楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

若者ー外交も学ぼう

2007-01-07 08:00:23 | 読書
ニッポン青春外交官―国際交渉から見た明治の国づくり

日本放送出版協会

このアイテムの詳細を見る


正月読書第3弾
 この本を読んだ動機は、我が業界元祖ナウマンの時代背景を知りたかったから。同時に歴史は大好きなのでそのことも。
 明治維新後、日本外交の本格的始動とその前夜でこの国を作った20代の若者たち。本当に感動的である。この本の著者が最も惚れ込んだのは鮫島尚信。彼は若干20歳で欧州での日本代表となる。時の世界帝国はイギリス。あまりにもの若さに相手にさえしない。しかし、フランスなどでは大歓迎。以降、かれはパリにて日本の看板を高く掲げ、最も正確に外交の政策を出し、実践をつづける。病気にて35歳で死んでしまうが、その病床を押しての活動はすごい。その無二の親友はあの有名な森有礼。彼も同年代、森は後に初代文部大臣となるが、10代でのアメリカへの薩摩秘密留学生から大英帝国へ。そこで日本の番を張る。

 対ロシアは榎本武揚。彼は函館五稜郭戦争の幕府側の親分であったが、一方の明治政府軍側の黒田清隆によって惚れ込まれてしまう。北の脅威ロシア対策は北海道の最重要課題。そこで榎本を引き出す。かれは見事に解決し、全千島は日本、樺太はロシアと確定する。これは戦争によって領土を解決したのではない。今もめている北方領土問題は戦争の結果。平和時の解決へもどせ、とは正論であると私は思うが、だれも主張してはいない。その榎本(蝦夷共和国総裁だよ!)は明治維新の時、32歳である。私はこの人が今でも興味深い。なぜって?だって日本の地球科学関連学会で最も古い東京地学協会の創設者(明治12年)の一人だよ。その経緯を知りたいのだが。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/tokyogeo/intro/shoukai.html

 明治政府中枢は極めて若かったことはつとに有名であるが、かれらがこの国を文明国に押し上げる中枢にいた。そして苦労の末、安政の不平等条約を解決する。その時に覆いかぶさる西欧列強の圧力は極めてすざましいことが読み取れる。それを論理と粘り強さ(決して切れない!)によってはねのけたのである。

 いま、多くの若者が外国へ出る。科学の分野でも多くの若者が外国へ行き、発表し、留学し、やがて国際的な共同研究などをすすめる。学界活動もある。時にははっきりとしたリーダーシップをとらねばならない。そのような時、それはまさに外交である。辞書もない時代、語学と文化の違いをやすやすと超え(おそらく壮絶な辛苦があったはずだが、若さ故かやすやすと見えてしまう)深い人間関係を構築して、国を背負った。この本から学ぶべきことは極めて多い。

 国際人、しかもそのリーダをめざすわかもの諸君!この本はおすすめである。
てきたね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする