へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

ブログのネタ探し

2007年02月07日 20時10分01秒 | Weblog
これがいたって大変。
書きたい事は山ほどあるのだが、読んでもらう為には何をどう書けばいいのか?。
一つの事に集中すればよいのだが、それでは直にネタが切れてしまう。
ネタが切れたら休めばいい。
個人のブログであればそれでもいい。
しかし、これが仕事となったら話は別。
締め切りが近くなればなお更である。
連載ものを引き受けた作家の苦労がよく分かります。
あるある大辞典の問題の原因の一つにもなっているはず。
大臣の失言も似たような物。
我々一般の人間は、質問を受けて発言する、と言う事は殆どない。
仮にその様な機会があっても、発言しなくても済む。
しかし責任ある立場の人はそうはいかない。
無視すれば批判を浴びる。
突然、想定外、の質問を受けた場合、あなたならどうするであろう?。
想定外である以上準備は出来ない。
想定の範囲内であっても、100%の対応は無理。
思わず口がすべる、等と言う事は当然おきてくる。
私など、何度それで失敗した事か。
個人のレベルであればそれほど大きな問題にはならないが、大臣と言う事になるとそうは行かない。
対立する政党にとっては、格好の攻撃材料である。
ここぞとばかり攻撃を仕掛けるが、徒に攻撃するだけで、将来に対する建設的な発言など何処にもない。
国会討論会などを見ても、お互いの足の引っ張り合いばかり。
多数決が支配する社会なので、安定多数を得るためには「何でもあり」と言う事になる。
かつて、対立していたはずの政党同士が、連立政権、を組んだ事さえある。
「何をか言わんや」である。
たとえ少数であっても、「正しい物は正しい」のではないだろうか?。
それを数の力で押さえつけるのは、「数の暴力」では?。
こう考えてゆと、数の暴力に泣く人が沢山いるはずです。
私もどれだけ泣かされた事か。
私の予想どうりになったとしても、多数を占める彼らにはどうでもよい事。
シカトされ、非を認める事も反省する事もありません。
当然の結果、同じ様なことが繰り返されます。
そして、次第に私は「ウルサイやつ」として除外されるのです。
政治の世界だって似たようなもの。
期待するだけ無駄。

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情報化社会

2007年02月05日 20時12分38秒 | Weblog
インターネットの発達で、世界中の様々な情報が瞬時に届く、便利な世の中になった。
本当にそうなのだろうか?。
私は、必ずしもそうだとは思わない。
便利になった部分と、不便になった部分とが、混在してしまっているのだ。
新しい情報を得ようとして検索した場合に、そこそこの情報は直に得られるのだが、少し掘り下げた情報を得ようとすると、非常に難しくなってしまう。
検索してトップに出てくるのは、人気ブログばかり。
この人気ブログが曲者なのです。
人気ブログ、何故人気があるのだろうか?。
私のブログなどはとても人気ブログにはならないだろう。
理由はハッキリしている。
人気ブログは、演出や脚色、そして流行を取り入れる等のテクニックを駆使している。
中身ではなく、見てくれで勝負なのです。
私のように、問題を掘り下げて考えるのは少数です。
少数を相手にしていては、人気ブログにはなれません。
この様なブログに邪魔をされて、必要な情報が得られない事が大半です。
本来重要されなければならない情報が、大量のどうでもよい(一部の真面目な人には、ゴメンナサイ)情報の中に埋没してしまったのです。
大量の情報、これをどのように処理すればよいのか?。
多くの人は処理能力を持っていない。
あるある大辞典の問題も、多数の処理能力のない人を対象に作られているのです。
与えられた情報をそのまま鵜呑みにする。
これではますます世界から、置いてきぼり、になるのでは?。
困ったものです。
学校教育の見直し、などと言うレベルではないはず。
我々も含めた、総合的な問題として取り組むべきです。
自分の子供の躾けも出来ず、学校に頼る親。
権利には義務が付き物だという事も知らず、自分の権利だけを主張する人。
目先の利益にしか関心のない人。
書き出したらキリがありません。
どうしたらよいのか?。
一人一人の自覚がなければ、政治に期待しても無駄です。
「魚心あれば水心」、政府がどの様な良い策を考え(られるとも思えないのだが?)たとしても、国民が受け入れてくれなければどうし様もありません。
政府は常に、有権者の顔色、を伺っています。
有権者のご機嫌を損ねたら、次の選挙は戦えません。
次の選挙の事を考えていては、ろくな事が出来ないのは当然では?。
いい加減その事に気が付いてほしいものです。
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NHKと民放

2007年02月05日 04時07分20秒 | Weblog
あるある大辞典、のデータ捏造、あれだけなのだろうか?。
そんな事はないはず。
あるある大事典以外の番組にも沢山あるはず。
今回の問題以外でも、放送局が直接制作するのではなく、孫受、ひ孫受と言うような会社が制作しているようでは、まともな物は出来ないのでは?。
民放の場合は、常に視聴率を意識しなければならない。
視聴率が低ければ、スポンサーが付かなくなってしまう。
スポンサーが付かなければ、放送局は経営が成り立たない。
それでは、どうすれば視聴率を上げることが出来るのだろう?。
答えは一つ、視聴者が喜んで見るような内容にすればいいのだ。
喜んで見る。
これがなかなか難しい。
たとえ学術的に貴重な映像でも、そのまま放送したのでは見てもらえないことのほうが多いのでは?。
以前話題になった、レッサーパンダ「風太」の立ち姿にしても、本当は、特別に珍しい物ではないのだが(NHKの番組で詳しく放送されている)、人気が出るように、話のもって行き方でどうにでもなるのです。
昨夜も、シロナガスクジラの貴重な映像が放送されていたが、これをそのまま民放で放送するとしたら、スポンサーは付くのだろうか?。
NHKの不祥事だけが問題視されているが、民放は大丈夫なのだろうか?。
NHKのニュース等で、アナウンサーが間違えたり、字幕が間違っていたりすると、たちまち抗議の電話が殺到するそうだが、民放ではほとんど無いと聞く。
この違いは何であろう?。
見る人の心の持ち方の違いだと思う。
私の場合、民放の番組を見るときは、完全に娯楽番組として見ます。
内容の信憑性は始めから問題にしていません。
自然や科学物は、視聴者が興味を引くような部分を強調(広い意味の捏造です)しているので、面白くありません。
それにしても、なんであのような下らない番組が作られるのだろう?。
喜んで見る人がいるから。
需要と供給の原理と同じだろう。
需要の有る所に供給がある、需要がなければ供給もないのです。
番組を制作した会社だけに責任があるわけではありません。
喜んで見ている、視聴者にも責任があるのでは?。
あの時、およそダイエットなど必要がないと思える、細身の女性が、カゴいっぱいに納豆を買うのを見ましたが、あれ以上痩せてどうするんだろう?、と思います。
やれ、○○がいい、××がいいなどと言って、一時的なブームで終わるものがどれだけあったことか。
ブームで終わるだけならいいのだが、健康を損ねたりしたら何の意味もなくなる。
私の義理の姉が健康食品に凝って、その結果体調を崩し、半年近く入院する騒ぎを起こした事があります。
安易に信じるととんでもない事になる事もあるのです。
見る側がもっと賢くならなければ、よい番組出来ないのでは?。
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常識のウソ

2007年02月03日 03時44分12秒 | Weblog
@を夜行性だと思っている人がかなりいる。
何処から夜行性という説が生まれたのだろう?。
多分、初期の頃に誰かが「@は夜行性」と言ったのがそのまま今に至っているのではないだろうか?。
よくあることである。
確かな根拠もない話が疑われる事もなく受け継がれる。
「常識のウソ」というやつである。
私も始めはそう思ったのだが、どう考えてもおかしい。
潮位の関係も調べてみたが、つじつまが合わない。
結論から言うと、外敵に襲われる心配がなければ、昼夜関係なく動く、と言うのが実態ではないだろうか。
棲息地では、日中は外敵(捕食者)の目から逃れるために身を隠しているので誤解されたのであろう。
この様な思い違いは、よくあることです。
昼間ある園芸センターで、大型メダカ、という物を売っていた。
通常のメダカの1.5倍ほどあって、特別な種類だという。
何も知らない人は信じてしまう。
しかしこれは、マユツバ、ものである。
というのも、私のところには、もう少し大きいメダカが居るのです。
普通はなかなか大きくなりませんが、広い池で十分に餌を与えると大きくなるのです。
我が家では、水量6トンの池で錦鯉を飼っているのですが、一緒に入れておくと皆大きくなります。
条件が変わっても、同じ結果が出る事も有りますが、必ずしもそうとは限りません。
データーの捏造が問題になっていますが、冷静になって見れば、おかしいと気が付く事がかなりあるはずです。
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冬場のオカヤドカリ

2007年02月02日 03時33分34秒 | Weblog
12月頃から何となく動きが鈍いように感じる。
あちこちのブログを見ても、何となく動きが悪いようである。
棲息地でも今の時期は、かなり気温も低いはず。
25度以上にすればある程度、動きはよくなるのだが、果たして@たちにとってよいのかどうか?、難しい問題である。
ペット(表現が適切ではないかも)、として飼育している事を考えれば、動いてもらわないと困る。
秋口は、ヒーター無の20度位でも、結構よく動いていたのだが、今は20度では殆ど動かない。
動きだけを見ると、秋口の20度と、今の25度が同じ様な気がする。
大体、砂に潜っていることが多く、地上に居るのも少ない。
これらの事を考えると、冬は半冬眠状態が本来の姿では?。
しかし、あれこれ考えてみても、どれが正しいかは、@に聞いて確かめなければ分からない。
なぞ、である。
八重桜が咲く頃になれば、ヒーター無でも飼育が可能になるので、もう少しの辛抱。
その頃には、私の飼育暦も丸一年になります。
敷き砂の交換もその頃の予定です。
それまでは、何頭生きているかは確認できません。
全部が地上に居る事はないので、砂を取り替える時以外は確認のし様が有りません。
一頭一頭名前を付けるなんていう趣味は無いし、一部の個体以外は、大きさも貝殻も同じ様なので識別は困難です。
砂は4ヶ月前に交換したままですが、殆ど無臭です。
しかし、無臭でも安心は出来ません。
共食いが起きた場合は、餌として食べられてしまうので、臭いはしないかもしれません。
可哀相だとは思いますが、自然に任せています。
自然界では、無事に成長出来るのはほんの一部です。
棲息地で、捕食者の餌になるのと、人間のペットとして、飼い殺し、になるのとどちらがよいのか?。

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