だぼはぜと言う小魚をご存知であろうか?。
昭和30年代までは、東京の中野、練馬(子供の頃の行動範囲です)周辺の池や小川にも沢山すんでいました。
大きくなっても5センチに満たない、小さな「淡水性のはぜの一種」です。
今では殆ど使う人はいなくなりましたが、「だぼはぜ野郎」と言う言葉は、「相手を蔑視した言葉」なのです。
実はこのだぼはぜと言う魚、「非常に悲しい習性」を持っているのです。
警戒心が非常に弱く、目の前で動く物には何でも興味を持つのです。
ですから、釣るのは「いたって簡単」で、餌の付いていない「空針」にさえ食いつく事も珍しくないのです。
一旦逃げても、誘惑に勝てないと見えて、少し針を動かしているとまた集まってきます。
はぜの仲間にはこのような性質のものが多く、私が子供の頃は「江戸前のはぜ釣り」が盛んでしたが「はぜは馬鹿でも釣れる」と、バカにされたものです。
その反対が「カワハギ釣り」ではないだろうか。
カワハギの別名は「餌取り名人」と言われるほど、釣り難いので有名で、気が付くと「餌が無い」と言うくらい、エサ取りが非常に上手いのである。
当然の話ではあるが、疑似餌には全く反応せず、疑似餌つりは成り立ちません。
仮の話であるが、有権者がこのカワハギのようであったら、政治はどう変わるのであろうか?。
「いくら餌を撒いても針に掛からない」となれば、「無駄な餌」など撒かなくなる。
景気に波は付き物である、しかしその事を政府は国民に教えようとしなっかた。
「教えなくてもわかる!」と言う人もいるだろうが、それは表面的なことでしかない。
今でも余り表に出てこない「国債」についてどれだけ説明したであろう?。
今現在でさえ、「国債が国の借金だなんて知らなかった」と言う人が大勢いるのである。
始めのうちは単に「国債」と言う程度の説明だったものが、やがて「赤字国債」と変わっては来たが、依然として「都合の悪い部分の説明」はしていない。
日本と言う国には、民主主義は存在しない、民主主義国家で無い以上、国民は「政治に対する関心」を殆ど持つことは無い。
「そんな事は無い」と言う方も居られるだろうが、果たしてそうであろうか?。
私に言わせれば、「関心があるのは、自分に利害があるものだけ」としか言えない。
これでは単に「欲の皮が突っ張っているだけ」としか言えないと思うのだが、どんなものであろうか?。
世論調査では、6割の人とが「ガソリン税の引き下げに賛成」だと報じている。
なんとも情けない話である。
「国債・地方債」と言う「借金まみれ」の日本は、「砂上の楼閣」に等しいのではないだろうか。
温暖化により海面の上昇が続いているが、何処まで「砂上の楼閣」が持つものか?、「憂うべき時代」になってしまったようである。
昭和30年代までは、東京の中野、練馬(子供の頃の行動範囲です)周辺の池や小川にも沢山すんでいました。
大きくなっても5センチに満たない、小さな「淡水性のはぜの一種」です。
今では殆ど使う人はいなくなりましたが、「だぼはぜ野郎」と言う言葉は、「相手を蔑視した言葉」なのです。
実はこのだぼはぜと言う魚、「非常に悲しい習性」を持っているのです。
警戒心が非常に弱く、目の前で動く物には何でも興味を持つのです。
ですから、釣るのは「いたって簡単」で、餌の付いていない「空針」にさえ食いつく事も珍しくないのです。
一旦逃げても、誘惑に勝てないと見えて、少し針を動かしているとまた集まってきます。
はぜの仲間にはこのような性質のものが多く、私が子供の頃は「江戸前のはぜ釣り」が盛んでしたが「はぜは馬鹿でも釣れる」と、バカにされたものです。
その反対が「カワハギ釣り」ではないだろうか。
カワハギの別名は「餌取り名人」と言われるほど、釣り難いので有名で、気が付くと「餌が無い」と言うくらい、エサ取りが非常に上手いのである。
当然の話ではあるが、疑似餌には全く反応せず、疑似餌つりは成り立ちません。
仮の話であるが、有権者がこのカワハギのようであったら、政治はどう変わるのであろうか?。
「いくら餌を撒いても針に掛からない」となれば、「無駄な餌」など撒かなくなる。
景気に波は付き物である、しかしその事を政府は国民に教えようとしなっかた。
「教えなくてもわかる!」と言う人もいるだろうが、それは表面的なことでしかない。
今でも余り表に出てこない「国債」についてどれだけ説明したであろう?。
今現在でさえ、「国債が国の借金だなんて知らなかった」と言う人が大勢いるのである。
始めのうちは単に「国債」と言う程度の説明だったものが、やがて「赤字国債」と変わっては来たが、依然として「都合の悪い部分の説明」はしていない。
日本と言う国には、民主主義は存在しない、民主主義国家で無い以上、国民は「政治に対する関心」を殆ど持つことは無い。
「そんな事は無い」と言う方も居られるだろうが、果たしてそうであろうか?。
私に言わせれば、「関心があるのは、自分に利害があるものだけ」としか言えない。
これでは単に「欲の皮が突っ張っているだけ」としか言えないと思うのだが、どんなものであろうか?。
世論調査では、6割の人とが「ガソリン税の引き下げに賛成」だと報じている。
なんとも情けない話である。
「国債・地方債」と言う「借金まみれ」の日本は、「砂上の楼閣」に等しいのではないだろうか。
温暖化により海面の上昇が続いているが、何処まで「砂上の楼閣」が持つものか?、「憂うべき時代」になってしまったようである。
選挙の度にばら撒かれる餌に、釣られてばかりいた結果以外の何者でもないと思う。
目先の欲得に目が眩んでいては、まともな政治など出来るはずがない。
政党を攻撃してみても、余り意味がないと思う。
日本社会では、学校教育でさえ「政治経済」について教える事は少ないが、一部の進学校では、中学から独立した科目として存在している。
それも「選択」ではなく「必修」なのである(私の行った学校もそうであった)。
このような状態であるから、一般の人が「政治経済に疎い」のは仕方ない事かもしれない。
その上「目先の快楽」にふけっているのだから、民主党と言うダラシナイ政党が生まれてくるのも当然のことだろう。
今の民主党支持者の多くは、「自分達に都合の良いことをしてくれれば何処の党でもよい」と言う輩の集まりで、「金の切れ目が縁の切れ目」と言ったところではないだろうか。
とても良識ある政党とは思えない。
内容的には、かなり私と「違う部分」はあるものの、日本の現状を素直に認めている点は、「大いに評価」するべきであろう。
とかく日本人は、「過去の栄光」にすがりつく悪い癖がある。
「捨ててこそ浮かぶ瀬もある」と言うように、現状を認めずにじたばたしていると、「助かる道を見失う」と言う事になりかねない。
まだなだ見込みのある人は沢山います。
問題は、その人たちを「いかに育てるか」と言うことではないだろうか?。
「有権者の心」が問われる所である。