へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

オバマ大統領に「ノーベル平和賞」

2009年10月11日 03時48分45秒 | Weblog
賛否両論が渦巻いているようだが、私としても「少々違和感が・・・・」と言う感じがあるのだが、選ぶのが人間なのだからある程度は仕方ないだろう。
以前にも少し書いているのだが、ノーベル賞にもいろいろあり「毎年のように何人もの受賞者がいる」のだが、どうも日本には縁がないようである。
「縁がない?」と思われる方も多いかもしれないが、「人口比」で見れば「日本は先進国の中では最下位(それも大差の)」と言ってもよい状態なのである。
最近の詳しい数字はわからないのだが、人口が日本の2.5倍ほどのアメリカは「ノーベル賞の数は25倍以上?」と、一桁違い、北欧諸国に至っては「人口30万人で一つ(日本は一千万人近くで一つ)」と、日本の地方都市ほどの人口でも受賞しているのである。
こんな事は書きたくもないのだが、いい加減で「技術大国」「経済大国」などという見栄を振り払う必要があると思うのだが・・・・。
何時までも「技術大国」「経済大国」などと見栄を張っていては「世界から置いてけぼりを食らいかねない」と思うのだが・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笑う(喜ぶ)人がいれば、泣く(困る)人もいるのだが・・・・

2009年10月09日 03時33分33秒 | Weblog
民主党が財源確保のために補正予算の洗い直しをしているが、当然の事ではあるが「笑う人と泣く人」が出てくるのだが、総体的に見ると「プラスマイナスゼロ」ではあるのだが、個々の問題で見てゆくと少し事情は違ってくる。
自民党がやろうが民主党がやろうが、税収は同じなのだから「予算の総額は同じ」なので、景気対策の面から見れば「プラスマイナスゼロ」なのだが、こと「選挙対策」と言う面では「大きなプラスになる」であろう。
補正予算を見直したことにより得られた財源だが、財源を取り上げる事によって失われる票より、その財源を振り向ける事によって得られる票の方が圧倒的に多いと読んでいるのである。
単純な表現になってしまうが、月に260万円の財源を与えたとしても、相手が一人であれば一票にしかならないが、子供手当てとして月に2万6千円ずつばらまけば100票にもなるのである。
これが商売であれば「客の数と一人当たりの売り上げ」と、どちらも重要な要素となるのだが、選挙の場合は「票の数」だけが問題になり、それ以外はどうでも?よい事になってしまう。
その代表的な例が「高速道路の無料化」である。
高速道路が無料化されることにより、一般ドライバーは恩恵を受けるだろうが、その結果として、フェリーや鉄道、運送業界などが被害を被るのだが、票の数から見れば一般ドライバーの方が圧倒的に数が多いのであるが、このことは別な見方をすれば「弱い物いじめ」だと思うのだが・・・・。
日本は民主主義国家だと言われているのだが、民主主義の本場アメリカでは「民主主義とは、相手の話をよく聞くことだ」と言われているのだが、日本では「数が多い方が正義」と言うような風潮が強く、「始めに数ありき」と言う事になりがちだが、これは言い方を変えれば「数の暴力」にも成りかねないのだが・・・・。
十分な話し合いをしても決まらず、全員の合意の上での多数決であれば問題は無いのだろうが、「始めに数ありき」では困った物である。
さて、世論調査によると「高速道路の無料化に反対する人が半数以上いる」と言う事実を、民主党はどう考えているのだろうか。
この問題は民主党にとって「痛し痒し」と言ったところではないだろうか。
「世論の反対が多いから」と言う理由で取り止めにすることは「自分たちの主張が間違っていたと言う事を認める」と言う事にもなりかねず、「面子がつぶれるので追いそれと受け入れられない」と言ったところではないだろうか・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国民性の違い

2009年10月07日 17時26分17秒 | Weblog
国民性とは、「国民一人一人の基本的な考え方」と言う事で、長い歴史や気候風土によって培われるもので、一朝一夕に変えることは難しいだろう。
突然こんな事を書き出したのは、民主党が政権を取るより遥か前から問題になり始めていた「子供が教育を受ける機会の格差」と言う事が根底にあるのだが、とかく比較の対象になるヨーロッパ諸国と日本とを比べると「明らかな国民性の違い」を感じないわけにはゆかないのだ。
国民性の違いの中でも一番顕著のものに「子供は一体誰のものか」と言う部分を考えてみる必要があると思うのだが・・・・。
日本では「子供は親のもの」と言う考えが強いのだが、ヨーロッパ諸国では「子供は社会のもの」と言う考えが強いようで、子供の教育にお金をかけることは「自分たち(国)の将来への投資」と考えているようだが、日本ではそのような考えは殆ど持つことはないだろう。
最近は余り言われなくなってはいるが、かつて良く耳にした「日本とドイツは良く似ている」と言う言葉も、ドイツの人に言わせれば「全く似ていない」と言う事で、表面的な部分は多少似ているかもしれないが「根本的な部分」では全く違う考えを方を持っているのである。
その代表的?なものに「日本では会社が経営危機に陥ると銀行に飛び込むが、ドイツでは研究室に飛び込む」と言うものがある。
「金銭(借金)」で会社を立て直そうとする日本と、「技術」で立て直そうとするドイツ、一体どこが似ていると言うのだろうか。
ヨーロッパと日本でこのように根本的な考えの違いが出来るのは「長い歴史と気候風土の違い」が大きくかかわっている以上、「ヨーロッパを比較対照にするのは間違い」と言うべきで、日本を日本以外の国と比較するのではなく、「良い面も悪い面も『参考』にする」と言う事が大事だと思うのだが・・・・。。
子供が大学を卒業するまで殆どお金のかからないフィンランドでは、消費税がナント「22%(食品でも12%)」と言う日本とは比較にならない程の高い税率で、「それ以外の税金や社会保障負担も大きい」と言うにもかかわらず「国民は納得している」と言うのだから驚きである。
子供を「個人の所有物」と考えるか「社会全般の物(宝)」と考えるかでこれだけの違いが出てしまうのであるが、日本人が「島国根性」から脱却するまではとても無理な相談かも知れないが、そんな時がくれば私も「へそ曲がりおじさん」などと言わずに済むと思うのだが・・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする