へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「私なりの覚悟・・・・」

2009年11月13日 03時47分15秒 | Weblog
鳩山総理に限らず「私なりの覚悟」とか「私はこう思っています」「私は・・・と信じています」などと言う言葉を使う人が多いのだが、この「私なり」とか「私は」と言う言葉は非常に無責任な言葉で、責任ある立場に立つ人が使うべき言葉ではないと思う。
「意見には個人差がある」とよく言うのだが、意見だけに個人差があるわけではなく、覚悟にも信じるということにも個人差があり、それゆえに「思想信条の自由」が憲法によって保障されているのである。
政権の座について2ヶ月余り経つが、最近の民主党のやり方はかなりのブレが生じてきているのだが、そのブレを隠そうとするがごとく「マニュフェストを多数の力で押し通す」と言う、かなり強引なやり方をしているのだが、選挙では大勝したのだが「有効得票数は半数以下」だと言う事を肝に銘ずる必要があるのではないだろうか。
「高速道路の無料化」にしても「半数以上が反対」と言う事からもわかるように、民主党のマニュフェストが多数の人に受け入れられているとは限らない事は明白であろう。
アメリカのオバマ大統領の支持率が下がり続けているように、鳩山内閣の支持率も下がり始めている。
まだかなりの支持率は維持してはいるものの、その中には「願望的支持」と言う人もかなりいることも確かで、財源不足の中でマニュフェストを実現する事が困難になれば「離反」してゆくのは間違いないだろう。
さてここからが問題で、マニュフェストの実行が不可能になり「大幅に支持率が低下」と言う事になったとしても、最終的には「私なりの覚悟」と言う切り札で対抗するのだろうが、その結果として「総理を辞任」と言う事になったとしても「恵まれた家庭に育ったお坊ちゃま」にとっては痛くも痒くの無いのではないだろうか。
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「恵まれた家庭に育ったから・・・・」

2009年11月12日 03時56分58秒 | Weblog
資産公開で保有株式が記載漏れしていた事に対する鳩山総理の弁解なのだが、恵まれた家庭に育ったお坊ちゃまが「貧しい庶民の暮らし」など想像できるだろうか。
ましてや公共事業でかろうじて食いつないでいるような人たちの気持ちなど理解出来るはずなどないだろう。
この事は、恵まれた生活を送れる都市部の人たちにも言えることで、自分たちが如何に恵まれているか考えたことがあるだろうか。
こう書くと「都会の生活だって大変なんだ」と言う反論も出てくるだろうが、それでは何故に「都市部に地方出身者が多い」のであろうか。
これは都市部と地方の格差が大きいため、地方から都市部に人口の流入はあっても「都市部から地方への流入は無い」と言う事が原因で、都会の生活が苦しいからといって「地方へ戻る」と言うUターンやJターン、Iターンと言う事が殆ど起きない事で証明出来るであろう。
鳩山総理は「貧しい人たちの気持ちも理解出来る・・・・」などと言う戯言を言っているが、僅かな時間視察しただけで一体何がわかると言うのだろうか。
理屈では理解出来たとしても、所詮は理屈でしかなく、理屈通り行かないのが世の中ではないだろうか。
とかく恵まれた家庭のお坊ちゃまは「頭でっかち」になりやすく、口は達者だが「理想論ばかり」と言う事が多く、現実とは大きく乖離(かいり)することが殆どなのである。
これは私の想像で言っているわけではなく、中学・高校時代の同級生の多くが「中流家庭(一般的に言われる中流ではありません)のお坊ちゃん」だったからわかるのです。
「千坪の土地に二百坪の家」、テレビがある家庭など殆どなく、街頭テレビに人が集まっている時期に「一家に2台のテレビ」、など当たり前な同級生たち。
庶民階級の私が話しをしても「夢のような話」が多く、「住む世界が違う」と言う事を実感しないわけには行かなかったのである。
正に、一般庶民と恵まれた階級とは「住む世界が違う」のだから理解が出来ないのが当然であろう。
昔は金持ちしか参政権が与えられなかったのもうなずける話である。
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パーフェクトゲーム

2009年11月09日 03時24分20秒 | Weblog
ボーリングをしたことの無い人には無縁の話であるが、ボーリング場でこのような画面を見た事がある人はどのくらいいるであろうか。
パーフェクトゲームは、ゴルフの「ホールインワン」と同じような物で、滅多にお目にかかることはないのでそう沢山はいないだろうと思うが、私は幸運にも今年2回もお目にかかっているのである。
前回は8月の事なのだが、達成したのは今回と同じ人で、これで6回目だそうであるが、私の最高スコアーは上段の人のスコアーと同じ256点でしかない。
この6回もパーフェクトを出した人は私と同年代なのだが、上手い人にありがちな「俺は上手いんだぞ!」と言うそぶりは見せず、多くの人から尊敬の目で見られている。
パーフェクトゲームは連続12個のストライクを出さないと達成できないのだが、私の場合は連続8個までで、連続ではないが1ゲームに10個のストライクを出した事があるのだが、最近は極度のスランプに陥ってしまい、1ゲームに2個か3個出ればよいほうで、当然の事だが平均150くらいのスコアーで低迷しているのであるが、ストレス解消と運動を兼ねてしているつもり(言い訳だが)ではあるが、こんなスコアーを見せられるとついつい我が身の不甲斐なさを感じないわけには行かないのである。
ストレス解消のはずが、「逆にストレスがたまる」と言う皮肉な結果を招いているのだが、高望みだとは思うが「一回でもパーフェクトを達成してみたい」と思うのは誰でも同じではないだろうか。
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「対等」と言う事

2009年11月07日 04時25分09秒 | Weblog
民主党が日米外交の場で「対等の立場で・・・・」と言うことをよく言うのだが、「対等」とは一体何を言うのであろうか。
辞書で調べると「双方の間に優劣・高下のないこと。双方同等である事。」とあるが、果たして日米の間に「対等」と言う関係が成立するのであろうか。
ここで冷静に考えてみると「対等」と言う事は「言葉としては存在するが、現実の世界では存在しない」と考えるのが妥当だと思うのだが・・・・。
日本とアメリカを比べれば、面積、人口、経済規模、軍事力・・・・と、殆どどれをとっても日本はアメリカにかなわないのが実情で、これでは「対等・・・・」と言う事自体がナンセンスであろう。
この事を今の日本の政治に置き換えるなら、少数野党となった自民党が民主党に「対等な立場で話し合いを」と求めるのと同じ事ではないだろうか。
自らは絶対多数を武器にマニュフェストを実行しようと自民党などの意見を聞こうとしないのに、その一方でアメリカには全く反対の事を要求する。
これを矛盾と言わなければ一体何を矛盾と言えばよいのだろうか・・・・。
アメリカに「対等・・・・」を求めるのであれば、それ以前に「自民党と対等の関係を築く」と言う事が必要だと思うのだが。
始めに自らが手本を示せば相手も考えるであろうが、自ら相反する事をしていては、相手が無視したとしても「文句を言う筋合いは無い」と言う事になってしまうだろう。
このように考えれば「対等は絵に描いた餅」でしかないと思うのだが・・・・。
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幸せに対する考え方

2009年11月02日 04時07分28秒 | Weblog
昼間近くに住む人と話す機会があったのだが、正直な話「愚痴や不平・不満ばかりなので話したくない」のだが、行きががり上話をしないわけにも行かず困ってしまった。
過去に何度も聞かされているのだが、夫婦二人暮しで、二人とも厚生年金と企業年金を貰い、その総額は50万円を遥かに超えるらしいのだが、いつ話を聞いても「愚痴や不平・不満ばかり」で、明るく楽しい話を聞くことは殆どないのである。
月に50万円以上と言う事は、「私の年金の3倍以上」にもなるのだが、私が現状を受け入れて比較的のんびりと暮らしているのに反し、彼は現状に満足できずに愚痴ばかり言っている。
これでは一体どちらが幸せなのか考えてしまうのだが、彼と私とでは基本的な考え方が違う事と、「趣味の違い」にも原因があるのではないだろうか。
私の基本的な考え方としては、「出来る限り上を見ず、相手のかわいそうな部分を見る」と言う事を心がけているのだが、彼の場合は「上ばかり見ている」のである。
上(恵まれた生活)を見なければ惨めな気持ちにならずにすみ、相手のかわいそうな部分を見れば、悪い言い方ではあるが「優越感を感じることが出来る」のであるが、この優越感は、言い方を変えるなら「幸福感(満足感)」と言う言い方も出来るように、心に余裕が出来るのである。
次に「趣味の違い」であるが、私は花や植物を栽培したり小動物を飼う事が趣味であるが、彼の場合は「美味しい物を食べたり旅行に行くこと」が好きなようで、私とはかなり違うのである。
さて、この事がどんな違いを生むかと言うと、花や小動物の場合は「一度買うと長く楽しめる」と言う事で、始めはある程度お金がかかるが「ある時点を過ぎるとそれ程お金はかからなくなる」と言う事になるのだが、美味しい物を食べたり旅行に行くと言う事は「何時までたってもお金がかかる」と言う事で、お金が無くては満足感を得られ無いのである。
更に困った事には、彼が乗っている車は「私の車を2台買っておつりが来る」と言うほどの高級車なのであるが、買い換えるサイクルも私より早く、燃費も当然の事だが、私の車の半分くらいしか走らず、あらゆる面で私よりお金がかかる生活をしているのである。
彼が私と同じような生活が出来れば問題は無いのだろうが、もともと恵まれた生活をしてきた彼にとっては「とても無理な相談」のようで、こんな部分にも大きな違いがあり、「若いときの苦労は買ってでもしろ」と言うのはこの事を言うのではないだろうか・・・・。
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