人間社会(日本だけではない)の経済のことで、一部では「冬の時代」と言う表現をしているのだが、私は敢えて「冬の時代」と言う言葉は使いたくない。
何故使わないのか・・・・。
その理由は、「冬の時代」と言う言葉の裏には「我慢をしていればいずれ春が来る」と言う意味が込められているからであるが、「いずれ春が来る」と言うことは、最早「過去の言葉」と言ってもよく、一時的には回復することもあるだろうが、長期的に見れば「衰退(寒冷化)」して行くだろう。
私のブログはいつも暗い話ばかりで申し訳ないのだが、正直な話、明るいことを書こうと思えば書けるのだが、それでは「書く意味がない」と言うことになってしまうのである。
敢えて「暗い話」と書いたのだが、別な表現で、「警鐘」と言う言い方も連想してほしいと思うのだが・・・・。
「楽観的に考えて後で泣く」か、「最悪のことを想定して泣かずに済ませる」かは個人の自由選択だが、私が何とか無事に存在しているのは後者を選択してきたからである。
その一つの例が、多くの人がバブルに浮かれていたときに、息子が私に「父さん、うちは貧乏なの?」と言わしめたのである。
あの時に借金(住宅ローン)を繰り上げて返済していなければ、息子を大学に入れることも出来ず、今の私も苦しい生活になっていたであろう。
「楽の後に苦が来る」のと「苦の後に楽が来る」のでは、どちらが良いのだろうか?。
私は迷わず後のほうを選ぶのだが・・・・。
何故使わないのか・・・・。
その理由は、「冬の時代」と言う言葉の裏には「我慢をしていればいずれ春が来る」と言う意味が込められているからであるが、「いずれ春が来る」と言うことは、最早「過去の言葉」と言ってもよく、一時的には回復することもあるだろうが、長期的に見れば「衰退(寒冷化)」して行くだろう。
私のブログはいつも暗い話ばかりで申し訳ないのだが、正直な話、明るいことを書こうと思えば書けるのだが、それでは「書く意味がない」と言うことになってしまうのである。
敢えて「暗い話」と書いたのだが、別な表現で、「警鐘」と言う言い方も連想してほしいと思うのだが・・・・。
「楽観的に考えて後で泣く」か、「最悪のことを想定して泣かずに済ませる」かは個人の自由選択だが、私が何とか無事に存在しているのは後者を選択してきたからである。
その一つの例が、多くの人がバブルに浮かれていたときに、息子が私に「父さん、うちは貧乏なの?」と言わしめたのである。
あの時に借金(住宅ローン)を繰り上げて返済していなければ、息子を大学に入れることも出来ず、今の私も苦しい生活になっていたであろう。
「楽の後に苦が来る」のと「苦の後に楽が来る」のでは、どちらが良いのだろうか?。
私は迷わず後のほうを選ぶのだが・・・・。