今回は49歳の時に登った時の話。
この時は河口湖側から。
息子の友達の家族と一緒に行ったので、大人4人と子供4人。
スバルラインンの入り口でバスに乗り換え、五合目に。
そう、中学2年の時は太平洋の海岸近くから登ったが、今回は五合目から。
で、初めから頂上まで行くつもりもなし。
「とりあえず富士山にでも行ってみるか」と言った程度の気持ちで行ったのである。
そんなわけで、六合目で大人3人と子供2人が戦意喪失。
が・・・・。
中学生の息子(野球部)と、その同級生のお兄ちゃん(高校生でサッカー部)は登りたそうな雰囲気まるだし。
私ももう少し上まで登りたい。
が、天気が悪くなり、小雨も降り出した。
そして・・・・。
山頂付近は悪天候らしく、八合目で「通行止め」と言う話も。
そのため、取り敢えず「登れるところまで」ということで出発。
子供たちは野球部とサッカー部で動き回っているので元気いっぱいだが・・・・。
私は49歳。
登りはとても太刀打ちできず、何とか「一万尺(3030m?)」と言う標識のあるところまでたどり着く。
で、「もう少し上まで」とも思ったが、その先に少し危険な個所を発見。
雨もだいぶ降ってきた。
と言うことで、子供たちはまだ登りたそうではあったが、そこで引き返すことに。
正直、私は高山病の初期症状である「頭痛」がその少し前から出ていたのです。
元々、2700mを超えるくらいから頭痛が起き始めるが、それほど重症ではありません。
登りでは足手まといになった私だが・・・・。
私くらい下りに強い人はそうはいないだろう。
下りは子供たちと競争である。
それも、岩だらけで足場が悪い急なくだりである。
登りでは全く子供たちに刃が立たなかった私だが、下りは私の勝ちである。
そして・・・・。
帰りの車の運転も私である。
車は息子の同級生の家の車だが・・・・。
運転はほとんど私。
子供たちも、よほど疲れたと見えて、帰りは爆睡である。
私以外の大人3人も半分眠ていた。
今思い出せば・・・・・。
馬鹿げたことをやったものである。
この時は河口湖側から。
息子の友達の家族と一緒に行ったので、大人4人と子供4人。
スバルラインンの入り口でバスに乗り換え、五合目に。
そう、中学2年の時は太平洋の海岸近くから登ったが、今回は五合目から。
で、初めから頂上まで行くつもりもなし。
「とりあえず富士山にでも行ってみるか」と言った程度の気持ちで行ったのである。
そんなわけで、六合目で大人3人と子供2人が戦意喪失。
が・・・・。
中学生の息子(野球部)と、その同級生のお兄ちゃん(高校生でサッカー部)は登りたそうな雰囲気まるだし。
私ももう少し上まで登りたい。
が、天気が悪くなり、小雨も降り出した。
そして・・・・。
山頂付近は悪天候らしく、八合目で「通行止め」と言う話も。
そのため、取り敢えず「登れるところまで」ということで出発。
子供たちは野球部とサッカー部で動き回っているので元気いっぱいだが・・・・。
私は49歳。
登りはとても太刀打ちできず、何とか「一万尺(3030m?)」と言う標識のあるところまでたどり着く。
で、「もう少し上まで」とも思ったが、その先に少し危険な個所を発見。
雨もだいぶ降ってきた。
と言うことで、子供たちはまだ登りたそうではあったが、そこで引き返すことに。
正直、私は高山病の初期症状である「頭痛」がその少し前から出ていたのです。
元々、2700mを超えるくらいから頭痛が起き始めるが、それほど重症ではありません。
登りでは足手まといになった私だが・・・・。
私くらい下りに強い人はそうはいないだろう。
下りは子供たちと競争である。
それも、岩だらけで足場が悪い急なくだりである。
登りでは全く子供たちに刃が立たなかった私だが、下りは私の勝ちである。
そして・・・・。
帰りの車の運転も私である。
車は息子の同級生の家の車だが・・・・。
運転はほとんど私。
子供たちも、よほど疲れたと見えて、帰りは爆睡である。
私以外の大人3人も半分眠ていた。
今思い出せば・・・・・。
馬鹿げたことをやったものである。