはまるように「37万円の収入で102万円の生活をする」として考えてみてはどうだろうか。
単純に考えると、「出て行くお金が102万円で入って来るお金は37万円」と言う事は「65万円の不足」と言うことになってしまうのだが、この65万円と言う不足額を補うには一体どうすればよいのであろうか。
一番手っ取り早い方法に「借金をする」と言う方法があるのだが、借金は必ず返さなくてはいけないので、返済期限までに返済額を用意しなくてはいけないのだが、多くの場合「お金の用意が出来ない」と言うことになり、「借金の返済をするために借金をする」と言う、正に「借金まみれ」と言う状態になってしまうのである。
つまリ、102兆円と言う日本の予算の多くは「期限が来た国債の償還に当てられる」と言うことになり、実際に使える額はそんなに多くはないのであるが、国債の発行額が多くなればなるほど「困った問題」が発生してくる事にも注意が必要なのである。
その困った問題とは、「借金(国債)には利息が付き物」と言う事で、政府が発表した国債の発行残高「およそ600兆円」にも利息を払わなくてはならず、1%の利息(国債発行の為の事務手数料などの経費を含めればもっと多いだろうが)としても「6兆円」と言う巨額なお金が必要になり、これが更に財政を圧迫してしまうのである。
バブル崩壊以前であれば国債の発行額も現在より少なく、税収の伸びである程度はカバーできたかもしれないが、バブル崩壊後は税収が落ち込んでしまい「借金が借金を呼ぶ」と言う体質に変わってしまい、このまま行けば「日本と言う国家が夕張市のようになる」と言うことを覚悟しなくてはいけないだろう。
「まさか?」と思う人もいるだろうが、麻生元総理が財政再建にこだわったのも、鳩山内閣が「国債発行額を44兆円以内に」と言うのも、根底にこの問題があることを十分に理解しているからであろうが、その一方で、国民新党の亀井静香が「予算は102兆円以上でなければ」などと言う戯言を言っているのは「借金を返すのは俺じゃないから、俺の知ったことじゃないよ!」と言ったところなのだろう。
現実の話、73歳になっていることを考えれば、この問題が重大化する頃には政界を引退していて「俺がそんなことを言ったの?」などと言うことにもなっているかもしれないのである。
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