NHK大河ドラマ『篤姫』。一応毎週見ているが、面白いからではなく、関心ある幕末維新モノなので成り行きを見守っているだけだ。良いとは思わない。
「幕末ホーム&青春ドラマ」を目指すというのは、大河ドラマらしいしっかりした幕末物を作る気も能力も無いので、替わりにありふれた現代劇的方針に逃げて誤魔化しているだけのような気がする。
その方針と関係が深いが、時代の習俗や史実をあまりに軽視し過ぎだ。姫が少年と二人きりで外出して茶屋で話をしたり、野太刀自顕流で「手合わせ」をしたりと、細かい所を数え上げたらキリが無い。特に問題だと思うのは、少女時代の篤姫が西郷や大久保や小松帯刀らと交流を持つという点。これも完全にNHKの創作である。娯楽作品だから、全て史実に忠実にやるべきとは言わない。しかし、篤姫や小松帯刀のように世間一般に広く知られるのがほぼ初めてと思われる人物について、そこまで大胆に史実と異なる描写をしていいのかという疑問を強く感じる。
全体的に雑で、ちゃんと考えて創られていないのではないかという印象も抱いている。
この前、篤姫が松坂慶子の演じる教育係“幾島”と初めて会う場面があった。篤姫が何か言った後に、幾島が篤姫の話し方について「薩摩訛りがある」と指摘する。それは、宮崎あおいが登場して以来ほぼ初めての一定の長さのある薩摩訛りの台詞だった。それまでは篤姫の台詞は殆どが薩摩訛りの無い江戸弁だったのだ。幾島の台詞、そして、その後の篤姫が江戸弁の稽古をさせられる場面と辻褄を合わせる為、篤姫は突然薩摩訛りに変身したである。プロデューサーと演出家の失敗である。
良いところもある。
ペリー来航は「欧米列強の武力による恫喝である」と、そして、「外国の恫喝に屈しない為に日本は武力を備えねばならない」と、登場人物の台詞を通して、言い切っている。
薩摩藩主島津斉彬を始めとする幕末維新期の偉人達は、単に日本が遅れているからという漠然とした理由で近代化の道を急いだのではなく、アジアを蹂躙する欧米列強の魔手から日本の独立を守るという切迫した目的の為に必死の努力をしたのだと強く訴える内容になりそうな“気配”がある。これは、私が勝手に期待しているだけかもしれない。今後、注目したい。