楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

集中講義ー日本の現代思想

2007-01-05 13:08:11 | 読書
集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか

日本放送出版協会

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途中まではよかったが, なんとも後味の悪い読後感である。何が?

 著者はこれまでの日本の思想の紹介と批判を展開し続けるのであるが、
最後に、どうしたらいいのとの動揺が見え、「その動揺が売りだ」のような居直りで終わる。
私は全共闘世代=団塊世代直後であり、学生の頃、少しはマルクスもかじった。
この著作のマルクス主義関連の論点の紹介はなつかしささえ感ずる。でもその押しつけ的決めつけがいやになり、思想世界における終わりのない批判の応酬に嫌気をさし(だって最後は殺しあいだよ!私の高校のクラスの同級生は二人死んでる!)、その後30年、自然科学の世界に没入した。

 30年の歳月が過ぎて、昨今その世界はどうなっているのかな?
と思ったのがこの本を手にした動機である。社会主義国は崩壊したが、中国という超大国が台頭している。北朝鮮という社会主義最後の狂気世界がある。そして21世紀、地球温暖化などどこ吹く風で地球人口大爆発が続く。エネルギーも水も資源も食料も枯渇の危機が迫っている。日本は少子高齢化で民族としての日本は縮小する。
さて思想家どもはなにを考えているのかな?と。驚くべきかな、この本には、そのような世界情勢に対する言及が全くない。大量消費社会?それは地球人口のほんの一握りの話である。

 もちろん自然科学の世界にも批判の応酬はある。しかし、その白黒はある意味はっきりとしており、その決着に耐えられない事柄(検証あるいは反証可能性を提示できない仮説)は物語として排除される。そして、マルクス主義かどうかなどには関係なく、そこにはしっかりとした「知の体系」がある。それはもちろん自然そのものを反映しており、日々更新されるが思想世界のように一気に瓦解するかのようなことはない。科学の革命によってパラダイムシフトが起こっても新しいパラダイムは必ず古いパラダイムを包み込んで前へ進む。

 しかし、思想世界にはそれがないということがやはり明瞭だ。これでは疲れるわけだ。政治の危機はある。しかし、そんなものは歴史を見ればいつもあたりまえである。昨今の(日本の)思想世界はまた左と右の2項対立のもとの図式にもどっているとこの本はいう。体制を批判をすれば左などという発想が私には理解できない。自民党内部なんかごちゃごちゃでしょ?

 アメリカでブッシュを批判する知識人は圧倒的で、彼らは民主党びいきが多い。だれもそれを左だなどといわない。どうして日本ではイラク戦争や靖国を批判すると左になるのか不思議である。ゆがんだ戦後の55年体制という歴史がどうしてもそこへ引き戻してしまうのであろうか?

 私の関連する分野のアメリカの研究者はほとんどがイラクに「かんかん!」だ。ガソリンはあがるし、研究費は削られるし、人は死ぬし、ろくなことはないと。だから先の、「地球温暖化問題には民主党も共和党もない、それはモラルの問題だ!」というゴアの演説には拍手喝采である。もちろん、共和党支持者の研究者もいる。でもその一人も娘が軍隊でイラクへいって心配で心配でならないという。帰還して万歳!とはればれとしていた。

 そのようなことを堂々と表明できるのが自由の象徴である。アメリカは時にはヒステリックなくらい一色になる国ではあるが、counter actionも保証されている。独裁によるリーダシップと失敗の時の引き下がり、引きずりおろしが機能しているのである。それが民主主義であろう。2,000年前のローマ帝国ですらすでにそうであった。

 日本の思想界の皆さん。頑張って。私はあくまでもリベラルがいい。

 もうちょっといいとこどりの思想ってないの? さ、もうこれ以上はしばらくつっこまない。朝まで生テレビでも見て、お手並み拝見だね。正月の脱線読書でした。
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